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ターミナルカフェ/2話
本日2話更新。今ならまだリアルタイム連載を楽しめます!
仕事帰りにサクッと読めるコメディです。
↓1話のあらすじです!↓
25歳、無職の拓人はあてもなく新宿をさまよっていた。そんなとき「プロのヒモ」と名乗る男、カケルと出会う。
「ヒモもね、リスク分散が大事なわけ。ポイントは常に三人のヒモになること。結婚願望の強い女は狙わない。おすすめは看護師。水商売の女は絶対ダメ。刺される可能性ある」
↓そんな1話はこちら↓
↓そして第2話はこちらです↓
↓よろしくどうぞ↓
「へえ、山崎さん、なんだかおもしろい方と知り合ったんですねえ」
数日後、いつもの診察におとずれた心療内科で田代(たしろ)医師は興味深げに言った。パソコン机をはさんで向かいの席に座り、拓人はあいまいにうなずいてみせる。ヒモの件はぼかしてカケルの話をしたところだった。患者の相談が長引きがちな診療科にもかかわらず、田代先生は話をよく聞いてくれる。中肉中背で四角いメガネ。四十代くらいの落ち着いたおじさんだ。
「お薬はどうしましょうか。夜ちゃんと眠れてます?」
「途中で何度か起きちゃって、ちょっと困ってます」
「なるほど。うーん、じゃあ……」
田代先生はモニターを見つめて薬のバランスを考えている。拓人は内心、運動不足のせいなんだな、と思っていた。今まで気づかなかったが当たり前の話だ。昼間ゴロゴロしているのだから夜寝られるはずがない。新宿の一件があった日は朝までスヤスヤよく眠れた。
気持ちがしんどくない日はすこしくらい散歩をしてみよう。そう思ってから拓人はそんな自分におどろいた。鬱になって以来そんなことを考えたのは初めてだ。
田代先生に礼を言って薬局で薬を受けとり、拓人はおだやかな春の夕べを歩き始める。錦糸町は外国人が多かった。ときどき何語かわからない言葉を耳にしながら、慣れた道を駅まで歩く。
拓人は東京都葛飾(かつしか)区の新小岩生まれ、新小岩育ち。錦糸町からは総武線で五分ほどだ。家の近所には昔からの知り合いも多く、心療内科に出入りするのを見られるのは気が引けたので、すこし離れたところの病院に通っている。錦糸町はガヤガヤと人通りが多い。知人とすれちがっても気づかれる確率は低い。
いつもの黄色い電車で地元に帰ると拓人はワイシャツの襟を正し、駅を出て南口にあるスターダストコーヒーにやって来る。スタダは外国発祥のチェーン。おしゃれな雰囲気が若者に人気のカフェだ。今日も店の外まで列ができている。
拓人は三十席ほどの店内を見回して、長机の青年が椅子から立つのを見つけた。てきとうな荷物を置いて席をとり、前髪をそそくさと直して注文の列にならぶ。十五分ほどで自分の順番がやってくると、ドキドキしながら上ずった声を出す。
「どっ、ドリップコーヒーの、しょしょ、ショート、ください」
噛んだ。恥ずかしい。店員の若い女性はしかし拓人を笑いもせず、「ドリップのショートですね」とキビキビ注文を復唱する。
「はい、ちょうど頂戴します。ありがとうございます、あちらのカウンターでお待ちください。……二番目にお待ちのお客様、こちらのレジへどうぞ」
拓人は名残惜しい気分でのろのろとレジを後にした。エプロンの胸に「mio」と書かれた名札をつけた女性、ミオは拓人がひそかにあこがれる相手である。背が低く、黒髪をいつもきっちりと後ろで縛っていて、パッチリと大きな黒目がチャーミングだ。細身だが白い頰だけがふくふくしていて愛嬌がある。
(はあ、ミオさん、今日もかわいいな)
長机の片隅に座って一番安いコーヒーを飲みながら、ちらちらとミオに視線を送る。ミオは小柄だがスコップでパワフルに冷凍庫の氷をすくい、手ぎわよくフラッペを仕上げている。たまに見せる笑顔がすてきだ。
自分はヘンな格好をしていなかっただろうかと心配になって、拓人はしげしげと己を見直した。会社勤め時代のワイシャツとスラックス。スマホの自撮りモードで確認した顔はいつもどおり。面長でセンター分けの黒髪、眉は太く、きっぱりした二重。今日は昼過ぎまでうとうと寝ていたが、目ヤニはついていないのでほっとした。周囲には会社帰りらしき姿も多い。ワイシャツでカフェにいるのはそんなにおかしなことではないだろう。
