理由も答えもない世界
頭で考える人は、答えが欲しいのかもしれない。
私のこと、なんですけれども。
先日はとてつもなく風が強くて。
だけど洗濯をして、ベランダに洗濯物を干した。
部屋に戻ってお皿を洗っていたら、
外でガコーン!という音がした。
振り返ったら、物干し竿が傾いてる。
プラーン、としている。
うそでしょう。
慌ててベランダに出たら。
排水溝に溜まった泥水に、
洗い立ての白いタオルとシーツがベチョーって。
べチョーって、ついてた。
タオルのはしっこ、まっくろ。
シーツのはしっこ、まっくろ。
なるほどね。
なぜかここで妙に納得。
いつもだったら、何で、って思う。
せっかく洗ったのに。
もう一度洗わなきゃいけない。
夕方から雨降るって言ってたし、
晴れてるのは今だけなのに。
って。
多分、もっと嫌なことがあったら
厄年だから…とか言い始めるかも笑。
何か、理由とか、答えとか、欲しいみたい。
もうただ、
”ベチョーってなったね。”
それだけなのよね。
これが、出来なかったね。
出来なかった。
何で!
何で!
何で?
って。
ずーっと、自分に聞いてた。
だからすごく頭がうるさかったみたい。
何でと言われても…
べちょーっとなっちゃったから…
そんな感じなのかも。
答えを求めるって、
言葉を話せるようになったくらいから、やっていた。
そういう教育を、ずっと受けてきたね。
だから、答えはあると思ってたみたい。
ずっとずっと、”答えはあるっていう世界”の中で暮らしてたから。
もうそれが、当たり前になっちゃったね。
ありがとう。その優しさに感謝します。どうしたら良いか、まだ、決まりません笑。