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ギプスが外れた!

#20250221-517

2025年2月21日(金)
 ギプスが外れた

 右手首を骨折してから26日間
 ギプスはずっと私の右手首を守ってくれた「相棒」でもあった。それが外されて心細いような、でも動きを制限されてもいたので解放されたような、なんとも複雑な気分だ。

 自慢じゃないが、今まで体のあちこちを骨折している――骨がもろいわけではない――私としては、ギプスを切断する電動ギプスカッターははじめてではない。
 処置室にて、看護師さんが勢いよく回転する円盤状の刃を自身の腕に当てた。
 「皮膚は切れないので、安心してくださいね」
 毎回なぜ硬いギプスだけが切断できて、やわらかい皮膚が切れないのか不思議なのだが、恐怖はない。
 看護師さんが油性マジックで切っていく場所に線を引いた。
 親指から肘までと小指から肘までの2本。そこを切断し、カパッと蓋と器のように開くようだ。
 「振動で気持ち悪いかもしれませんが、私もそうなので頑張りましょう」
 そういわれて、刃を持っている看護師さんも同じ振動を受けるのかと改めて気付く。
 ブブブブブ・・・・・・という細かな震えは、なんだか正座したときの足のしびれに似ている。
 「うわぁ、しっかり巻いてありますね」
 電動ギプスカッターだけでなく、植木屋さんが使う大きな剪定挟みのようなギプスカッターも使う。切断面にギプス開排器を差し込むとグッと広げ、ようやくナマの腕とのご対面となった。
 「臭いと思います。ごめんなさい」
 思わず、私は口走った。2週目はパンのようなかぐわしい香りだった指の根本あたりは、3週目になると醤油じみた香りに変化していた。
 「子どもなんて凄まじいですから、このくらいはしないほうです」
 やはり子どもは違うのか! 思わず吹いてしまった。

 看護師さん曰く、救急でここまでしっかりギプスを巻くところは少ないという。
 添え木をして、翌日専門医を受診という流れが一般的だと聞き、大学病院の救急外来であったし、医学生らしき5人に囲まれたなか、医師が説明をしながら処置が進んだことを思い出した。お手本になるような処置をしてくれたのかもしれない。
 レントゲン撮影をした後に診察となる。
 医師がいうには、少し手首側の尺骨がずれているが、後遺症が残らない範囲だという。
 利き手なのでこのままリハビリテーションはせずに、とにかく痛くても使うよう指示が出た。湿布を処方され、1週間後に骨の状態と可動域の確認となる。
 家のなかでは腕を吊るアームスリングは外して積極的に右手を使うこと、外出時はまだ動かせないので、安全と怪我の周知のためにアームスリングを装着することといわれる。

 「絶対安静」といわれていた右手を「積極的に使え」といわれても、なかなか頭が切り替わらない
 その上、動かすと痛いのだ。
 痛いのをあえて動かすというのは、本能にさからうのか難しい。
 26日間とはいえ、すっかり左手が補うことに慣れてしまった。

 整形外科を出ると、もう13時を過ぎていた。
 ひもじくて、めまいがする。
 家路にあるファストフード店で丼ものをテイクアウトする。
 注文のタッチパネル操作も会計もつい左手でやってしまう。
 むーくん(夫)にLINEで状況を説明するのも左手だ。

 ――右手を使えっていわれてもなぁ。

 指先は動くが、グーパーはしっかりできない。特に握りは甘く、指を軽く曲げている程度でなにかを掴む力はない。手のひらを上に向けることも痛くて困難だ。
 帰宅してすぐに丼ものをむさぼるように食べはじめたが、まず右手でスプーンを握ることが痛くてできない。なんとか持たせても、たった一口の具とご飯の重さを支えられない。手首をまわせないということは、スプーンを口許に運ぶこともできない。
 痛さと空腹に耐えかねて、私は即スプーンを左手に持ちかえた。
 そして、がっつき終えたところで右手の使えなさに呆然とした
 ギプスは外れたが、まだまだ介助してもらわないと日常生活がまわりそうもない。
 地味に痛い。
 持続する痛みは神経を削る。
 
 ――疲れたぁ。

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森谷はち🐝里母&子育て&読み聞かせ
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