西九州新幹線に乗らなかった話
八月十七日、JR九州より一通のラインが届いた。九月十八日に予定されている、西九州新幹線の試乗会に当選したという通知である。
西九州新幹線の、長崎駅から佐賀県の武雄温泉駅までの区間が、九月二十三日に開業するのに先立ち、一般向けの試乗会が何回か企画されていた。その中の一つに、幸運にも当選したのであった。
今回当選した試乗会の旅程は、以下のようであった。集合場所は、JR九州肥前山口駅。肥前山口駅一二時一八分発(試乗会専用のシャトル電車)。武雄温泉駅一二時三七分着。武雄温泉駅で西九州新幹線に乗車し、一二時四二分発。終点長崎駅一三時〇六分着。
当日はシルバーウィーク、九月の連休の前半部分になっているため、スケジュール的には特に問題はない。現地までの交通手段を何にしようかと考える。通常なら飛行機、鉄道旅が好きなら新幹線や夜行特急のサンライズ出雲・瀬戸、より強度の高い鉄道マニアならば在来線を乗り継ぐ旅、交通費を節約するならば、博多までの夜行バスなどが選択肢になるところだが、ここで一つ閃いた。少し前に新型船がデビューして話題となった、東京九州フェリーで行ってみるのはどうだろうか?
東京九州フェリーと呼称しているが、関東側の港は横須賀港である。九州側の港は、福岡県の門司港である。所要時間は、ほぼ丸一日。試乗会本番の前々日、十六日の深夜に横須賀を出港する便に乗れば、前日である十七日の夜に門司に着く。小倉もしくは博多で一泊しても、当日十八日の受付時刻までに、受付場所の肥前山口駅に到着できる。十六日金曜日は平日で仕事だったが、このフェリーの出港時刻はとにかく夜遅い。一度帰宅してから横須賀に行く時間的余裕が充分にある。
そのように計画を立て、フェリーの予約を取ったのが十一日のことであった。購入手続きは全て同社のサイト上から行い、滞りなく順調に完了した。
交通手段は決定したが、宿泊施設が見つからない。シルバーウィークなので、この時点で、福岡県内の通常のビジネスホテルは、ほぼ全て満室であるようだった。ネットで見る限り、残っている部屋は、どれも身分不相応に豪華かつ高額な物件ばかりだ。自身の経済力と相談した結果、小倉の快活クラブに泊まることとした。小倉は大きな街で、快活クラブの店舗も複数ある。快活クラブの一部の店舗は、個室ブースの事前予約が可能であり、小倉にもその種の店舗があったため、そこに決めた。
九月十二日、JR九州のラインアカウントから、試乗会の参加パスが届いた。QRコードのリンクだ。当日、会場にてこのQRコードを提示することで、本人認証を行うとのことだった。
九月十四日、台風十四号が小笠原近海にて発生した。
九月十五日に届いたラインは、以下のような文面であった。
「台風接近に伴う西九州新幹線かもめ試乗会の開催について
現時点で台風接近に伴う西九州新幹線かもめ試乗会開催の可否について決まったものはございませんが、今後の台風の勢力や進路を注視し開催の可否を判断してまいります。
試乗会の開催が中止となった場合はこちらのトーク画面、および弊社HPなどでお知らせいたします。
(中略)
誠に残念ながら、試乗会が中止となった場合、延期開催はございません。何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。」
十六日、午前九時十六分、フェリーの海運会社から「ご予約された便における運行状況について」というタイトルのメールが届いた。自分は通勤途上のいろり庵きらくで、朝食の蕎麦を食べていた。表題だけで全てを察した。横須賀を今夜出港する便、つまり私が予約した便の欠航と、払い戻し手続きに関する連絡であった。
一方、午前十時丁度に、JR九州から届いたラインには「現時点で台風接近に伴う西九州新幹線かもめ試乗会の開催可否について決まったものはございません。」と書かれていた。正式な試乗会中止の連絡となったのは同日十八時三十二分のラインであった。
「台風14号が9/18から9/19にかけて九州を縦断する予報となっていることから、お客さまの安全や運行状況を考慮し、誠に残念ですが9/18、9/19開催予定の西九州新幹線かもめ試乗会については中止させて頂きます。」
そうして、この、東京都出身の台風は鹿児島県に上陸し、九州を縦断していった。九州地方、中国地方の交通・通信インフラは甚大な被害を蒙ることとなった。
予定が無くなったシルバーウィーク前半の三連休を、自分は関東地方で過ごした。この台風そのものはまだ遠くにあったが、その影響か、やけに蒸し暑く、雲が多かった。明治神宮では蝉が鳴いていた。
シルバーウィーク後半部の九月二十三日は、九州地方において大災害は特に発生しなかった。ただ、新しく発生した別の台風である十五号が、今度は東海地方を中心に豪雨を降らせ、東海道新幹線を含めた各交通網に大混乱と運休が発生した。
東海地方の豪雨のニュースも、西九州新幹線が無事に開業したニュースも、自分は旅行先の北海道にて接した。長万部町の地中から突如噴出し、近隣住宅街に騒音と塩害と若干の観光収入をもたらした水柱は、未だ活動していた。
令和四年台風十四号は、その被害、影響の大きさから、ウィキペディアに独立した項目が立てられ、規模、経過、被害が詳述された。その記述によると、上陸時における中心部の気圧の低さは、日本を襲った歴代の台風の中で、観測史上五番目ぐらいになるとのことだった。
十月一日、欠航したフェリーの料金が、無事に指定口座に払い戻されていることを確認した。
十月二十八日、台風十四号は閣議決定により、激甚災害に指定された。