ほっと胸を撫で下ろしていると、手の中のスマホが振動した。カケルからだ。
「もしもし、カケルさん?」
「タクちゃん! 今、時間ある?」
電話口のカケルはあわてているようすだった。
「あるけど、どうしたの」
「あ〜〜! よかったあ、悪いんだけどさ、今すぐ綾瀬(あやせ)まで来てくんない?」
「へ?」
「頼むよぉ、緊急なんだよ、ね、お願い! 助けてタクちゃん!」
この前みたいな面倒に巻き込まれるのだろうかと迷ったが、カケルはよほど切羽詰まっているようだ。拓人は渋々うなずいて電話を切った。綾瀬ってどこだっけ。調べてみるとおとなりの足立区で、バス一本で行けるらしい。四十分かかるが片道二百円そこらで行けるならまあいいかと思って、言われたとおりに綾瀬へ行く。
見慣れぬ駅前に着いてみると、新小岩とおなじような下町だ。向こうの東口には真新しいピカピカのタワーマンションがそびえていたが、待ち合わせの西口は雑然としていてなんだかほっとする。
バスのロータリーですこし待っていると、カケルがやってきた。今日はグレーのタンクトップにだぼっとしたカーディガン。気に入ったのか、この前の色つきメガネをかけている。
「やー、わりいね、急に」
「ほんとっすよ。で、なんすか、緊急って」
「ままま、ここからすぐだからさ、ちょっと付き合ってよ」
「おれ、こないだみたいのはイヤですからね」
ヤクザに追われたときのことを拓人が持ち出すと、カケルは首を横に振った。
「全然。今日は安全な緊急だから!」
「なんすか、安全な緊急って」
へらへら笑ったカケルに背を押され、渋々連れ立って歩き出す。
連れて来られたのは古びたアパートだった。見るからに木造の二階建て。築五十年は超えてそうな貫禄。拓人は眉間にしわを寄せた。
「ほんとに大丈夫すか、これ」
「だいじょぶだいじょぶ、信じてよオレを~」
あいかわらずうさんくさい言い方でそう言うと、カケルはインターフォンも鳴らさず一階の一号室に入った。拓人はオッとすこしおどろく。外装の古さとくらべると室内は思ったほどではない。少々タバコくさいがほっとして革靴を脱いだ。玄関には男物のスニーカーやサンダルが数人分ころがっている。
部屋に上がるとすぐ左にキッチン、目の前に小さなダイニングテーブル、正面の障子の向こうに和室がある。壁はタバコの煙で黄ばみ、男の一人暮らしとおぼしき室内はいささか散らかっていたが、家具がモダンな調度で統一されているおかげで部屋自体は意外とおしゃれだった。和室の真ん中には丸いこたつが置かれ、麻雀(マージャン)の牌(はい)が散らばっている。
こたつの奥に座ったおじさんが片手を上げた。草色のハンテンを着ているところを見ると、どうやらこの人が家主のようだ。しゃがれた声がたずねる。
「カケルちゃん、四人目、そのコ?」
「うん、友だちのタクちゃん。タクちゃん、麻雀やったことある?」
「へ?」
「ああ、いいよいいよ。教えてあげるから、こっち座って」
家主のとなりの精悍(せいかん)な男性が手招きした。六十代前後の家主に対してこちらはひとまわり若そうだ。丸ごたつの横に腰を下ろしながら、拓人はカケルをジロリとにらむ。
「カケルさん、急用って言ってましたよね? 助けてくれって」
「え? ああ、そうそう。急に一人来られなくなっちゃってさ」
「いや、麻雀のどこが緊急なんすか?」
「まーまーまーまー、タクちゃんだっけ? 一杯やってくださいよ。カケルちゃん、アサヒでいい?」
「ゲンさん気がきくう」
家主のゲンさんはかたわらの缶ビールを二人に手渡し、横にいた坊主頭の男を紹介した。ゲンさんの後輩で、信二というらしい。
「じゃ、かんたんなルールから始めるから、わかんないとこあったら気軽に聞いてね」
信二は麻雀の基本的な遊び方を教えてくれた。ざっくりといえばポーカーとおなじ。強い組み合わせを集めていくゲームだ。自分の手番になったら山札から牌をひとつ取ってひとつ捨てる。絵柄や数字がそろうと「役」になり、すべての手牌が役になったら上がれる。役の出来次第で点数が決まり、得点が一番高かった人が勝ちである。それ以外は遊びながら覚えることになり、おじさんたちはさっそくジャラジャラと麻雀の牌を混ぜはじめる。
