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阿選最期の真相を十二国正史から

ちょっと海外(非漢字圏)の方に聞かれてうーんとなったのが、白銀最後の「討つ」表記に関して…。単に「攻撃(attack)」の意味じゃなかったんだ…?と言われたのですが、いや、間違いではないけど、具体的に自分も分かってないな…となり、十二国記の正史?中の悪人?を討伐する…という記載部分をちょっと比較してみました。

そもそも正史的な形式で書かれているのが少なく…。慶・戴・雁・恭の四国のみ(のハズ…)。しかも、兇賊討伐的なのが記されているのは、以下の箇所だけ。

『月の影 影の海』:『慶史赤書』
舒栄→「雁国延王尚隆に請うて偽王舒栄を伐たしむ」

『東の海神 西の滄海』:『雁史邦書』
斡由→「上、元州頑朴にこれを討ち」

『風の万里 黎明の空』:『慶史赤書』
和侯(呀峰)→「上、兵を以て和侯を撃たしめ」

『白銀の墟 玄の月』:『戴史乍書』
阿選→「上、鴻基において阿選を討つ」

どれも、王が兇賊的な人物を討伐という意味で使われています。個人的にはそもそも違いがあるのさえ気づいておらず、今回海外の人に指摘されて初めて、あれ、今まで違って使われていたっけ?となり、調べた次第です。

『白銀~』以外は、どれも兵が絡んでいるので挙兵されていて、王が直接悪人を殺したという意味には必ずしもなりません。特に、『風の万里~』では、出兵時に和州で呀峰は殺されたわけではなく、一度逮捕された形になっています(p384)。

舒栄に関しても、討伐時に殺されたのか、その後捕らえられて実際に死罪になったのかは判明していません(よね…⁉)。

『白銀~』に関しても阿選が掌握していた禁軍が支配していたであろう鴻基完全奪取を考えると、兵が絡んでくるかとは思いますが(また四巻434頁でも「じきに来る戦乱の予徴」とあるので何らかの戦乱はあったのでしょうが)、『戴史乍書』十月の一文からは、その時に兵を用いたのかどうかまではまだ分かりません。

ただ、ここで興味深いのが、『東の海神~』と『白銀~』で、同じ「討つ」が使用されているということ。はっきりしているのが、『東の海神~』で尚隆自ら斡由を直接処罰(殺している)という事で、王が直接悪人を殺す=「討つ」とすると、阿選に関しても驍宗が自ら阿選を殺した…という推測が可能になります。

こうして、十二国記中の各正史の「うつ」という記述に違いがあるところを見ると、小野先生がもしかしたらそれぞれ微妙なニュアンスであえで異なった記述を採用していた…と考えるのは深読みのしすぎなのか…。

簡単なGoogle検索ででた、それぞれの漢字の意味は以下のとおりです。

〖伐〗
1. きる。
 「伐木・伐林・伐採・間伐・盗伐・濫伐」
2. 罪ある者を武器をもってせめる。敵をせめる。うつ。
 「征伐・討伐・誅伐(ちゅうばつ)」
3. ころす。
 「殺伐」

〖討〗
1. 問いただす。くわしくしらべる。
 「討究・討論・討議・検討」
2. さがし求める。きわめる。
 「探討」
3. 兵力をもってせめる。うつ。
 「討伐・討滅・討幕・討賊・征討・追討」

〖撃〗
1. 手または物で強くうつ。たたく。
 「撃鼓・撃攘(げきじょう)・撃剣・打撃・衝撃・狙撃(そげき)・目撃」
2. 力によってせめる。武力を加える。
 「撃滅・撃破・撃退・撃沈・攻撃・進撃・追撃・突撃・反撃」

一番「殺害」的な意味が含まれていたのは「伐」だったのですが…。どれも似たような意味で素人の自分には違いが分からなかったのですが、もっと専門的な漢和辞典や、専門知識を持っている方からだと判明するのでしょうか…?

あくまでもこの狭い範囲の中での比較なので、見当違いの推測になっているかと思います。

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