サウジアラビア観光記(続編)
2019年9月末、サウジアラビアはついに王国史初の観光ビザ全面発給に踏み切る。そして僕は翌週にはサウジアラビアへ観光目的で入国する。入国前エントリ、入国時のやりとり詳細は過去に書いた通り。
今回のサウジアラビア観光記(続編)には、準備物、予算、移動時間、見どころ、、といった、役立つようなどうでもいいような内容は一切出てこない(次回の総集編では、全5か所のサウジの世界遺産についてまとめるので役立つ情報は次回の記事を参照されたい)。今回は、単にタクシー配車アプリで出会ったA君とその友人から熱烈歓迎を受ける話を展開していく。
ジェッダの朝、A君とタクシーで
朝、配車アプリによりドライバーA君の車がゲストハウス前に停車し僕は乗り込む。A君は、まっすぐのツバのキャップをかぶり黒Tシャツの格好であり、僕はヒップホッパーのような格好の人がサウジにいることに驚く。Google Mapsの交通案内で聞こえてきた音声は英語。思わず僕は彼に英語を話すのか聞くと、アメリカはNYから2時間のカレッジに2年間留学をしていたから話せるとの事。その格好にも合点。サウジの正装(白装束のカンドゥーラ、頭を覆う布のクトゥラ、黒い紐のアカール)は、政府系機関に勤めている場合の制服であり、日本でいうとスーツのような位置づけであるとの事。例えば身分証明書(ID)や運転免許証の撮影では、彼も正装を着て撮影をするとの事。彼のように最低1着は持っていてあまり着ないような人もいれば、(街中の半分くらいの人が着ているのだが、)普段使いとして着ている人もいることがわかる。
彼はその日、久々に外国人との(正確に言えば英語を用いた)交流を持つようで、僕にいろいろなことを教えてくれた。親は父親と2人の母親、各母親は7人ずつ子供を産み14人の兄妹、兄妹の半分は海外留学経験ありという、いわゆる「富豪の大家族」の出自であった。また、彼は海外経験が豊富である。アメリカ在住中には中米を半年ほど巡り、その後ヨーロッパを半年ほど職に就かずに旅をしていた。また少し前にジェッダから2時間程度離れたツーリングの名所で大型バイクで遊んでいたら事故に遭い足を粉砕骨折したという。見た目もそうだが中身もなかなかやんちゃである。
彼はたばこを口に咥え火を点け「たばこを吸うのか?」と聞いてきた。僕はすかさず、「僕はたばこは吸わない、しかし日本にいる時は毎日酒を飲む。ドバイでもたくさん酒を飲んだ。しかしサウジでは手に入らないだろうから、すでに酒が恋しい。流石に手にはいらないよな。違法だし…。タバコはやらないけど日本人は酒飲むんだよね…イスラム教徒にこんな事言うのは本当に申し訳ないけど」と言って微妙に話題をずらして聞きたかった反応を待った。
彼曰く「サウジでは酒は違法だが、簡単に手に入る。昔はムタワ(宗教警察)が町中にいて、検問により車の荷物をチェックされたから運ぶのは難しかった。3年前の皇太子主導の改革によりムタワが減り、酒を持ち運べるようになったし気軽に手に入るものとなった」「アメリカにいる時に一度だけ酒を飲んだ。中国の強い酒を飲んで酔っ払ったからもう酒は飲むことがない」などと、聞きたかった事をいろいろ教えてくれた。
我々の車内は終始会話が続き、時間を持て余すこともなく目的地に着き、僕は画面に表示された運賃を支払い、彼と連絡先を交換して別れた。その際にいつジェッダを出るのか?と聞かれ、明日だ、と答えたら、もっと長くいればいいのに!今晩遊ぶしかないじゃないか!と少し(なぜか)怒られながらも、僕に今晩の予定もないので、素直に彼とまた会うこととした。彼は僕にミネラルウォーターを渡して去っていった。
メッセンジャーは昼間から何度も鳴り響いた。
「肉は何がいいか。牛、鶏、ラクダ」
「あるいは、魚がいいか」
「遠慮はするな、それで十分か」
「20時にホテルの前に行くが、よいか」
「父親にも僕を紹介したいが、実家に寄ってよいか」
「行きたいところはあるか」
「友人たちとのアジトでパーティーするつもりだから、よいか」
