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無職で鬱のオレがプロのヒモと出会った話【小説/第1話】
【作品紹介】
仕事帰りにゆる~く読める! ライトなコメディ小説です。よかったらどうぞどうぞ。
1話目:約5千字強
ジャンル:コメディ、恋愛小説
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その日、新宿のまんなかで拓人(たくと)は追われていた。どれだけ振り切ろうと走っても、三人のいかつい男たちが追いかけてくるのだ。
「てめえ! 待てや、コラァ!」
「ボスの女に手ェ出しやがって!」
拓人は息を切らし、みっともなく手足をバタバタと動かして夕暮れの街を走った。駅に向かう人々と肩がぶつかり迷惑そうな顔をされる。新宿は治安の悪さで知られた繁華街だ。ああまたガラの悪い若者がなにかで揉めている、そんなふうに言いたげな視線が四方から自分を刺した。拓人はほとんど泣きそうになる。
(くそっ、くそっ、おれだって、なんでこんなことになってんのか、わかんないよ……!)
男たちはすぐそこに迫っていた。あとすこし手を伸ばせば今にも届きそうだ。拓人は酸欠の頭で、どうしてこんなことになったのかを考えた。
十分ほど前、山崎拓人(やまざきたくと)は新宿駅東口のロータリーで一人ぼうっと立ち尽くしていた。帰宅ラッシュの時間帯で辺りはざわついている。
コンクリートで埋め尽くされた都会でも駅前には申し訳ていどの木々があり、黒いフェンスで味気なく囲まれていた。街頭ビジョンの音楽に合わせてときどきパーカーの背中をフェンスに打ちつけながら、拓人は行き交う人々の横顔をながめている。長くつづいた冬が終わり、春先でみなどこか浮かれた雰囲気だ。
家にはまだ帰りたくない気分だった。産業医(さんぎょうい)からの帰りはよくこんな気持ちになる。産業医というのは会社員の健康をケアする医師のことで、拓人が勤めていた不動産会社の産業医は新宿に医院をかまえていた。月に一度、「傷病(しょうびょう)手当」の補助金を受けとる手続きのために拓人はこの街を訪れている。
新卒で入った会社は三年で辞めた。去年のことだ。鬱(うつ)だった。業界の中でも毎月のノルマはゆるやかな企業だったが三年経っても営業成績がふるわない自分の情けなさを許せず、気がついたときには「抑うつ状態」の診断が下りていた。
拓人はハアッとため息をつく。くたびれた顔で帰路につくサラリーマン、出勤中とおぼしき水商売風の女性、学生、楽しげに肩を組んで歌舞伎町へ消える若者たち。行き先はバラバラだったがみなしっかり目的地があって、そこへ向かってまっすぐ歩いている。
ガタンゴトン、ガタンゴトン。喧騒(けんそう)の向こうでJRの電車の音がきこえる。拓人は目をつむり、子どものころに遊んだおもちゃの電車を思い出す。
昔はプラレールが好きだった。曲線と直線のパーツを組み合わせて、自分の好きなコースを作るのだ。そうして出来上がった水色のレールの上を、新幹線がビューンと走る。幼稚園のころはお年玉をもらうたびにセットを買い足してコースを広げていたものだ。
小学校低学年まではよく遊んで、中学年に上がるとテレビゲームがだんだんと主流になり、気がついたら、おもちゃ箱にはさわらなくなっていた。
あるいはあのときのプラレールの復讐だろうか。拓人は今、すっかりレールから外れた人生を歩んでいる。否、歩んですらいない。止まっている。停滞している。二十五歳の拓人は新宿の片隅でぽつんと立ち尽くして、周りのみなが自分のレールを行くのをうらやましげに、ただただじっとながめている。
「……はあ」
