全ては自分次第

ここ一ヶ月くらいのファジアーノ岡山は、怪我人の多さから、試合に向けて思った通りの準備が出来ていないような状況に感じました。

単純に試合にエントリーできるメンバーが限られてくることに加え、「思った通りの戦術が打てない」「ターンオーバーが出来ない」「疲労の蓄積」など、いまファジが置かれている状況はかなり厳しいものであると推測されます。

現に、試合に出ている選手にも、膝などにテーピングが巻かれた状態で出場している選手もいます。

当然のことながら、選手に怪我をさせたくて練習を組んでいるコーチ陣は誰もいません。ましてや練習や公式戦での接触時の怪我などはどれだけ各々の選手や指導陣が注意していても避けられない事が多いものです。

今の怪我人が多発している状況は、いわば「不運の連続」と捉えて、「誰かのせいではない」と定義づけるしかない状態だと思います。


話は変わりますが、ノートルダム清心学園で理事長を勤められた、渡辺和子さんのことはご存知でしょうか。

渡辺和子さんといえば、著書のタイトルにも引用された「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が有名です。

これは、アメリカの神学者のラインホルド・ニーバーの詩から引用されたフレーズです。

この有名なフレーズと同様に、渡辺さんの著書の中で引用されたニーバーの言葉に、「ニーバーの祈り」というものがあります。

「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、 変えられるものを変える勇気と、 その両者を見分ける英知を我に与え給え」

このフレーズはアルコール依存症や薬物依存症の克服プログラムにも用いられているようです。クリスチャンではない自分はこのフレーズをつい最近知りました。

極論を言うならば、スポーツの試合結果に関してはいち観客に過ぎない我々は「ただ見守るしかできない」ものです。ただ、その試合結果を受けいれることは誰でもできます。そしてそれを受けて自分がどう振る舞うかについてはいくらでも変えられることです。

自分の趣味の面で上手くいかないと思っているのであれば、それ以外の日常を少しでもプラスになるように自ら行動するのが手っ取り早いと思います。

仕事の面で成果を挙げられるように頭を使うことであったり、自分の健康状態が少しでも良くなるように運動習慣を身につけるなど、方法はいくらでもあると思うので、それを実行するだけです。

他人を動かして周りを変えることは出来なくとも、自分が動いて自分を変えることは自分の意志の強ささえあれば可能です。

ファジアーノの話に戻りますが、徳島戦で一番残念だったのは、試合中の応援よりも試合後のブーイングの声のほうが大きかったことです。

普段はメインスタンドで友人たちと楽しみながら観戦している人間である自分に、試合中声を出している人達に苦言を呈す権利はないと思われる方もいるかもしれません。

ただ、そうやってビハインドの時間帯に白けた雰囲気を作ってそのまま負けて、フラストレーションを溜めてとぼとぼと家に帰るよりは、試合中にしっかりと応援の声がはっきり聴こえる状態を作るほうがよっぽどチームのためになるんじゃないかと思います。

あなたは、どうありたいですか?

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