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絶対、餃子は食べない。

2023年2月5日(日)
 ノコ(娘小3)の習い事が昼過ぎまであるため、昼食は習い事の近所で食べる。
 食が細いノコの場合、昼食が遅くなると、夕飯が入らなくなる。だから、できるだけ食事時間は規則正しくありたい。
 駅前ということもあり、洋食、中華、イタリアン、パン屋とさまざまなチェーン店が並ぶ。レッスンを終えたノコに「何、食べたい?」と尋ねると、「ラーメン!」と叫んだ。

 中華料理店は量が多めなので、ノコと二人のときはちょっと躊躇う。大食のむーくんがいればいいのだけど。私は外食の一人前がキツイので、ノコが残しても食べられない。
 ノコがメニューを見ながらいう。
 「餃子も食べたいからぁ、ママの餃子ちょうだい
 「ママが餃子を頼むとは限らないよ」
 私がまだ何を食べるか決めていないのに、勝手に決めないでほしい。
 “勝手に決めないで”は、最近のノコの口癖だ。
 今日は絶対に餃子はやめよう、と決意する。我ながら大人げないけれど。
 「ママは天津飯にしようっと」

 「じゃあ、私はラーメンと餃子!」
 「お子様ラーメンと餃子3つでいい?」
 「ヤダ。それじゃ足りない」
 「大人のラーメンにするの?」
 「大丈夫。腹ペコだし」
 ノコは食欲にムラがある。だが、大抵小食で食べない。今朝だってほんのチョッピリの朝食すら残した。そして、たまに心配になるほど食べ、その後まったく食べなくなったりする。
 だから、ノコの食べる量は3年半一緒に暮らした今も読めない。

 ラーメン1つに餃子3個、天津飯1つ注文する。
 ノコの手前、残したくない。完食したものの、最後の数口が多くて胃が痛くなる。泣きたい。
 ノコは餃子をさっさとたいらげる。ラーメンは熱いので、小さな器に移してすする。麺ばかり先に食べるので私が具を優先して器に入れる。
 「お腹いっぱい
 そういって、ラーメンと餃子がのったトレイをノコが私の方へ押しやる。
 半分は残っている。
 私は残すことに罪悪感がある。それもこんなに。だけど、私だってもう食べられない。

 いつもなら完食できるといったノコに一言いってしまう。「お子様ラーメンにすれば完食できたのにね」とかとかとか。
 今日はあえていわないでみる。
 外でも家でも残したことに何もいわないほうがいいのだろうか。
 食べる量は人それぞれだ。

 今日の注文だってそうだ。
 残すのがイヤならば、ノコと私二人の総食事量を考えて注文すればいいのか。もし思いのほかノコが食べたとしても私が帰宅してから何かつまめばいい。
 まだ食べられる量がわからないノコに好きなものを注文させ、完食できるか、残してしまうかという経験を積ませるか。残さないことを目標に私が我慢しても完食できるだけの量を注文するか。

 私のなかでどの優先順位が高く、何に嫌悪感を抱くのか自問する。
 ノコとしては、食べたいものを食べたいだけ食べられれば心身ともに満たされるのかな。
 私は正直自分に我慢も強いたくない。せっかくの外食だ。私だって好きなものを好きな量で食べたい。
 でも残すことで私の気持ちがガサガサするのならば、ノコと二人シェアを前提で注文をし、足りなければ帰ってから何か食べよう。分けるのだから、互いに食べたいものを相談して決めればいい。どちらかを優先したり、どちらかが我慢したりするからややこしくなるのだ。
 結果、懐にもやさしいし、食べ過ぎて私の胃が痛むこともない。

 多分子どもがいる家庭ではごく普通にしている外食方法だと思う。
 それがなんだかハードルが高くて腹立たしいのは、このところのノコの言動のせいだと思う。
 我が家に来て3年半のノコ。
 体は9歳だけど、心の年齢は3歳のところがある。ノコの心は9歳と3歳を行ったり来たりする。
 最近のノコの「ヤダヤダ」は9歳の中間反抗期なのか、2歳のイヤイヤ期なのか。

 どっちにしろ、メニュー1つで腹を立てている私も大概大人でないっていうことだな。

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森谷はち🐝里母&子育て&読み聞かせ
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