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「大垣夜行」の思い出

こんばんは。今日は一つのニュースに目が止まりました。

東京から岐阜県の大垣を結ぶ夜行快速列車である「ムーンライトながら」が廃止されるというものです。

廃止といっても、2009年以降は、学生の春、夏、冬休みの時期に発売されるJR全線の普通列車が乗り放題の「青春18きっぷ」のシーズンに合わせて運行される臨時列車でしたが、東京を出て翌朝には名古屋に、そして、その日のうちに普通列車ばかりを乗り継げば九州まで行けてしまうことから大人気の夜行列車でした。

鉄道の旅が好きな私にとって、若い頃に何度もお世話になったので、時代の流れで仕方がないと思いつつちょっと寂しい気分になりました。

そんなわけで、ちょっと昔の思い出を振り返ってみたいと思います。
1996年の3月から運行していた、特急用の車両を使用した全席指定席の快速「ムーンライトながら」は、東京や横浜などから乗る場合は、指定席券が必要で、要はそれが手に入れられないと乗れないわけで、青春18きっぷのシーズンはいつも指定席券の争奪戦が起こっていました。
ちなみに、「ながら」というのは鵜飼で有名な岐阜県の長良川が由来の名称です。
この「ながら」に最後に乗ったのは、まだ定期運行として毎日走っていた2008年だったと思います。豊田スタジアムにサッカーを見に行ったり、ナゴヤドームに野球を見に行った帰りに乗った思い出があります。ナイトゲームの後に1泊せずに安く帰れたので重宝しました。

この「ムーンライトながら」はタイトルにあるとおり、元々、東京発大垣行きの普通列車で、夜通し走る夜行列車であることから通称「大垣夜行」と呼ばれていました。4人掛けのボックス席が並ぶ古い車両で、全て自由席でしたので青春18きっぷのシーズンは東京駅で座席を確保しないと大変なことになります。

この「大垣夜行」に初めて乗ったのは、中学生のときに鉄道好きの友人たちと大阪旅行に行く計画を立て、一番安く行く方法を考え、この「大垣夜行」に乗ろうということになりました。初めて夜行列車に乗ることとなり興奮を抑えられませんでしたが、確か東京駅発が23時40分位だったと思いますので、座席にありつくために余裕を持って1時間程前に東京駅に着いたのですが、ホーム上は凄い数の人。その時点では、東京駅の東海道線の帰宅ラッシュはすごいなぁ、位に思っていたのですが...

30数年前にタイムスリップ

1986年3月○日

東京駅にて、熱海行き、平塚行きと次々と電車が到着するのに一向に人が減らない。と言うか、列が動かない。これって、もしかして皆大垣夜行に乗る人たち?だとしたら座れないんじゃない??

1時間後、それは現実となった。ネットもない時代。中学生が得られる事前情報などたかが知れている。見立てが甘かった。仲間の間に流れる微妙な空気。普通列車で名古屋まで立っていく覚悟をした瞬間だった。

そして、現実はもっと厳しかった。立っていくどころか乗るのも厳しいくらいのすし詰め状態。あぁ、まだ大船。ようやく小田原。当然眠ることができないので先が長く感じる。。。そして、午前2時過ぎに静岡に着いた。ここで結構な時間停まるようでホームに降りる人が多い。何事かと思えば、皆駅弁を買っているようだった。こんな時間に駅弁?と思ったが、1種類しかない幕の内弁当が飛ぶように売れている。そして、皆食べる。そう言えばお腹が空いた。起きているとお腹が空くんだよな。でも、800円くらいしたような記憶があり、中学生としては夕食でもなく朝食でもないところで800円の出費は無理、なんて思って我慢した記憶がある。

そして、5時くらいに豊橋に着いた。名古屋まで後1時間位か。この時間になると始発電車が走り始める。結構な人数が降りた。どうやら、大垣夜行で座れなかった人はこれ以上立っていることに耐えかね、次の電車で名古屋方面に向かおうと考える人が多いのかな、と推測した。ここで、座れはしなかったものの、通路とデッキにスペースが生まれ、地べたに新聞を敷いて体育座りで寝ることができた。名古屋まで1時間、爆睡だったと思う。

6時頃ようやく名古屋に到着。多くの人が下車する。ようやく座席に座れた。ここまで長かった。途中、列車内のトイレに行こうと思ったが、トイレの前の床で寝ている人がいて起こすことが出来ず我慢した。大垣夜行を利用する人の目的地は名古屋か、あるいは終点大垣まで乗って、その先の京都、大阪、更に西に乗り継いでいく人が多かったと思う。

終点の大垣に到着。東京駅から約7時間。その先大阪まで乗り継いでいった電車は確か座れたと思うがはっきり覚えていない。更に言えば、大阪城に行って大阪のユースホステルに1泊して、帰りは確か新幹線で帰ったと思うがはっきり覚えていない。何せ、大垣夜行が強烈だったので。初めての夜行列車体験はほろ苦いものだった。

それでも、二度と乗らない!とはならずに、高校生になってからリベンジしました。発車5時間前の19時位から東京駅で並びました。さすがに余裕をもって座れました(笑)

恐怖の終電

さて、大垣夜行にはもう一つの顔があります。それは普通列車であることから通勤客も普通に利用するということです。そして、何と平塚、小田原方面の最終電車であるのです。そうなると何が起こるかというと...

まだ、新入社員だった頃に先輩から大垣夜行にまつわる伝説をよく聞きました。飲んだ帰りに東海道線の終電に乗って座ったら寝過ごしてしまった。そして目が覚めたら、浜松だった、名古屋だった。そんな話を何人かから聞きました。最終大垣行きに乗ったときは絶対寝てはいけない、というより座っていけないというのが教訓とされていたようです。翌日が休みならいいですが、名古屋から東京まで新幹線で出勤なんて人もいたようですので。
まぁ、そんな人が多かったからというより、混雑緩和のために大垣夜行の晩年には、1本後に最終電車が設定された記憶があります。

「ムーンライトながら」というより「大垣夜行」の話になってしまいましたが、多くに人に愛され、様々な思いを持っている人も多いかと思います。
思い出をありがとう!

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