《群と孤灯》 憲法樹(けんぽうじゅ)に鳥はうたう
国葬は誰のために、何のために
私は国葬に反対だ。もし挙行すれば、日本は尚(なお)のこと破滅に向かっていくかもしれぬ、そうとさえ思っている。
【国葬に反対する3つの理由】
なぜ反対するのか。いろいろある中、4つほど述べておきたい。
まず、安倍元首相の政治につての評価が、現時点では定まっていないことだ。毀誉褒貶、いろいろある。国葬の対象になるのだろうか。
たとえば、集団的自衛権合憲を閣議決定し、翌年、安保法を強行採決により成立させた。日本の安全保障上、有益だという意見もある。
しかし集団的自衛権は、歴代内閣が憲法9条のもとで認められる自衛権の範囲を超えているとしてきた。国会でもそう答弁しており、だから自衛隊は合憲だというコンセンサスが国民にできていた。それを覆した閣議決定と安保法は、違憲と言わざるを得ない。これをなした安倍政権は、立憲主義に反する。
戦前、軍部は戦争反対を主張する政治家や言論人に対して、「統帥権(とうすいけん)を干犯(かんぱん)している」という〈殺し文句〉を用いた。軍事に関する事項は軍隊を統帥する天皇が決めることだという脅しである。天皇の名によって、発言者のみか立憲主義をも殺し、ついには国を滅ぼした。これと似ているのが、安倍氏がよく使った「厳しい日本の安全保障環境」などという言葉だ。そこに〈問答無用〉という言外の意味が感じられる。私には戦前と同じ歴史を辿っているように思え、日本が安全な方向にいったという安堵感は少しもない。
決められる政治をやったというのは確かだろう。しかし、官邸が公務員の人事権を掌握した結果、官僚の忖度が生まれた。その最も悲惨な例は、森友学園へ公有地をデスカウントして売却した問題に関連して起こった。安倍首相が「私か妻が関与していたら、首相も国会議員も辞める」と言い、忖度した財務省官僚が公文書(決裁文書)を偽造したという嫌疑は、まだ解明されていない。が、偽造に従おうとしなかった官僚の赤木氏を自殺にまで追い込んだのは、その妻の訴状などから事実と思える。
〈桜を見る会〉の前夜行われた夕食会費を補填した問題では、安倍氏は政治資金規正法違反で東京地検から事情聴取を受けている(その後、不起訴)。また元秘書は、同じ容疑で略式起訴されている。その後、安倍氏から国民への説明はなかった。それだけでなく、この件では安倍氏は国会で118回に及ぶ虚偽答弁を行ったことを、衆議院調査局が明らかにしている。国権の最高機関国会に対する、ひいては代表として議員を国会に送った国民に対する冒瀆と言えよう。
安倍氏が国葬の対象者に値するのか、たいへん疑問である。これが第1の理由。
次に考えなければならないのは、死者を悼むということが国家行事になじむのかということだ。
死者を悼むというのは個人的な感情である。縁もゆかりもない人の死を、人は悼めない。そこに公けが、まして国が関与すべきではない。関与するなら、安倍政治に反対の立場の者にとっては、それは苦痛になるだろう。すなわち、良心の自由(憲法19条)を侵すことになる。
加えて、悼まない者への排斥が起こることを懸念する。昔の共同体では、誰かが亡くなれば共同体の全戸主が弔問する習わしが多くあった。死者とうまくいかなかった者が弔問に行かないと、最悪彼は村八分となる。それと同じように、国葬が、悼まない者を阻害するため権力者側の用意する〈踏み絵〉になることを、私は危惧している。これが第2の理由。
第3は、最近あきらかになってきた自民党、特に安倍派と、『世界平和統一家庭連合』、旧統一教会(以下「教会」)との関係である。
いままでに分かったことは、まず安倍氏が教会の〈広告塔〉の役割を自ら進んで担っていたことである。教会との関係は彼の祖父岸信介元首相に遡(さかのぼ)り、彼の父安倍晋太郎元外務大臣、彼の弟岸信夫元防衛大臣といった岸一族、さらには福田赳夫(たけお)元首相といった清話会(現在の安倍派)に及んでいる。それは現自民党に深く侵蝕し、二之湯国家安全委員長(霊感商法を取り締まる立場にある)、下村元文部科学大臣、荻生田元文部科学大臣(宗教法人を所管するのは文部科学省だ)など、自民党国会議員381人中146人が関係を認めている。このうち安倍派は39人。安倍氏が国を挙げて葬儀を行うような宰相だったか、疑問に思わざるを得ない。
4つ目の理由については、後述する。
【自民党と統一教会の蜜月】
統一教会は韓国で起こった。その教義では、韓国を植民地支配した日本は悪の〈エヴァ国家〉で、韓国は善なる〈アダム国家〉であり、エヴァ国家の日本はアダム国家の韓国に奉仕するのが使命とされている。日本人信者からの献金も霊感商法も韓国の教会に貢ぐためなので、彼らの言う日本人の使命に合致するのだ。霊感商法で売った物の中には数珠がある。神も仏も関係がないらしい。
ひところ話題になった、神が選んだ人と結婚するための儀式〈合同結婚式〉で、日本人女性が韓国の農村出身の男性と結婚し相手の故郷で暮らすケースが多かったのも、日本人が労働力として韓国に奉仕するという意図があるらしい。こうなると、拉致に近い。
韓国は北朝鮮と対峙している。だから教会は北が掲げる共産主義を〈悪〉としている。とくに冷戦時代にはそれが強く教えに現れ、1968年、教会の関連団体として『国際共勝連合』(以下「共勝」)が発足する。共産主義に勝つ、という命名だが、この場合「共産主義」には民主主義も含まれる。戦前の日本で『治安維持法』の対象が共産主義者のみでなく、民主主義者、平和主義者にも及んでいったことを想起させる。
