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#351 [歴史] アフリカ系アメリカ人の法的権利が認められるようになったきっかけのひとつ

第51週 第1日(月)歴史「ブラウン対教育委員会裁判」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は歴史「ブラウン対教育委員会裁判」です。

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本の要約

1954年、ブラウン対教育委員会裁判でアメリカ連邦最高裁判所が下した判決により、アメリカの公立学校での人種分離は終わり、これをひとつのきっかけとして始まった公民権運動で、アフリカ系アメリカ人の法的権利が完全に認められた。

ブラウン判決以前、アメリカでは南部を中心に黒人には白人と同等の権利が与えられていなかった。この公認の差別はジム・クロウと呼びれていた。
しかし、ブラウン裁判の原告は、分離そのものが本質的に不平等だと訴えた。最高裁は以前自ら出した判決を覆し、公立高校は人種統合を余儀なくされた。

ブラウン裁判以降、ローザ・パークスやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアなどアフリカ系アメリカ人の公的権運動指導者たちが運動を続け、南部に残っていたジム・クロウ法を廃止させた。

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公的人種差別に終止符を

公的権運動はこのブラウン裁判に始まり、1964年に公的権法と、1965年の投票権法をも覆した。
これは黒人に対する雇用差別を禁じ、南部で何世代にもわたって黒人の投票権を奪うのに利用されてきた習慣を違法とする内容だった。

ついに、黒人が法の下で平等に扱われる日がきたのか。長かったなぁ。
私自身は、差別について詳しく知っているわけではなかった。たけど、本書を読んでいく中でいかにアフリカ系アメリカ人が白人に利用されてきたのか、現実を突きつけられた。本書の最初なんて、アフリカ系アメリカ人っていう言葉の意味すら知らなかったのに。

ジム・クロウ法がまかり通っていた時代は終わりを告げ、公的権や投票権も平等にした、指導者たちがいかに偉大な人物がやっとわかった気がする。学校の授業だけではこの重みが全く分からなかった。
しかし、今でも人種差別が消えた訳では無い。コロナ禍ではアジア人ヘイトなんかもあったし、完全に消えることはないのかもしれない。でも、こうして世界のルールを変えることが出来るという例があるだけでも抗う価値は十分にある。


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