見出し画像

ありがとうケンゴ~18年間の私の勝手なケンゴヒストリー

中村憲剛選手、18年間本当にお疲れさまでした。そして、多くの感動をありがとうございました!

ここから先は、いつもスタジアムで皆が呼んでいるケンゴで失礼いたします。
あれから18年経ったのですね。
ケンゴが入団してから18年間、フロンターレサポーターとして、ずっとケンゴを応援させてもらっていました。

ケンゴがルーキーだった2003年、勝ち点差1でJ1昇格出来なかった悔しさをバネに、2004年は関塚監督の元、ボランチとしてレギュラーとなったケンゴの活躍もあり、圧倒的な強さでJ2優勝、J1昇格を果たしましたね。
まだファン感が麻生グランドで行われていた時代で、この時ユニフォームにサインをしてもらいました。この時、すごく誠実に笑顔で応対してもらい、私の中のケンゴ株は爆上がりでした(笑)

そして昇格を決めた後にケンゴが言っていた「オレは来年3年目、もうオレが引っ張るつもりでいる。」という言葉が本当に頼もしく、フロンターレはなんて良い選手を獲ったのだろう。きっとJ1でも活躍してくれるだろう、そんな期待に胸を膨らませました。

迎えた、2005年開幕戦はアウェイの柏戦。ケンゴはどんな活躍をしてくれるのだろうとワクワクしながら日立台に向かったのですが...
スタメンにケンゴの名前がない。どうやら風邪を引いたらしいとの情報。それからここぞという時にケンゴが風邪引いていない、何かそんな記憶があります。ネガティブなことをいってスミマセン。まぁ、本当にこの頃からケンゴがいないと本当にキツかったですからね。既に代えの効かない選手になっていたのだと思います。

そして、2006シーズン、フロンターレは爆発的な攻撃力で何と2位に!今年その記録を自ら更新しましたが、J1新記録のシーズン84得点、ケンゴ、タニのボランチコンビはすごい得点力でした。チームはACL出場を決め、そこからJ1の強豪として、2008、2009シーズンも2位となります。
でも、そこまでくるとやはりタイトルを獲りたい。2009年の最終節、雨の日立台。勝ちましたが、あと一歩及ばず。ケンゴは試合後のインタビューで申し訳ない気持ちでいっぱいです、と涙ながらに語っていたことを覚えています。本当に悔しかった!

2010年、リーグ戦に先だって開幕したACL。ケンゴが顎に大怪我を負ってしまいました。リーグ開幕戦は当然間に合いませんでしたが、他の選手が全員背番号14のユニフォームを着て入場したときは鳥肌が立ちました。ケンゴのいない川崎なんて考えられない。そう皆が思ったことでしょう。
幸いワールドカップには間に合って良かったです。

2011シーズン、一番きついシーズンでした。
震災で中断があったものの、滑り出しは悪くなかったと思います。
ただ、段々と何かが噛み合わなくなったのか、8連敗のドロ沼に。最終的には勝点44の11位に沈んでしまいました。
そうした中、ケンゴで一番印象に残っているのはホームガンバ戦のサヨナラフリーキック!あれはスゴかった!!
確かケンゴのフリーキックが決まるのは年に1度という伝説があったような...あっ、失礼なこと言ってスミマセン。

2012年、途中から風間監督が就任してフロンターレのサッカーが大きく変わりましたね。それも研究されてくると勝てなくなってきて、イケイケのカウンターで点を取ってきたフロンターレじゃなくなって、選手起用を含めてサポーターの不満が高まって、等々力のお客さんが減ってきたりと何かフロンターレがフロンターレじゃなくなってしまうような不安に苛まれました。
ケンゴは、変化に痛みはつきものである、信じて欲しいと言っていたと思います。本当に信じていいのかとその時は懐疑的に思っていましたが、今となってはケンゴのいうとおりだったと思っています。あれだけ批判があればそれに流されてしまってもおかしくないと思いますが、ケンゴはそうじゃなかった。本当にスゴいです。

2013年、序盤は本当に苦しみましたが、終盤、怒濤のまくりで3位に入りました。ようやく新しいサッカーが実を結ぶようになってきたのでしょうか。この頃でしょうか。中村史上最高というフレーズをケンゴが使うようになったのは。本当にサッカーを楽しめていると。そうケンゴが言っているのを聞くと本当に嬉しくなりました。