重い腰を上げ、JRの入り口を振り返った。いつまでもここでぼうっとしているわけにもいかない。夕飯を用意した母親が待っているはずだ。いいかげん帰ろうと一歩踏み出し、あれ、と目を見ひらく。
雑踏の中、まっすぐに自分を見つめる男がいる。背が高く、鋭(するど)い一重の塩顔。くしゃくしゃの黒髪で、黒い長そでのパーカーに着古しただらしないジーンズを合わせていた。二十代、いや、三十代だろうか。見ようによっては拓人より年下のようにも見えるし、あるいはずっと年上のようにも感じられた。
射抜くような視線にたじろいでいると彼はズンズンと歩いてきて、ガッ、と拓人の肩を抱く。
「いよっ! 元気ぃ?」
「えっ」
どこかで会ったことのある相手だろうか。会社や学校を思い出してみるけれどこんな顔は記憶にない。
「え、えっと、あの」
「ね、ちょっと頼みがあんだけどさ」
男は拓人の耳に顔をよせ、目の前の横断歩道を指でさした。
「あのさ、今からここを、ダーッと走ってくんない?」
「へ?」
「頼むよぉ~、ね、ね、一生のお願い! お礼はするからさあ~」
意味がわからず拓人がとまどっていると、「急いでるんだ」と男は困った顔をする。しかたなくナナメ掛けのリュックを背負いなおし、男に言われるまま拓人は走った。横断歩道を渡って向こうの歩道にたどりつき、これでいいのだろうかと振り返る。その瞬間、通りに怒声がひびきわたった。
「ゴラァーッッ! てめえ、待て、コラ!」
「え、えっ?」
いかにもヤクザか半グレのような男たちがこちらをにらみつけ、一直線に走って来るのだ。わけもわからぬまま拓人は逃げ、そうして今にいたっている。
伊勢丹(いせたん)の大きなビルの前を通りすぎ、信号をわたって拓人はとにかく目についた方へ走った。明かりがちらほらとつき始めた飲み屋街で足がもつれ、アスファルトに倒れこむ。もう限界だ。全身燃えるように熱くて立ち上がる気力もない。ゼエハアと肩で息をしていると、男たちがやって来て拓人を囲んだ。
「くそっ、面倒かけやがって、このっ……あれ?」
「なんだよ、どうした」
「い、いや、兄貴、こいつ」
「あァ? ……あ?」
三人は拓人をのぞきこむと、あっ、と声をもらした。
「……やばい、やらかした」
「え?」
汗だくの拓人が聞きかえすと、右手にタトゥーを入れた男は疲れた顔でしゃがみこんだ。
「わり、兄ちゃん、人違いだわ」
「え……えっ、ええ?」
「いや、兄ちゃんも悪いんだぜ。逃げたりすっから、こっちだって追いかけちゃうじゃん」
「服だってそっくりだし。カバンも黒いから気づかねーし」
「フードかぶってたし、完全にあいつだと思ったよなあ」
「まあ、たしかに、なんか小せえなあとは思ったわ」
拓人はまじまじと自分の服装を見下ろした。黒のパーカーにジーンズ。どこかで見たようなと思ってハッと気づく。先ほどの男だ。どうやら肩を組んだときに拓人のフードを頭にかぶせて自分の身代わりにしたらしい。合点のいった拓人は疲れ切って道路にもたれこんだ。タバコのカスやビールの空き缶で路地裏は汚かったがどうでもよかった。肺いっぱいに息を吸い、とにかく誤解が解けたことにほっとする。
男たちは勘違いを詫びると、男を探してまた駅の方へ歩いて行った。拓人は道路に寝転がって体を休ませる。
たまに目を開けると、ハイヒールや革靴が見えた。いかにも飲み屋街で倒れた酔っぱらいみたいな拓人を避け、みなさっさと歩いてゆく。非日常の緊張に飲みこまれた体はぐったりと重く、起き上がれる気はまだしない。
ぼんやりまた目を開けてみると、しかしすぐそばに自分をのぞきこむ顔があってワッと飛びのいた。背後の店のシャッターに後頭部を打ち付け、おもわず頭をおさえる。自分をのぞきこんでいた男を見上げ、はたと気づく。
「あっ! さ、さっきの」
