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「普通」の生い立ちはあるのだろうか。高校時代の友だちと会ってふと思う。

#20230623-145

2023年6月23日(金)
 数日前から海外移住した友だち Kちゃんが一時帰国している。
 女子高時代からのつきあいで、在学中は私を含めた4人でよく一緒にいた。
 一緒といっても、私の高校は大学のように授業科目が選択履修制だったので、私物は廊下にあるロッカーに入れ、授業のたびに教室を移動した。校風なのか、マイペースな子が多く、友だちがいるからという理由で科目を決めることはなかったと思う。自分が学びたい、または自分の進学に必要な科目を個々の判断で履修していた。
 クラスという垣根が低く、同じクラスだろうが、違うクラスだろうが、みんな気ままに好きな教室でお昼を食べていた。

 日本にいる3人で集まったのが3月。(35年のつきあい
 あまり時間が経っていないが、Kちゃんはそう帰国しない。
 むーくん(夫)が勤務を早いシフトに変更し、ノコ(娘小4)のお世話を引き受けてくれた。こういうとき、むーくんは頼まなくても私が外出できるようすぐ動いてくれる。ありがたい。仕事を持つ2人も勤務時間を調整。
 どうにか4人で集まることができた。

 時折連絡は取り合っているものの、頻繁ではない。
 それでも会えば、まるで昨日も会ったかのようにすぐお喋りに花が咲くから不思議だ。
 そして、ふと思う。
 同世代で同じ高校の女性という共通点はあるものの、その後、今日まで歩んできた道はさまざまだ。分岐点で選択して、選択して、たくさんの選択が積み重なり、それぞれの「今」がある。
 たった4人ゆえ、ここに社会の縮図を見ることは難しい。
 それでも高校生の頃は受験という学力のふるい、私立だったため親の経済力や教育方針といったふるい、それらのふるいに残った者同士だったのに、今のあり方が多様過ぎてびっくりする。

 ふと疑問が浮かんだ。
 世界まで規模を広げるとまとまらないだろうから、しぼって日本国内において一番多い「人」のさまはどんなのだろう。
 年齢、学歴、職業の形態、家族のかたち、趣味、生活習慣・・・などなどあらゆるカテゴリーで多数派に複数属する人物像。
 いわゆる「普通」と呼ばれる人たち。
 今や「普通」はまぼろしとなり、その人物像を聞いても身近にいなくてピンとこないかもしれない。

 総務省統計局のホームページを見ると、2022年10月現在、日本の人口は第1次ベビーブーム第2次ベビーブームが多い。まさに私の母が第1次ベビーブームで、私が第2次ベビーブームだ。
 母と私の同世代の人たちに「普通」が多いはずだと考えるのは、統計をよく理解していない私の浅慮だろうか。友だちが多いほうではないので、参考にならないが、私と同世代の友だちを見てもこんなにバリエーションが豊かで「普通」が見えない。

 さまざまな人の顔写真を重ねて合成した平均顔がいそうで、いない顔立ちになるように、多くの人が思い描く「普通」の生い立ちというものもありそうで、実はないのかもしれない。

 友だちと楽しく過ごした帰り道。
 夜を走る電車の窓ガラスに自分の顔がうつっている。それをぼんやり見ながら考えた。

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