陽子は常世で何と呼ばれている?
尚隆の訓読み、音読み問題は自分でもいままで考察したり、他の方が結構議論されたのを見かけたけれど、陽子はどうだろう?
読者目線では、単純に「ようこ」と呼んでいるのだけれど、陽子を取り巻く十二国記の登場人物たちは彼女をどう呼んでいるのか、という謎が出てきたので少し考察してみたい。
ルビ数が少ない!
そもそも、陽子という漢字にはほとんど基本ルビ(ふりがな)が振られていない。小説などその本で初めて登場する場合、名前にルビが振られていることが多い。陽子も一応『月の影 影の海』ではその法則に従って、上巻下巻で初めてその名前が登場する場面では「ようこ」とルビが振られている(上巻11頁、下巻11頁)。だが、『風の万里 黎明の空』からはその名前が一番最初に登場するところでルビは振られていない(上巻54頁、下巻12頁)。
『月の影 影の海』に関しては、章の区切れごとに一番最初に登場したときに振られているが(例外的に第七章、下巻140頁では振られていないので振り漏れ?)、『風の万里 黎明の空』からはそれもまったくない。『黄昏の岸 暁の天』に関しても、初出はちょっと特殊なので後に記すが、章ごとの最初に登場する際にルビは振られていない。
ルビが少ない理由の一つとしては、陽子が女の子に使用されてきた日本語名のためだろうか。今はそこまで人気の名前ではないようなのだが、1970年代や80年代前半はかなり人気な名前だったよう。
『月の影 影の海』上巻が初めて出版されたのが1992年なので、その年に15・16歳だった陽子を逆算すると、ちょうど1977年ぐらいに生まれているので人気の名前をつけられたのと符号する。
(私は知らなかったのだが、1960年代後半や1970年代に『氷点』という三浦綾子氏の小説やドラマ化されたものが流行ったそうなのだが、その主人公の名が「陽子」、ということで、この作品の影響もあって陽子という名前が人気になったのでは、というご指摘も。)
ほかの考えられる理由としては、陽子に使用されている各漢字がかなり簡単で小学校の低学年で習うものとなっているからだろうか。
このように、女の子につけられた人気な名前だったというのと、義務教育の小学校低学年で学ぶ漢字という理由から、ルビを振るまでではないと考えられていたのかもしれない。
「ようこ」という呼び名を知っている人物
常世が中国語系統の言葉らしいので、基本は漢語の音読み(呉音、漢音、唐音、と厳密にはいろいろあるようですが……)のよう。
なので、常世では陽子は「ようし」の方が通りが良さそうだし、陽子も王になって自分の名前を他人に伝えるときは「ようし」としているし、その際にルビが振られている。
だが、陽子自身が「ヨウコ」という読み方を伝えたのが原作内ではっきり分かっているのが、楽俊(『月の影 影の海』下巻16頁)と、祥瓊と鈴(『風の万里 黎明の空』下巻306頁)の三人のみ。
ただ、その呼び方を知ったあとも引き続き「ようこ」と呼んでいたかが鈴と祥瓊に関しては疑問が残る。というのも、特に鈴に関してなのだが、陽子が「ヨウコ」と本当の呼び方を伝えたあとに、「陽子、と呼んで駆け寄りたいが」という場面で「ようし」のルビが振られている(『風の万里 黎明の空』下巻364頁)。これは、本来の呼び名を聞いたけれども、おそらく一番最初は「ようし」と紹介され、そちらで呼んでいて定着したためかと思われる。「ようこ」という呼び名を知ったあとも、本来の呼び名である「ようこ」で呼んだかどうかが不明なのだが、そのほかの殊恩仲間は「ようし」で通っているので、合わせる意味でもそのまま「ようし」呼びをしている可能性がありそうだと推測している。
常世人である祥瓊も音読みの方が慣れていそうだから、そのまま「ようし」と呼んでいる可能性が高いかな、と。その後、祥瓊が陽子と呼んでいる場面でのルビが振られているところがないので、確実にそうとは言えないが。
この三人のほかに、「ようこ」呼びを知っている人物は、以下の人物たちだと思われる。
尚隆(『月の影 影の海』下巻172頁)
達姐 (『月の影 影の海』上巻150頁)
松山(『月の影 影の海』上巻208頁)
(六太に関しては下で述べる。)
きちんと「ヨウコ」という表示やルビは振られていないが、常世が音読みというのをはっきり自覚していないころ(常世に来たばかりのころ)だった『月の影 影の海』では、おそらく「ようこ」とそのまま名乗っていたと思われる。
いまでも「ようこ」呼びをしている人物
上でも述べたように、陽子が常世に来たばかりのころは「ようこ」と名乗っていたようだけれど、王になってからは、そもそも王が自身の本名を名乗る場面がないし、あったとしても「ようし」で通している(『風の万里 黎明の空』下巻160・298頁、『黄昏の岸 暁の天』38頁)。例外は日本から戻ってきた泰麒に名乗ったときのみ(『黄昏の岸 暁の天』427頁)。
ほかの人が陽子を呼ぶときはほとんどルビが振られず、結局「ようこ」呼びを知っている上で羅列した人物でさえ、「ようこ」と呼んでいるのかどうかが分からない。
だが!たった二人だけ、「ようこ」呼びを引き続きしているのが分かる部分があるのです!
そう、陽子が常世に来て「友達」と呼んだ、みんな大好き楽俊です!公式に常世人が「ようこ」と呼んでいるのが分かるのは、ここだけなのです。楽俊は陽子の地位も分かっていながら、「友達」として「ようこ」呼びを続けているとしたら泣けてきますよね。楽俊のことだから、陽子を知らない人にはちゃんと「景王」として通していそうですが。
そして、もう一人が雁国の麒麟である六太です。
六太が「ようこ」呼びをしているのが分かるのはこの部分のみ。陽子から六太への直接な自己紹介の場面はなかったが、尚隆が「ようこ」読みをしていたのであれば、それを聞いて使っていると考えるのが自然と勝手に推察している。そもそも「ろくた」も倭国風な呼び方で、陽子と同じ問題を抱えているのだけれど。
陽子も六太に関しては「ろくた」くん呼びしているようだし……。
最後に
新潮社版で私が確認した中では、他人から公式にルビ付きで「ようこ」呼びをされていたのは、上記の楽俊と六太のみ。「陽子」という文字が作品を通して3782回登場しているので、漏れもあるかと思うが、私が調べた限りではその二人が一度ずつ。陽子は王で神籍に入っていて、周囲も仙籍に入っている人物が自然多くなるので、「翻訳」もかけられている。なので、どこまで日本語読みの「ようこ」で呼ばれているかを厳密に判断するのは難しい、という雑な結論になってしまう。