拓人を身代わりにした男だ。青いスカジャンをパーカーの上にはおり、色付きの丸いメガネと黒いマスクを身につけている。拓人が逃げているあいだに服を買って着替えたらしい。拓人は男の胸元をつかんで食ってかかった。
「あんた、なんなんすか! おれ、マジで殺されるかと思ったんすよ、あいつら絶対カタギじゃないし!」
あははと男はかるく笑った。
「わり、わり。オレも慌ててたんだよ。飲み屋で知り合った相手がヤクザの女だなんて思わないじゃん。いやマジ助かったよ、メシおごるからさ、ついてきてよ」
新宿三丁目駅から丸の内線に乗り、お茶の水でフラリと降りると男は拓人を連れ、その辺のてきとうな中華料理屋に入った。カケルと名乗った男はボックス席の薄汚れたソファに座り、拓人も向かいのソファに掛ける。
「タクちゃん、好きなもの頼んでね」
プラスチックの安っぽいメニューを指さして、カケルは馴れ馴れしく拓人を呼んだ。おごると偉そうに言ったわりにラーメンもチャーハンも安い。拓人は太い眉をムスッとよせ、目に入った料理を片っぱしから注文してやった。愛想のないアジア系のおばさんが気だるげにうなずいてメモをとり、厨房に向かって中国語で注文をつたえている。
ややあって料理がやってくると、拓人はようやくわずかに機嫌を直した。四川(しせん)風のマーボー豆腐はほどよい辛さでピリッとうまく、八宝菜はエビが甘くてぷりぷりしている。チャーハンはパラッと軽くていくらでも入りそうだ。慣れないことに疲れて腹がへっていたので、拓人はバクバクと夕飯をかきこんだ。
「あはは、タクちゃん、いい食べっぷりだねー」
「まあ、けっこう走ったんで」
「ホントにわるかったって。好きなだけ食べていいからさ、も~怒んなよ。オレが財布出すの、ホントにめずらしーんだぜ。しかも、男相手に」
「そうなんれふか?」
マスクをはずしたカケルはそばで見るとまあまあの男ぶりで、正統派のイケメンではないが野性的な魅力がある。話し方もチャラいし、たしかに女性にモテそうだ。
拓人がハイボールをあおっていると、口のまわりにビールの泡をつけたカケルはジーンズのポケットからスマホをとりだした。
「おー、ユイ。どした。……うん、うん。あ、そうなの。じゃ、あとで牛乳買ってくわ。はいはい、はーい」
電話口の相手はどうやら彼女のようだった。カケルは通話を切って携帯を机の端に置く。数分後、またしてもスマホは振動した。
「もしもーし。リコ? おー、大丈夫。なに? ……いやマジか。ヤバいじゃん。絶対行くわ。土曜ね、オッケー。んじゃねー」
拓人はさすがに箸を止め、向かいの男を白い目で見た。電話を終えたカケルはムッと片眉を持ち上げる。
「タクちゃん、今こいつ二股かよって思ったっしょ」
「……まあ、思いましたけど」
「勘違いしないでよね。三人いっから」
「えっ」
「言っとくけど三股じゃないんだぜ。オレ、全員に「仲のいいお友だち」って言ってるから。彼女じゃねーから。ここ重要ね」
「は、はあ……」
オレ「ヒモ」やってんのよ、とカケルは言った。女性に働かせて自分はその金で暮らしているらしい。
「ヒモだって大変なんだぜ。三人それぞれの記念日覚えてなきゃなんねーし。半年ごとに記念日のプレゼントしてっかんね。ま、女の金だけど」
「はあ。クズっすね」
「ちょっ、話聞いてた? いやほんとさ、オレはオレで、プロとしてがんばってヒモやってんの。昔は普通に一人の彼女に食わしてもらってたんだけど、その子に捨てられてオレも学んだんだよね。ヒモもさ、リスク分散が大事なのよ」
「リスク分散?」
カケルは三本の指を立ててみせた。
