【Q11.宇都宮LRTの、更にその先へ】6.雨の日の板谷梅樹(板谷波山記念館)
(前回の記事はこちらです)
茨城の人情に触れる
起床。快活クラブの定番モーニング、無料トーストを慌ただしく二枚喉に押し込みチェックアウト。広大な駐車場を突っ切って玉戸駅へ向かう。駅前に、丁度コミュニティバスが停まっている。行先もまた丁度良いことに、下館行きだ。これに乗ってみよう。
7時28分、玉戸駅前発。終点は下館駅だが、最短経路を進むわけではない。このバスはJR水戸線の南側エリアを遠回りし、工業高校や工業団地等を経由する。各所で小刻みに人を乗せ、また降ろしながら進む。コミュニティバスとは、そういうものだ。
窓外には小雨がパラつく。何時の間にか居眠りをしてしまう。
8時過ぎに下舘駅南口着。バスロータリーには通学の生徒たちの行列が出来ている。今日こそは、昨日開館していなかった、市立美術館や板谷記念館に行くつもりだ。開館時間までには、まだ大分時間がある。下館駅周辺には、特に見るべき場所も無いが、ノンビリ歩いて時間を潰せばよいだろう。
そう思っていたが、この時点で、自分は勘違いをしていた。文化施設の開館時刻は、大体どこも午前9時なので、筑西市もまたそうだと思い込んでいたのだ。改めて確認すると、何と! 午前10時開館だという。何もやることが無い時間が、かなりできてしまった。茨城県は観光地としての魅力が、全都道府県中ワースト1だという調査結果が、少し前に話題となった。無論、一民間団体の調査なので、どこまで信頼して良いのかは疑問だが、茨城はやはり、観光にそんなに力を入れていない土地なのだろうか?
幸い、途中の和菓子屋は10時前から開店している。店内を一通り見て回り、文学仲間・松岡さんへの土産用と、自分用に、個別包装された煎餅をバラで数種類買う。店内に「るるぶ」の筑西市版が置いてある。これはどこで売っているのですかと聞くと、売り物ではなく、広報物だとのことだった。本屋で売られる出版物ではなく、タダで配るパンフレットのようなものだが、この店には配るだけの部数が無いという。
そんなことをして時間を潰したが、それでも有り余る。歩いているうちに、板谷波山記念館前に着いてしまった。歩き疲れた。館の前には、板谷波山の像と、屋根付きのベンチがあるのでそこで休む。そうしているうちに雨が激しくなってくる。
しばらく休んでいると、中から高齢の女性スタッフが出てきて「すぐに開けるので、今から入ってもらって良いですよ」と言う。9時40分ぐらいのことである。望外の親切に感謝しつつ、早速入館する。気分が良い。
知られざる芸術家・板谷梅樹
現在は企画展として、板谷波山の息子のモザイクアート作家、板谷梅樹の作品が展示されている。波山同様に、自分は板谷梅樹という芸術家に関しても、全く予備知識が無い。今回は、その板谷梅樹の作品を集めた、初めての展覧会であると案内には書いてある。
陶芸家である父・波山の創作活動の際に出た陶片を用いる所から、梅樹のモザイクアートは始まったという。額縁サイズのものから壁画サイズのものまで、その大きさは様々だ。良いと思う。今の自分はとても気分が良いので、何も見ても楽しい。陶器の欠片を用いたモザイクアートは、見ようによっては現在のピクセルアート、いわゆるドット絵にも通じる所があるように思え、勝手に親しみを感じる。この展示で見た限り、梅樹の作品には、過剰な自己主張や自意識が見当たらない点が、好感だ。公共空間に置かれるのに、実に適していると思う。
作品によっては、撮影やSNSへの投稿が許可されているので、そうする。指定のハッシュタグを着け、微力ながら拡散に努める。
企画展の建物から次の建物に移動する際に、かなり雨に濡れてしまう。
別館では、梅樹の巨大なモザイク壁画に関する記録映像が放映されている。かつて、東京の有楽町にあった日劇のエントランスに、梅樹作の巨大なモザイク壁画が飾られていたという。ギリシア神話に材を取ったそれらの作品は、余りにも格調が高過ぎてこの場に相応しくないとかいう理由で、ある時ベニヤ板で蓋をされてしまったのだという。人に知られることが無いままに時は過ぎ、昭和の終りになって、日劇そのものが老朽化のために解体されることとなった。その際に壁画は再発見され、しばらく別の場所で保管されていたが、今は現存していない。その全てが、今ここで初めて聞くエピソードであった。
館内には勿論、波山本人に関する常設展示物もある。波山の年譜、生家、東京の田端にあった工房を移築、再現した建物などだ。波山の号は、筑波山から取ったのだという。
ミュージアムショップで図録を立ち読みする。梅樹は、波山の末子だという。そう聞くと、確かにその作風からは、育ちの良さ、上品さを感じる。成功した芸術家の末っ子として伸び伸びと育てられ、自身もまた芸術家になったのですかねと、先程の職員と話をする。
しかしながら梅樹の死は、父・波山より早い。その死因について、また末子を失った波山の失意については、今回の企画展の中では直接的な記述は見当たらなかった。そして波山も、梅樹の死の直後、同年中に没している。
客は私以外には、中年の夫婦一組しか見かけなかった。車で来た様子だった。絵葉書を何枚か買い、礼を述べて記念館を辞した。
雨の中を歩いて下館駅まで戻る。途中、文化財となっている「荒川家住宅」を撮影。和洋折衷、木造の家屋と石造りの蔵が接続したような建築物であった。
市立美術館では、企画展「みうらじゅん展」をやっているが、今回は見送った。
今から乗る、関東鉄道常総線は、下館駅の一番南側のホームから発着している。JR水戸線に架かる跨線橋を再度渡る。