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空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ 第1話「カナダはどっちだ?!」感想――『殺人ジョーク』に見る、手段を選ばぬ殺人こそが平常状態という皮肉

ネットフリックスにに『空飛ぶモンティ・パイソン』があったので、見始めました。


説明不要か思いますが、『空飛ぶモンティ・パイソン』は1969年に始まった英国の伝説的コント番組です。

最初は「有名だし、後学のために見るか」くらいの気持ちだったのですが、
見始めてみたら純粋に面白く、また見せ方が練られていたりして、どんどん引き込まれました。

以下、コント(スケッチ)ごとに感想を書いて行きます。


「英国人と豚の闘争」


冒頭、司会者が椅子に座ると、豚の悲鳴が聞こえて、豚の絵に罰をつけるシーン、
「豚をあえて画面に出さないことで死を演出する」方法がスマートで驚きました。これが英国のやり方か? 

「死」の扱いが軽くて笑う。



「死に方コンテスト」


歴史上の人物の死に方を採点するブラックジョーク。
初回からとんでもないスピードで「死」が消費されていく。
というかテンポが速い。
昔の番組ってもっとゆっくりしているイメージがあるんだけど……。



「死んだカニの味のバター」

死んだカニの味のバターという意味不明のネタは前振りで、
街頭インタビューに対して「女性蔑視だ!」と過敏に怒る女性を笑いの本題。
当時でも今でも炎上必至のネタだと思う。
人を茶化すことに気概を感じる。



「エドワード・ロス卿インタビュー」

映画監督に、無意識に失礼な呼び方を続けるインタビュー。
これは現代でも通じるというか、かまいたち辺りが普通にコントでやってそう。
本質じゃないところをピックアップする、というコントのお手本のようなコント。



「アーサー・"物置2つ"・ジャクソン」

更にそれの発展として、作曲家の無意味なあだ名「物置二個」をいじり続けるコント。
しかもこの作曲家は物置を1個しか持っていないし、物置に思入れがある訳でもないという凄い設定。

この過度なシュールさは『ごっつええ感じ』っぽいなあ。世界一位の男のコントみたいな。



「パブロ・ピカソ自転車レース」

芸術家達が自転車レースをするコント。

芸術と自転車という、遠い関係の二つを結び付けたという点ではセオリー的な内容のコントだけど、
このコントの凄さは、タイトルを「芸術家自転車レース」ではなく「パブロ・ピカソ自転車レース」としたところ。

つまり「ピカソが自転車に乗る」ことを笑いどころだと思わせておいて、
終盤で突然モンドリアンやシャガールの名前を連呼するところが上手い。



「恐怖の殺人ジョーク」

読んだ人が必ず笑い死ぬジョークが、戦争に転用されるコント。
おそらくモンティパイソンで一番有名な、伝説のコント(スケッチ)でしょう。

笑い死ぬ様が結構リアルというか、ちゃんと苦しんで死ぬのが良いですね。
また戦争シーンも、当時の実際の演説映像なども使っているので結構えげつない印象を受ける。

ヒトラーもガッツリ出てくるし。


最後に終戦のことを「平和が勃発した」と表現するところで本当にやられてしまいました。

結局このコントが何を茶化しているかというと、
「手段を選ばず敵兵を殺しあう戦争状態」なんです。
そして、その馬鹿げた状態ことが、人間にとっての平常状態だと言っているんですね。


偶発的に生まれたジョークさえも殺人の道具とし、下らないジョークに心血を注ぐ愚かさ。
平和が勃発したことで、そのジョークはようやく「単なる下らないもの」として埋葬されますが、
近い将来、再び平和が沈静化したあかつきには、当然のようにこのジョークは掘り起こされるのでしょう。

そのことを予見しているからこそ、ジョークを火葬などにはせず、埋葬して、墓を遺しているのです。


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1話感想まとめ


いやあ、本当に面白かった。

コメディは時代や背景(メタ的視点)に依存するので、こんな古い番組は楽しめないと思っていたので、本当にびっくりしてしまいました。

全編通して「死」のネタが多いのですが、それをポッと出す感じが毒々しくてスリルがありますね。


これからもゆっくり観ていきます。

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