初心者の拓人は不安になって、カケルを振り返った。
「カケルさん、おれ、金ないんだけど」
「ああ、大丈夫。賭けないから。な? ゲンさん」
古ぼけたハンテンをはおったゲンさんは、しわのたるんだ顔でうなずいた。
「そそ、健康麻雀、健康麻雀だから」
「ケンコーマージャン?」
聞き慣れぬ単語に拓人は首をひねる。賭けない、飲まない、吸わない麻雀のことだと信二が言う。
「いや、飲んでるし、めちゃめちゃ吸ってるじゃないすか」
つっこむと三人はガハハと笑った。ゲンさんは左手に持ったタバコを灰皿にポンポンとやり、また一口吸って吐く。白い煙を揺らしながらあっさりと言った。
「賭けてないんだから健全よ、健全麻雀。健康、健康!」
「は、はあ……」
「ゲンさん生活保護だからさ、儲けちゃうと面倒なことになんのよ」
「えっ……そうなんすか?」
生活保護の人に会うのは初めてだったし、拓人はその仕組み自体をよく知らない。ときどきテレビのニュースで不正受給や事件の話題を耳にするていどだ。鬱で仕事はなかったがさすがに生活保護にはなりたくなくて、自分でしらべたことはない。
ゲンさんはあっけらからんと明るかった。
「いや、楽よ、生活保護。ゴロゴロしてても毎月国からお金が入ってくる。こんなに楽なことはない。あたしもこの年になってこれ以上働きたくないしね」
ゲンさんの左手はしわくちゃだ。年老いて血管が浮いている。肉体労働をしていたのかハンテンからのぞく腕は筋肉質で、保護を受ける前は勤勉に働いていたようすがうかがえた。
「はい、ポーン!」
「おっ、カケルちゃん、今日は飛ばしてるねえ」
「拓人くん、ゲンさんさっきこれ捨ててただろ、こういうのは安全パイ。役もできそうにないし、こういうやつから捨てるといいよ」
「あ、なるほど」
缶ビールを飲みながら、拓人は慣れない手つきで牌を捨てた。何回かやっているとだんだん流れがわかってくる。スマホで解説サイトをひらいて役の組み合わせをにらみ、おなじ絵柄や近い数字を集めていく。
運よく牌がそろった回があって、拓人は初めて自力で上がることができた。
「すごいじゃんタクちゃん、ドラも持ってるし」
「そうなんすか?」
「うんうん、オメデト! はい、乾杯!」
カケルは調子よくサワーの缶を持ち上げ、拓人もわるくない気分でみんなと乾杯した。和気あいあいとやっていると、拓人のワイシャツに目を留めたゲンさんはふとたずねる。
「そういえば拓人くんはなにやってる人? お仕事さ」
拓人はやっぱりドキッとした。
「あ……えと、おれ、あの」
「タクちゃんはねー、無職で鬱病! にゃははは!」
拓人の肩をガシリと組み、酔っぱらったカケルが言った。拓人はカケルの脇腹を小突く。
「ちょっと、カケルさん」
「なんだよお、こういうのはケロッとさ、明るく言っちゃった方がいんだって! こう、パーッとさ!」
「いや、でも」
カケルはあいかわらず無遠慮で拓人は恥ずかしかった。気まずさで顔を上げられずにいると、ゲンさんはスッと左手を持ち上げる。
「あたし、生活保護!」
カケルもつづいた。
「オレ、ヒモ!」
「俺、勤続十五年!」
信二の言葉に卓は沸いた。
「いや信二さんいきなり裏切るじゃん!?」
「そーだ! そこは嘘でもニートとか言え! 信二!」
「はははは、……あ、自分、ツモっす。ジュンチャンサンショクイーペーコー」
「こらーっ! 信二!」
「あはははは」
拓人は笑いたいような、泣きたいような気分になった。自分が無職でも病気でもこの人たちはなんら気にしない。さっきまでと変わらず麻雀を打って、呪文みたいな役の名前をとなえている。うじうじと悩んでいるのがなんだかばかみたいだ。
拓人はグビッとひといきにチューハイをあおった。レモンがすっぱくて、みんなに隠れてすこしだけ泣いた。
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お読みいただきありがとうございます。
週二度更新。次回更新【2月28日】
よかったら主人公の拓人くんの成長を見守っていただけるとうれしいです。
筆者は小説家志望で、エッセイや短編小説などのお仕事も募集しています。
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