「そう。ポイントは常に三人のヒモになること。このとき結婚願望の強い女は狙わない。おすすめは看護師。金持ってるし、自立志向でメンヘラ率が低いんだよね。水商売の女は絶対ダメ。金持ってるけど精神グッチャグチャ。刺される可能性ある」
「一生涯使わない知識っすね」
「え~~~~っ! そういうタクちゃんは何やってんのよ、仕事」
「え」
不意打ちに拓人は言葉を詰まらせた。無職になって一年、この問いが一番気まずい。職を辞してすぐのころは辞めたばかりだと一応言い訳できた。仕事もせずハローワークの職業訓練に通う自信すらもなく、部屋で横になってぼうっとスマホを見ている。実家暮らしで両親に申し訳ないので家事だけはいくらかするようになった。月に一度産業医の病院と心療内科に行く。そんな自分をなんといえばいいのか拓人にはわからない。
拓人が口ごもっていると、カケルは「わかった」とこちらに人差し指を向けた。
「タクちゃん、ニートだ!」
「ッ! きょ、去年までは、不動産会社にいてっ」
「ああ。じゃ、今は無職なんだ。なんで? 鬱? パワハラ?」
グサリと心臓を一突きにされたような思いがした。拓人は赤くなってうつむき、小さな声でぼそりと言う。
「……会社の人たちは、いい人だったんです。ただ、自分が仕事できないの、おれが許せなかっただけで」
「あ~~~~、タクちゃん鬱だ。鬱だよそれ、鬱」
(なんだよ、そんなこと。自分が一番わかってるよ、くそ)
そこから変わりたくても変われないから困っているのだ。目頭がじわりと熱くなる。やっぱりこんなやつ助けなきゃよかった。しかしカケルはのんきに言った。
「いや~~、オレの元カノもさ、なったんだよね、鬱。しんどいよね。わかるわ。オレあんときずっとハルカのメシ作ってたもん」
「え?」
拓人はおもわず顔を上げた。
「……カケルさん、料理とかするんですか?」
「え? しないよ、普段は。でもさ、しょーがないじゃん、ツレがベッドから出てこないんだもん。オレが作るしかないじゃん、コンビニメシ飽きるし」
すこし意外だった。ヒモというくらいだから相手が病気になったらまた他の相手を探すのかと思ったのだ。カケルはイヤイヤと首を振る。
「オレだってそこまで人でなしじゃないよ! タクちゃんオレのことなんだと思ってんのォ? ま、たしかにクズだけどぉ、病気の女ひとりほっぽって見捨てたりしないよ、さすがにさあ」
「そうなんだ」
「そうよそうよ。もう、失礼しちゃう!」
カケルはふざけた口調ですね、拓人は気づけば笑っていた。カケルはハッキリものを言うので面食らうけれど、そこまで悪い人間でもないように思えた。会計を終えたカケルと連絡先を交換して、その日はお茶の水駅で別れる。
帰りの総武線の車内で、自分がすこし匂うことに気がついた。汗のすっぱさがただよっていたし、新宿の汚い道に寝ていた名残もあるような気がする。中華料理屋の脂っぽさもまじっていた。すぐそばの吊り革をつかんでいた女子高生と目が合ってそそくさと距離を置く。
やはりすこしくさかったけれど、なぜか気分はスッとしていた。あんなに体を動かして汗をかいたのはいつぶりだろうか。電車に揺られていると、うつらうつらと眠気がやってくる。久しぶりに、よく眠れそうな気がしていた。
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お読みいただきありがとうございます。
オリジナル小説「ターミナルカフェ」冒頭より、第1話です。
週二度更新。
↓第2話はこちら↓
よかったら主人公の拓人くんの成長を見守っていただけるとうれしいです。
筆者は小説家志望で、エッセイや短編小説などのお仕事も募集しています。
どうぞよろしくお願いします。
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