1ヶ月って、およそ30日じゃん。~父のこと②~
#20240925-469
2024年9月25日(水)
父の主治医に呼ばれて、都内にある大学病院へ足を運んだ。
父が入院する病室と同じフロアにある説明室に通され、父、母、妹、私の家族4人が久し振りにそろった。病院側は主治医、入退院担当の看護師、退院後をサポートする窓口の看護師の3人。
主治医は私と同じ年頃だろうか。
父の病状を発症から現在まで、ときに検査画像もまじえながら丁寧に説明した。
患者とその家族が抱くであろう疑問や不安を口にする前に的確に教えてくれる。医師は知識や技術はもちろん、コミュニケーション能力も重要だとしみじみ思った。
父の血液検査の数値を示しながら、医師がいう。
「こんなふうにスタスタ歩いている姿を見ると、嘘みたいでしょうが」
白血球、赤血球、血小板の数値はどれも低く、数値があがっているところは輸血したからだという。
「残された時間は、1ヶ月ないと思います」
医師が断言した。
私は横目で父を見やる。首にある手術の跡は重ねた年による皺もあって深く見え、痛々しいが、思ったより痩せてもいない。
天井を父は仰いだ。
「そっかぁ。3ヶ月はあると思ったけどなぁ・・・・・・」
ふうと息を吐くと、医師に視線を戻す。
「1ヶ月とはなぁ。そりゃちょっと、思ったより短いな」
祖父、父の父が亡くなったのは20年ほど前。父はかなりうろたえて見えた。
あまりの短さに実感がないのか、それとも表面上そう見えるだけなのか、自分のこととなると別なのか、今の父はなんだか呑気にすら見える。
「いやぁ、うちの家系は長生きなもんでね、オレもてっきりあと10年は生きるもんだと思っていたし。今回のことがあっても、3ヶ月はあると思っていたもんでしてね」
手術後の気道の腫れにより、気管切開をした。縫合していない首元から空気が漏れる。フシューフシューという音が父の言葉に重なり、なんだか映画「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーのようだ。
「この姿を見ると、信じられないですけどね」
医師は余命について肯定も否定もせず話をすすめた。
明日、一時退院をすること。
それはあくまで「一時」であり、容体がよくなったからの退院ではない。動けるあいだに帰宅し、家でやり残したことを済ませてきてほしいという。
「本人でないとできない手続きもありますしね。役所とかも行かないといけないでしょう」
白血球、赤血球、血小板の数値が激減している父は、今、HIVウイルス感染者並みの免疫力の低さだという。インフルエンザなどに感染すればあっという間に悪化するし、万一ケガのひとつでもすれば出血が止まらない。外界に出ても耐えられるよう、輸血をして一時的に数値をあげてからの退院となる。
突然の話に、「本人でないとできない手続き」がなにを指しているのか浮かばない。
主治医に具体的にどんなものなのか問う。
「相続とか、ですね。もめるご家族ともめないご家族と半々です。ご本人が頭も体もしっかりしているうちに済ませておいたほうが残されたご家族が救われます」
「あとは、墓かぁ・・・・・・」
父は自宅でなすべきことを頭のなかで挙げているようだ。
医師の説明は続く。
延命処置は必要か。
一時退院からもどり次第、病状に適した抗がん剤を探していくつもりだが、保険外の薬も使用するか。
最期は自宅で過ごしたいか。
それともホスピスなどを利用するか。
並べられた選択肢から、選び、決め、父の生きる道筋を作っていかねばならない。
骨にまでがんが転移してしまった父の体はもう血が作れないのだという。輸血するにも限界があるそうだ。
こうなると、骨に痛みがあるはずらしいのに、父は首を傾げて笑う。
「いンや、オレ、痛みの神経かなんかおかしいのかねぇ。ちっとも痛くないんだわ」
そのとぼけた笑みは、痛みを我慢しているようには見えない。
不思議だけど。
余命1ヶ月の話をしているのに、父がこの調子だからだろうか、説明室のなかは笑みが飛び交い、あたたかい。
父の人柄か。
喪失感に胸がつぶされそうなのに、私も思わず笑ってしまう。
1ヶ月って、およそ30日じゃん。
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