米国もソ連と敵対していたから、その政権は反共産主義であったし、親米の岸信介氏も同様だった。このあたりが、岸一族と教会との接点になった。やがて、信介氏の息子安倍晋太郎氏、その子晋三氏と、接点は受け継がれていったようだ。
もともと地方の保守層が支持基盤だった自民党だが、それが弱体化していった。代わりに、教会の組織力――具体的にはカネと票を集める力に頼るようになった。
いま考えると、霊感商法が問題になっていたとき、きっぱり関係を絶っておくべきだったのだろう。信者たちは無理な(信者は無理とは思わないのだが)献金で一家破産することもあった。安倍氏を銃殺した容疑者もそうだった。だから安倍氏への凶弾は、言論弾圧ではない。教会の広告塔としての安倍氏を狙ったものだ。したがって、岸田首相が国葬にする理由の1つである「銃撃は民主主義への挑戦」は、本質を見誤っている。
【自民党が主導する改憲と統一教会】
宗教と政党が結びついたとき問題になるのは、宗教によって主体性を失くした信者がその政党に投票する、ということだ。これは教会に限ったことではない。創価学会員は公明党に票を入れるだろう。
岸田内閣は、〈憲法改正〉を企図している。ここでさらに問題になることがある。教会が2017年に示した改憲案と、自民党が安倍政権下の2018年に示した改憲の『たたき台案』とが、酷似しているのだ。
たとえば、『緊急事態条項』は双方にある。憲法の効力を内閣が一時停止できるというこの条項は、憲法の生命を内閣が制することを可能にするものである。ナチスが制定した『全権委任法』と同じだ。
『家族』について、自民案には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」とある。共勝は家族を、国家にとって最も必要な最小単位だとしている。あまりに似た文言ではないか。
さらに教会では、創始者文鮮明は「お父さま」で、神のもと人類が1つの家族となることを理想に掲げているが、その自民案への類似性は偶然のものであろうか。
自民案の『家族条項』は、戦前の家長制度を想起させる。家長は大概父であり、それは天皇という父を抱く国家をミニマナイズしたものだった。この条項により、権利の主体は個人であることが否定されるおそれが多分にある。その行き着く先は天皇制の復活であることも、計測できる。
国民投票が行われたなら、教会が率先して賛成を広告するだろう。霊感商法で、人の心を掴む術(すべ)は心得ている。投票では信者たちに賛成票を、実質的に強要するであろう。これで憲法が変えられたなら、それが国民の意思の結果だと胸を張って言えるだろうか。
もし岸田首相が改憲を政権の課題とするのなら、彼が今なすべきことは、国葬ではない。自民党総裁として、きっぱり党と教会との関係を絶つことではないか。
【国葬の意義とは】
世論調査の結果をみても、国葬は国民の支持を得ているとは言い難い。なぜ、岸田首相は国葬を強行的に挙行しようとしているのだろうか。マスコミなどでは、岸田首相は党内基盤が弱いので、安倍派の支持を狙って国葬を挙行したいのだと言われているのだが……。
もう少し進めて、岸田首相、あるいはその閣僚、またはその内閣を支える誰かは、国葬を主催することで自分(たち)が安倍政権の正式な後継者であることを内外にアピールしたいのだと、私は考える。そのために葬儀を利用するのは昔からある手だ。豊臣秀吉がそうで、彼は織田信長の葬儀を主催し、その後継者の地位を確立、やがて天下を取ったのだ。
どちらも推測だが、そうならこれは、死者を弔う儀式ではなくなる。国費で、最悪、自分が権力継承者であることを知らしめる儀式である。上辺は『国葬』だから、自分の権力の前提である安倍政権を顕彰し崇(あが)める効果もある。権力も、政策も、改憲も、安倍氏の承継者である国葬主催者が握る……。
これが、国葬反対の第4の理由である。つまり、国葬は破滅の予兆だからだ。
疫病、戦争、災害、さらにカルト宗教と、人心は不安に駆られている。そこに〈英雄安倍〉の存在を明示したならどういうことになるだろうか。私の耳には、国葬が破滅の序曲として響く。
けど、この破滅なら止められる。しっかりとものを見て、言うべきことを言う。真偽を見極める心を持つ。悪いニュースばかりでなく、いい話もない訳ではない。それを聞く。いつでも、混乱の後には新しい文化が芽吹く。たとえば鎌倉時代の新仏教や戦国時代の後の安土桃山文化。
不安な気持ちは、カルトにも権勢欲に取り憑かれた政治家にも、好餌(こうじ)である。
《追記》
副題の『憲法樹(けんぽうじゅ)に、鳥はうたう』。「鳥の歌」は、スペイン、カタルーニア地方の民謡で、この地方出身の20世紀のチェロの巨匠、パブロ・カザルス(1876~1973)が、亡命先でフランコ独裁政権に踏みにじられた故郷を想いながら編曲、たびたび演奏しました。それは、現在においても、平和を願うアーチストらに引き継がれています。2018年にはバルセロナ・テロの後、地元サッカーチームが犠牲者追悼のためこれを歌いました。興味ある方は、検索してお聴きいただければ幸いです。
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