轍囲の乱はいつ起きた・・・?(タイムライン考察)
既におぼろげなのですが、以前Twitter上で「轍囲の乱」はいつ・・・?みたいな議論があった時に、自分もちょっと下の線図を書いたりして考えたりしていました。議論中の一つが、才国の砥尚の治世と、白銀時の祖父母時代が轍囲の乱であるという点で少し齟齬が生じる・・・という風だったかと思います。
ここでは、ちょっと才国のことはおいておいて(スミマセン💦)、琅燦や他の記載から轍囲の乱の時期を考えたいと思います。主に『白銀の墟 玄の月』中の四箇所の記述を中心に考えていきます。
1.驍宗陣営において、琅燦の方が項梁より古参
「項梁がそれなりの地位に就いたとき、すでに琅燦は幕僚として独自の地位を築いていた」(三巻181頁)
2.轍囲の乱の時、項梁は師帥にいた・・・けれどその役職は?
「項梁は(轍囲の乱時に)もういたか」
「いましたよ。師帥の中では――文州に移動した基寮と私(項梁)――あとは剛平か」
「いたとも」と剛平は声を上げた。「俺は卒長になったばかりだったなあ」
(一巻151頁) 注:カッコ内は私の補足
私はここの表記で、項梁=師帥と早合点してしまっていたのですが、この部分の実際の意味は、師帥である英章の「組織」にいたということです。ですので、琅燦は轍囲の乱時に驍宗陣営にいた・・・という軽率な仮定を立ててしまっていました(先にこの早計な仮定に基づいた推論記事を読まれていた方々申し訳ありません🙇🏻♀️💦)。
なので、ここで一度項梁が轍囲の乱の時に「それなり」の地位にいたかどうか再考察してみたいと思います。
轍囲の乱時の項梁の役職は、「不明」です。師帥職であった英章の組織にいたというのがここから分かるのみです。この師帥のグループは2500人の兵で編成されていて、位があると思われる指揮官は以下のとおりです。
師帥→旅帥→卒長→両長(両司馬)→伍長
ここの箇所から分かるのは、剛平が100人を率いる卒長になったばかりだったということです。
また英章が、項梁はいたのか・・・と回顧しているので、そこまで師帥の英章と近い位ではなかったから覚えられていなかったのか。それとも轍囲の乱が結構前のことで、単に英章が覚えていなかっただけなのか。
一つの師帥でも指揮官が以下の数だけいる。
5人の旅帥、25人の卒長、100人の両長、500人の伍長。計630人の指揮官が一師にいる。流石に直下の指揮官である旅帥だったら英章でも覚えていそうなので、項梁は卒長あたりになるのか・・・。
一番いいのは、驍宗が王になった時、剛平が何の役職についていたかというのが分かれば、その頃師帥だった項梁と比較ができるのですが、残念ながらそのときの剛平の役職が不明(のハズ)。
項梁のここの口ぶりからすると、剛平もいたことを覚えていたので、同じ位かその上司か・・・。とすると、轍囲の乱時の項梁の位は「卒長」かよければ「旅帥」となる。
確か項梁も叩き上げの士卒だったはずなので、一兵卒から始まって昇進していったと思われる。なので、軍の中でも一番「格」の高い禁軍に所属しており、なおかつその中で指揮官職を賜っていたのであれば、「なかなか」の位といえなくはない・・・?
ちょっと参照元が探せなかったのですが、伍長あたりでも確か昇仙していて地仙の中でも「士」以上の位みたいな記述があったような・・・。もし、「士」以上の位があったら、国官レベルなので軍組織の中で一番下の指揮官である「伍長」でも、庶民からすると「かなり」の位にはなる?
かなり無理矢理な推論ですが、こういった点から轍囲の乱時に項梁は「それなり」の地位に就いていた可能性が高いと考えられます。
もしこの仮定が正しいとすると、琅燦は轍囲の乱時に驍宗陣営にいたという点もとりあえずは成り立ちます(かなり薄弱な根拠に基づいていますが・・・)。
3.驍宗が黄朱と誼を結んだ時は?
