ChatGPTについて思うこと
ついに、人間が、特別な存在で無くなるときが来た。
これまで唯一、高度な知能を持ち、言語を話す存在だった。しかし、AIが、言語能力を身につけた。それは、意外なほど、簡単な方法によって実現された。インターネットのテキスト情報を、単語の穴埋め問題にして解いていくだけ。ほぼそれで、数学の問題も解けるようになってしまった。
人間も、赤ちゃんが話せるようになるまで、膨大な量の言語データを浴びるだけ。それを2年間ぐらい続けると「語彙爆発」という現象が起き、話せる様になるらしい。質より量。多くの人が脳の仕組みに幻想をいだいていたが、そうではなさそうだ。自然の原理がシンプルなように、脳の仕組みも、単純なのかもしれない。
ちなみに、ChatGPTは、まだ自分から意思を持って行動しない。そこが人間と違って、まだまだという意見もある。ただ、おそらく、適切な報酬系を設計すれば、その再現は難しくないはずだ。しかし、そうなると暴走の可能性が高くなるので、自発的な行動の開発は制限されるだろう。
2017年頃の記事で、シンギュラリティの議論が2020年代になって深まると書いたことがある。計算機の性能(FLOPS)が脳に近づくというのがその根拠だった。ディープラーニングの延長で人間の脳に近づけるのか。それとも、別のアルゴリズムが必要になるのか。そういう議論もあったが、前者で間違っていなかったことになる。(深い論理的な思考に関しては、まだアルゴリズム改善の余地はありそう。)「弱いAI」は「強いAI」になろうとしている。
厳密に言えば、2025年ぐらいのイメージだった。2年強、早かった。ただ、ChatGPTがまだ事実誤認も多く、改善の余地があるとすれば、2025年というイメージは、間違ってはいない。それでも、研究者にとっては、心が折れる出来事には違いない。人間の知能を模倣するという基礎研究としては、かなりの所まで答えが出たのだから。
もう、人間は特別な存在では無くなる。囲碁や将棋で、人間がAIに勝てないように、ある種の知能では、人間は勝てくなるでしょう。ここ数年の内に。それでも、生死は人間にしか存在しないし、オリジナルの感情を生み出すのは人間にしかできない。他にも、人間にしかできないことが、まだほとんどだ。そういう意味で、別に人間の価値が無くなる訳でもない。世の中は、良くなる。
ただ、謙虚になろうというだけ。2021年までは、「単純作業はAIにまかせて、人間は創造的な作業に集中しよう」と言っていた。しかし、ここ何ヶ月かで、人間の創造性も、さほど特別なものでは無さそうだという風潮になってきた。ずいぶん傲慢な考え方だったという事がわかった。人間は
One of Themにすぎない。