旅日記 香港(2)
朝は8時くらいに一度目が覚めた。
疲れた体を感じ、どろどろと11時ごろまで寝た。12時にベッドから出て、昨日買っておいた飲むヨーグルトを飲みながら、『ざっくりYouTube』をみた。
どこへ行こうかと窓から海を見て思った。
黄大仙の話を元同僚とバンコクでした。
27年ぶりに行ってみようか。
目の前から船が出ている。
これに乗ろう。
どこへ行く船なのか?
九龍城ターミナルへ行くようだ。
そこからバスに乗れば、たどり着けそうだ。
北角のターミナルは魚屋が何軒かあった。おばちゃんたちがおしゃべりしていた。
待合室には数人、地元の人しかいなさそうだった。
着いた。
今の九龍城のエリアに、九龍寨城の面影はもうない。
イギリスの統治下にありながら中国として存在した貧しく混沌とした要塞は、わたしが初めて香港を訪れた97年には既に綺麗な公園になっていた。
ただその当時はまだ治安が安定しておらず、红磡にそう遠くないホテル日航香港に泊まった時、ホテルの人から「夕方からは外へ出ないでください」と伝えられた。確かにそのエリアには外国人として確実に安全だと感じる建物がホテル日航と通りを挟んで向かい側にあるDFSだけのように感じた。
暗くなる前に、バッグを体の前に握りしめて、近くの薄暗いセブンイレブンに小走りで行ったのを覚えている。
ちなみに、香港日航酒店は随分前になくなっている。
今は開発に開発が続き、治安の悪さを感じることがない。
終わらない工事は、香港を象徴している。行くたびに景色が変わり、何かが消え、何かができている。
昔出版された『転がる香港に苔は生えない』という本のタイトルは秀逸だといつも思い出す。
九龍城フェリーターミナルからバスターミナルへ行った。ターミナルの半分のスペースには本土から来た観光バスがずらっと並んでトイレ休憩をとっていた。彼らは腕にツアーのシールを貼っていた。中国国旗がハート型になったシールだった。
バスターミナルは大きかったが、案内板がまったく見当たらなかった。一つ一つバスを見て、黄大仙を通るだろうバスを見つけた。GoogleMapを信じて、運転手にも黄大仙へ行くか聞いてみたが、どうにも伝わらず、バスのナンバーはこれだからと言ってくれたので乗った。
黄大仙のバス停に着いて降りた。
バスを降りた後、さっきの運転士が、ヘイ!ヘイ!と声を発してたので振り向いたら、おいでおいでの手招き。もう一度乗ってドライバーのところへ行くと、黄大仙はここの道をまっすぐ行ったらいいとジェスチャーで教えてくれた。ありがたくて、胸が熱くなった。優しい人に会えてよかった。
まっすぐ歩くと本当にすぐ着いた。
この門、本来の門はこうであるのに、国慶節もあり、このようになっていた。
↓
気を取り直して、厳かな気持ちで次の門へ向かった。
え、なんで?と思うような景色が他にもたくさんあった。中国の国旗もしつこいくらい多かった。けれども、れっきとした廟。厳かな気持ちを自前で抱えて、順番に手を合わせて回った。
バンコクの後ということもあり、拝むことや祈ること(正直違いはわからない)に安心感をおぼえるようになっていたので、手をあわせる時間は長かったと思う。
この廟には多数の占い師が常駐しており、その館が別であった。トイレを借りたくて行った後、どんな感じだろうと見て歩いていたら、日本語OKの占い師さんと目が合い、入ってみることにした。
恋愛、仕事、お金、何が心配?と聞かれても、特に今心配なことがなかったから、「わたしの人生ってどうなのかなって」と答えたら、じゃあ生活について見ていきましょうと、前金で400HKDの支払いになった。8,000円もするの?と心の中で思った。旅の思い出にはいいかとお願いすることにした。
占いを聞いて終わった後、お店の外には待ち人が何人かいた。
わたしは聞いたことを忘れないようにすぐにメモした。
帰国後、部屋の西側に10円玉6枚置いた。
帰りに近くの黄大仙モールでパシフィックコーヒーに入って休憩した。
どこの国に行ってもうっかりスタバに入りがちだが、パシフィックコーヒーは香港発の老舗シアトル系カフェという印象がある。過去にも何度も訪れている。ちょっと最近影が薄いような気もする。香港のコーヒー&ティー文化が幅広くなってしまったのもあるかもしれない。
暗くなる時間になったので、チムサーチョイに夜景を見に行くことにした。
夕飯は天后で食べようと思い、取り敢えず湾仔行きのスターフェリーに乗る。貸切クルージングフェリーもたくさんあったけど、スターフェリーでも夜景を近くに見ることができる。
夜風が涼しくて本当に気持ちいい。
しばらくここにいた。物思いに耽ることもなく、何も考えずに過ごせた。
天后で牛すじ麺を食べた。少し並んだが、お店のおじいさんがテキパキ案内してくれた。
麺はライスヌードルで食べやすかった。
20代女性2人組、60代くらいのおじさん、私で小さな丸テーブルに収まった。日本では考えられないくらい他人との距離が近い。スタバの丸テーブルに4人いる感じ。
足の筋を痛めているので、牛すじを食べに来た。前の日も牛すじチャーハンを食べているのは、足の筋のためである。
昔漢方の学校に通った際に知った、同物同治という考え方がある。
体の不調を感じる部分と同じ部位を食べて治していくという考え方。真実はよくわからないけれど、それをわたしは気に入っている。
どうせ何かを食べるなら、そういう食べ方もいいかもしれない。そう思って、日本ではなかなか気軽に食べられない牛すじ目指してお店を選んだ。
小腹が満たされたから、デザートを食べて帰ることにした。
今はどうだか知らないが、10年くらい前は天后エリアはスイーツで有名だった。
そしてエリアに限らず、香港の夜のスイーツショップの混雑ぶりは日本にない光景だと感じる。老若男女問わず、ぎっしり座ってスイーツを食べている。大人の男性たちもいたりする。
マンゴーケーキ(マンゴーと生クリームをクレープ生地で包んだもの)や、楊枝甘露(マンゴーピューレとココナッツミルクを混ぜたドリンクに、ポメロというグレープフルーツに似た果物を細かくして入れたもの)と迷ったが、外が涼しかったから、温かいお汁粉にした。
今回追加した湯圓(発音はタンユェンが近いかも)は白玉団子で中に黒ごまの甘いペーストが包まれている。
これがとても美味しい。
湯圓は中国本土、香港、台湾、どこでも食べられる。透明の甘いシロップに白きくらげやクコの実と一緒に入っていることもある。日本でも中華食材屋に行けば、冷凍ケースに餃子などと並んで入っていることもよくある。
日本のお汁粉と違って、香港(もしくは中国含む?)のものは甘すぎない。わたしは日本でお汁粉やおぜんざいを頼むことはないが(甘過ぎて震える)、香港では寒い時期には温かい何かしらのお汁粉を食べることがある。
このごまのお汁粉もあっさりした甘さなので、たっぷりの量でも食べ切ることができた。
食べ終わった後は、また北角へ戻り、夜の散歩をして、ホテルに戻った。
楽しかったな。