#358 [歴史] 20世紀の人権のシンボルとして最も代表的な存在のひとり
第52週 第1日(月)歴史「ネルソン・マンデラ」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は歴史「ネルソン・マンデラ」です。
ついに1日1ページも最後の週となりました。最後まで頑張っていきましょう。
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本の要約
「私は白人支配に対して戦ってきたし、黒人支配に対しても戦ってきました。私は、すべての人が、平等な機会を与えられて仲良く一緒に暮らす民主的で自由な社会という理想を胸に抱いてきました。それは、私の生きる目的であり、実現させたいと願う理想なのです。しかし、必要とあらば、その理想のために死ぬ覚悟はできています。」
ネルソン・マンデラ、1964年の国家反逆罪裁判にて。
1964年、ネルソン・マンデラ(1918~2013)は祖国である南アフリカに対する国家反逆罪で有罪になった。死刑は免れたものの、ケプタウンおきの監獄島での終身刑を言い渡された。マンデラの罪状は、南アフリカでアパルトヘイトと総称される人種差別的な法律に対する抵抗運動を組織したことだった。
マンデラは、重労働を強いられる中でも挫けず、刑務所の中からアフリカ民族会議(ANC)の指導を続けた。1990年、国際社会の圧力を受けて、南アフリカの白人政府はようやくアパルトヘイトを廃止し、マンデラを刑務所から釈放した。彼は1993年のノーベル平和賞を受賞し、1994年に南アフリカ初の全人種選挙が実施されると同国の大統領に選ばれた。
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アパルトヘイト
アパルトヘイトは、アフリカーンス語で「分離、隔離」を意味する言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。
かねてから数々の人種差別的立法のあった南アフリカにおいて1948年に法制として確立され、以後強力に推進されたが、1994年全人種による初の総選挙が行われ、この制度は撤廃された。
このアパルトヘイトでは、人種を4通りに分けられており、日本人を含むアジア人も差別対象とされていた。20世紀後半になってもまだこんなことをしていたと思うとゾッとする。
逆に、100年も立たないうちに世界は今まで以上に劇的に進化しているということもわかる。私たちがいきているこの21世紀もまだまだ進化は止まらない。止めてはならない。
ネルソン・マンデラのような自分の命を顧みずに、世界の構造を変えようとする人がいるからこそ私たちは平和に暮らしていける。それを忘れてはならないだろう。