2014年、この年はワールドカップメンバーからの落選が大きなトピックでした。ケンゴはどれほどのショックを受けているのだろう。本当に心配になりました。そうしたサポーター達の心情を分かってか、こういうときにすぐに発信してくれるのもケンゴのいいところですね。一瞬だけど何もかもどうでもよくなったと。でも、練習でボールを蹴ってみたらやっぱりサッカーは楽しいって思えたと。そういう正直な気持ちを惜しみ無く発信してくれるところにケンゴの魅力があるのだと思います。

2014、2015と続けて6位。優勝争いからちょっと離れてしまった時期でした。

2016年、強かったです。この年は2シーズン制で、ファーストステージ優勝までもう少しというところで踏ん張りきれず、優勝を逃してしまいます。同じように年間勝点1位も。最終的に年間勝点2位でしたが、チャンピオンシップで3位鹿島に敗れ、またもタイトルを逃してしまいました。
それでも、天皇杯で躍進し、この年限りでチームを離れる風間監督と大久保選手の置き土産かという感じで決勝まで進み、ついに念願のタイトル...とはいかず、またもシルバー。どうしてなんでしょうか。ケンゴも本当に悔しそうでした。
それでも、ケンゴはリーグMVP!本当に凄すぎます。

2017年、鬼木監督が就任した新生フロンターレ。風間監督と大久保選手がいなくなったことでシーズン前のフロンターレの下馬評は決して高いものではありませんでした。しかし、リーグ戦ではじりじりと追い上げ、終盤は優勝争いに加わってきました。そうした中、ルヴァンカップは決勝まで進みます。
さすがにもうタイトルが獲れると思いました。選手もサポーターもそう感じていたのではないでしょうか。そして誰もがケンゴと一緒にタイトルを獲りたいと。
でも、ここでも神様は残酷でした。またも準優勝。ケンゴは、ここまで積み上げてきて後何をすればいいのか分からない、と言っていました。ケンゴが現役のうちにタイトルを獲ることはできないのではないか。ケンゴ監督でタイトル?いや、フロンターレは2位までしかなれない運命であり、自分が生きているうちに優勝することはないのではないか。本当にそう思いました。
この時点でリーグ戦は残り3試合。1位鹿島が1回でも勝てばそこで鹿島の優勝が決まります。フロンターレは3連勝したうえで奇蹟が起こることを祈るしかない。でも、それこそ自力ではどうしようもない。

だが、それは突然やってきた。最終節、奇蹟の逆転優勝!本当に本当に等々力で涙が止まりませんでした。ピッチにうずくまり泣いているケンゴ。何という光景でしょうか。ついにケンゴとともにタイトルが!本当に今でも思い出すと泣けてきます。
ケンゴは言っていましたね、タイトル獲れないのはオレのせいかもしれない、って。そんなことありません。貴方なしでのタイトルなんてありえなかったのです。もっと言えば2位すらなかったかもしれない。でも、ケンゴは本当に責任を背負ってプレーしていたのですね。頭が下がります。

2018年、リーグ連覇、そして、2019年はこちらも念願のルヴァンカップ優勝!3年連続のタイトル獲得です。一つ獲るとこんなにも続けて獲れてしまうのか(笑)

ただ、またしてもケンゴに試練が襲います。前十字靭帯損傷。この時点で39歳。本当にこのまま引退?それは悲しすぎます。
でも、そこはケンゴでした。見事な復活。清水戦での復帰戦でのゴール。等々力に神様がいる。これまた名言です。
東京戦で40歳バースデーゴール。その翌日に引退発表。ショックでしたが、戦力のうちにやめたい。40歳でやめることは5年前に決めていた。納得がいきました。

ケンゴにまつわる思い出は本当に書ききれません。どれも素晴らしい思い出です。そのプレーや言動に何度も勇気づけられ、感動を与えてもらいました。

今日は、2020年12月20日。明日は等々力でケンゴの引退セレモニーです。どんなセレモニーになるか本当に楽しみです。
でも、あえて今日書いているのは、明日になったらもっと色々な感情が溢れだし、まともに文章が書けないのではないかと思ったからです。

最後に皆が望んでいること。2020シーズン、圧倒的な強さで制したリーグに続き、まだ獲ったことのない天皇杯のタイトルをケンゴと共に!
きっとやってくれるでしょう。

ケンゴ選手、本当に、本当に、ありがとうございました!!

いいなと思ったら応援しよう!