「主上はーー驍宗様は黄朱と縁が深かった。かつて黄朱の中に交じって妖獣を狩っておられたこともある。そのころの誼が続いていた」(三巻177頁)
ここの文面での注意点が二点あり、一つ目は「黄朱の民に交じって妖獣を狩っていたころ」が具体的にいつなのか・・・ということに関して。
可能性A:禁軍軍人職を辞して下野していた三年間
可能性B:下野して朝に戻って(A以降)、休暇の時に計都を捕らえるために黄海に行っていたとき
可能性C:A以前またはB以降(可能性はほぼゼロ)
「驍宗が妖獣を狩る」ような描写がされているのが、可能性AかBで、普通に考えるとAが一番可能性が高く、そうだと思われる。
Bに関しては、驍宗が朝に戻ってから黄海に行ったのはあくまでも、「自分のための騶虞を捕らえる」というのが目的なので、それならば「黄朱の中に交じって妖獣を狩っていた」という表現はやや不自然。
「自分のために騶虞が欲しいと、朝に戻ってからも休暇のたびに黄海に通った。そうしてやっと捕らえたのが計都だった」(四巻12頁)
「計都もここで捕らえたんでしょう?」
驍宗は頷いた。
「安闔日のたびに黄海に通って、六度目だったか」
さすがに安闔日一日では行ける距離に限界がある。必ず騶虞を得ると決めたのが六度目、このときには次の安闔日まで黄海に留まったのだ、という。『風の海~』(248頁)
また、私の日本語理解能力がないだけなのかもしれませんが、ここでの「狩っていた」という表現は、妖獣を習慣的に?何匹も狩っている印象(英語の “used to do” 的な・・・)。驍宗の性格からして、騶虞のみを捕らえるという目的に徹しそうなので、黄朱と親しい間柄になっていたとしても、他の妖獣を狩ったりするようなことはしない気がする。
また、どれくらいあるのか分かりませんが、休暇が限られてもいると思われるので、その中で黄朱と妖獣を何匹も狩っている余裕はなさそうです(優秀で腕の立つ驍宗様ならやってのけそうですが😅)。四令門によったら戴から一番遠い令坤門までかなり距離があるので、そこに行くまでも騶虞がない時だったら、それなりの騎獣がいても一週間ぐらいはかかるハズ・・・。
可能性としてはありえなくはないかと思うのですが、以上の理由からBの可能性も低い。
可能性Cもそれらの時期の記述がないので、100%ゼロではないとは言い切れませんが、Aの時期以前に「妖獣を狩る」術は知らなかったはずなので(四巻12頁でA時に「最初に」狩ったのは「他愛もない妖獣だった」とあるので)、ほぼほぼゼロ。B以降も、計都を捕らえられたのであれば、単なる?黄朱との縁だけで妖獣を狩りに黄海に行っていたというのも不自然なので、非常に考えにくい。なので、可能性として挙げただけで、ほぼないと考えていいと思う。
二つ目は、「誼が続いていた」をどう捉えるかという点。
ここの記述を「下野していた三年の間に黄朱の民との誼が築かれた(それ以前はなかった)」とも仮定できる。
また、ここの「誼」をどう解釈するか・・・というところにもよるかと。ここも仮定で、「誼」=「親しいつきあい」という意味で捉えるとする。三年間下野していた以前にも、驍宗のことなのでもしかしたら黄朱の民との付き合いが元々あったかもしれない。けれど、「親しいつきあい」となるとやはり徒弟入りしていた時ではないかと考えられる。
「騎獣を狩りに黄海に入ることは、昇山者に従っていくよりも何倍も面白そうだと感じた」(四巻12頁)とも言っているので、「面白そう」ということは、「騎獣狩りで黄海入り」はしたことがなかったということ。また、すぐに朱氏の徒弟にもなれなかったことから、黄朱と関わりはそれ以前にあったとしても、そこまで深くはなかったのではないかと思う。
くどくなりましたが、以上二点の考察理由から3の抜粋箇所は、
驍宗が黄朱の民に交じって妖獣を狩っていたのは、下野していた三年間のときで、また、その時に黄朱と親交を築いた(それ以前はなかった)
と仮定できます。
4.琅燦は驍宗に預けられた「最初」の黄朱の民・・・?
「琅燦は黄朱か・・・・・・」
耶利は頷いた。
「最初に黄朱から驍宗様に預けられた人物と聞いている」(三巻181頁)
これが意味しているのは、黄朱から驍宗に預けられた黄朱は他にもいる。けれど、黄朱の中から驍宗に預けられた最初の人物は琅燦だった。
また、かなり封鎖的で排他的でもある黄朱が同じ黄朱をそれ以外の人に「預ける」というのは、その人物をかなり信頼していないとできないことであると思う。なので、以下のようにも仮定できると思う。
驍宗に預けた最初の黄朱の民は琅燦で、黄朱の民をそれ以外の人物に預けるほど驍宗と黄朱との間には信頼関係が築かれていた。
1~4からの結論(推論)
1~4それぞれの箇所での仮定は以下の通り。
琅燦は轍囲の乱時に驍宗陣営にいた(1&2)
驍宗が黄朱の民に交じって妖獣を狩っていたのは、下野していた三年間のときで、また、その時に黄朱と親交を築いた(それ以前はなかった)(3)
黄朱の中から驍宗に預けられた最初の人物は琅燦だった(黄朱との誼が既にあった)(4)
これらを再度まとめ直すと、以下のようなタイムラインが推測できる・・・?
①禁軍職を辞して下野
↓
②その三年の間に黄朱の民との誼が築かれる
↓
③黄朱である琅燦が驍宗に預けられる
↓
④轍囲の乱
項梁がどのタイミングで驍宗麾下になっていたかは分かりませんが、項梁より「古参」というからには結構驍宗陣営で古くから仕えていたということで。とすると、③と④の間もそれなりの期間があったと考えれる・・・。
驕王の治世がそれなりに長い124年ですが、こういったことを考えると驍宗が垂州出撃の宣旨を辞退して軍を辞め、下野していたのは、驕王治世中期か下手したらそれよりも前の可能性もある・・・?
かなり自分本位で、薄弱な根拠と仮定に基づいての推察なので、見落としている点や穴があれば是非ご教示ください🙇🏻♀️💦