「彼らを招集しておくが、友達呼んで差し支えないか」
「アラブ正装を着てみないか」
「友人達は英語話せないが、よいか」
「俺はシャワーも浴びた。準備万端だ」
「待ち遠しいから会いたいが、今はどこだ」
「いつでも出られる。やっぱり17時に行ってもよいか」
など、彼はとても気を遣ってくれたし、彼は一日中ずっと舞い上がっていた。
ジェッダの宵、A君と集会場で
17時。車で現れた彼は正装に着替えていて、車の後ろには弟のアラブ正装を持ってきてくれていた。アラビア半島から紅海へ沈むサンセットを、世界一高く吹き上がる噴水(噴水の高さ260~312m)が見える公園から眺めてだらだらする。公園には男性同士、女性同士、あるいは家族連れが集い、サウジ特有の光景としては公園の真ん中にカーペットがあり、そこでお祈りの時間には人が集まってお祈りをしていた。
日が沈んでから公園で少しのんびりし、彼の実家を経由してお茶を飲み、ラクダ肉や果物、コーラや水など必要物を彼のバジェットで買い、車で1時間向かった先の集会場へ向かう。ジェッダの端から端は、高速道路で1時間程度かかるくらい広い。
21時。集会場の庭では二畳ほどの絨毯が四枚敷かれ、A君の男友達5人が集まり肩肘つきつつ横たわり、集会場のキッチンではバングラデシュ人の若いお兄ちゃんの使用人が一人で料理を作り始めている。
まずはりんご、バナナ、デフレッシュデーツ。これらをデーツティーと紅茶で食べる。小さなカップを空けると無限に次の一杯を注がれるので、飲み干さずにゆっくり飲むか、飲み干して次の一杯が要らない場合は手で蓋をしておかねばならない。
A君の友人達も、僕がはじめて出会う日本人という事でそわそわしながらも、お茶をひっきりなしに注いでくれる。
彼らは僕のことを動物園のパンダでも見るかのような珍しげな表情で、全員が全員、見事に同じ黒のiPhoneXを構えて僕の一挙手一投足を撮る。サウジではSnapchatが大ブームであり、日本で言うところのインスタストーリーズ女子並に、大量の動画を個別に、あるいは友達全員に送信している。
最初は彼らのアラビア語と、僕の稚拙なアラビア語、時にはGoogle翻訳(英⇔亜)を用いたコミュニケーションが成立していた(しかし対面対話の本質はレスポンスであるから、稚拙なアラビア語は悔やまれた)。そこでは趣味をはじめとして家族構成の話など個人的な話から、日本の政治、経済、ライフスタイル、地理、文化などの一般的な話をしていたが、彼らのSnapchatに友達から反応がきてから、様相は変わり、次第にコミュニケーションの質が下がりついには崩壊し、僕は日本人という偶像になっていく。毎回動画撮影後にはうまくいったよ、ありがとうと握手をし、彼らは思い思いの友人達に連絡をする。休む間も無く、喋って踊ってを繰り返す。
「このムービーでは、アラビア語で挨拶してほしい」
「今友人と通話するから、名前を呼んであげて欲しい」
「この洋楽に合わせて踊って欲しい」
「このサウジ音楽に合わせて踊って欲しい」
「持ってきたアラブ服を着て、ソロで撮らせて欲しい」
「次は一緒に撮らせて」「ポーズを決めて」「音楽と一緒に」
などなど・・・。徐々に依頼が高度になりつつも、彼らは飽きずに動画を撮り続ける。僕もしぶとく、役者あるいは客寄せパンダよろしくリクエストに応え続ける。毎回動画撮影後にはうまくいったよ、ありがとうと握手をし、彼らは思い思いの友人達に連絡をする。休む間も無く、喋って踊ってを繰り返す。
24時。ようやくラクダの肉を使ったご飯が出来上がる。みんなで集会場の室内に移動し、大皿を囲って「ビスミッラー」の合図とともに食事開始。
「ラクダの肉の中でも脂肪は肉屋で取り分けてもらったから肉が牛肉のようで美味いだろう?」「普段は消化に悪いから深夜に食事なんてしないが、今日は僕のためにパーティーで皆を呼んで振舞っているんだ!」「今日は本当にありがとう。父も友達も僕が来てくれたおかげで幸せだよ。アルバムドゥリッラー」とA君は相当はしゃいでいた。友人たちも米とラクダ肉にがっついていた。シンプルな材料で作ったご飯はとても美味しかった。
25時。ご飯も食べ終わり、帰り際にA君のSnapchatを見た彼のいとこが僕に会いに駆けつける。彼も帰国子女で色々僕と話したいから一杯茶に付き合って欲しい、なんなら泊まっていけと提案をする。A君は僕に、明日も早いのだからそろそろ帰ったほうがいいと助け舟を出す。僕は朝早く空港に行かなければならず、かつ、ホテルに荷物があるからと断りを入れて帰る準備を始めながら渋々一杯だけ茶に付き合う。
お酒なし、女人禁制の宴は開始から4時間経って終焉。
25時半。A君の車に乗り込みホテルへ帰る。A君は車内でしきりに感謝の言葉を重ねつつも、まだ動画を撮り足りないみたく、日本曲で動画を撮りたいと要望してくる。
僕らはRIP SLIME「熱帯夜」「楽園ベイベー」「太陽とビキニ」を車内のスピーカーで音量最大にして丸々一曲動画撮影しては、「よく取れたぜ!」「俺は今本当に幸せだよ!」と毎回固い握手をし、彼はSnapchatに投稿し、友達に自慢の連絡する。
思えば彼の車で何時間も過ごした。彼の視線の先には常にスマホがある。ながら運転というほど運転に注力しておらず、スマホをする隙に運転をしているようだ。何度も中央分離帯や前の車にぶつかりそうになるがうまくかわしつつ、我々の車は帰路へ向かう。
26時、我々を乗せた車はホテルに到着。A君がお守り用のネックレスをくれようとするが、僕は価値がわからないから申し訳ない、と主張し丁重にお断りする。「これかれも連絡を取り続けようね、君は日本の唯一の僕の親友だ」といわれ、何度も握手を求められ別れた。
親切心と好奇心をデザインしよう
これを見て、彼らの親切心に辟易する人もいるだろう。実際に日本やヨーロッパの親切心と、サウジアラビアの親切心では親切の観念が根本的に異なる。サウジアラビアの親切さは生易しいものではなく、挨拶をすれば水をくれ、道を尋ねれば近い場合は乗せて行ってくれ、なんならご飯を食べていけ、もっと食べなさい、まだいける、そしてうちに泊まっていけばいい、お土産もっていきなさい、と心からの親切心でとことん提案してくれる。もちろん無償である。親切心に加えて、本当に日本人が珍しいのだろう。思い出に残したい、Snapchatで友達に伝えたい、という露骨な好奇心でいろんな提案をもらったし質問責めにあった。
※彼らの親切心と好奇心に全部付き合っていると疲れるし時間も潰れる。コンフォートゾーンを超えたらそれ以上は付き合わなくていいと思ってるが、僕にはあいにく次の予定がなく、体力だけはあり、彼らの行動様式を知りたかったため、今回はとことん付き合った。
いままで世界都市から世界の最果てのような辺境まで色々訪れてきた。しかしサウジアラビアのジェッダのような4G・LTE通信すらできる世界都市であるにも関わらず、辺境に見られるような過度な親切心と、露骨なる好奇心を目の当たりにし、他の大都市ではそのようなことが無かったように思えたところにサウジが観光産業に開放して間もないことを感じた。
相手の親切心や好奇心は、引き出すのも規定するのも自分次第。何事も怖いと思って線引きし、コミュニケーションを発生させなくするのも、率先してどこまでも引き出すのも全ては自分が決めるもの。基本、僕の場合は「全て見てやろう」の心構えでこれからも旅を続ける。たとえ面倒であっても、辟易しても、うんざりしても。だってそう自分で決めたのだから。
終わりに
次のサウジアラビア観光記(総集編)では、2019年時点で世界遺産登録をしている都市5箇所全てを訪問し、辺境の世界遺産を見ようと試みた記録と注意点を書くつもりである。そのころにはサウジを脱出してバーレーンのホテルでビールを飲みつつ甘美な記憶を振り返っている状態でありたい。
少しだけフライング。Al Ulaの象の岩。
引き続き異国の辺境の記録を記すため、皆さんの人生において役に立たないかもしれないが、それでも見て頂れば幸甚である。