合宿免許兼島流し&自分との約束
2022年7月20日〜8月3日
お久しぶりです。就活もクライマックスかつ大学の期末期間が6月末から7月上旬にかけてあったため、継続して投稿できずにいました。加えて、休暇(学生が何いってんだ)も取ってたので投稿お休みしてました。今日からまた定期的に出来ればと思ってます。それでは本編へどうぞ。
先輩との電話会談も少し、落ち着きを取り戻して、就活も最後まで無事に終えることができた。しかし、自分の中にまだ人に迷惑をかけてしまうことに対する罪意識、自分がネガティブすぎること、自信が無さすぎることに対して罪意識を持ってしまっていた。そんあ自分に対してなにか罰を与える、戒める必要がある、そう感じていた。だから僕は前から決定していた新潟への免許合宿にて自分への罰、戒めとして様々な制限をつけて過ごすことにした。普通はみんな楽しい思い出にしようとして制限なしに過ごそうとするだろうけど、そうせずに自分に罰を与えて、反省する、見直しの期間にしようと決めた。
制限の中にはいろいろあったけど、いくつか上げるとするなら、飲酒の禁止、22時以降の寮からの外出禁止、指定された人以外との会話や接触の禁止等があった。他にもここまでかというくらいあった。まさに武士や豪族の島流しみたいな生活を過ごそうとしていた。しんどいことはわかっていたけど、他人に迷惑をかけてしまうことやネガティブかつ自信が無さすぎる自分への罰としてこれくらいは行わないといけないと思った。ただでさえ、一人で友達もなしに全く知らない場所に行くのに、制限も加えてただただ自分を苦しめようとしていた。
7月20日新潟への出発当日。いつもより早く起きて、支度をして、家族に挨拶をして家を出た。日本海側には福井、石川以外は行ったことはなかったため、どんな場所かと楽しみにしていたこともあった。お米は美味しいと聞いていた(実際、美味しかった)。とまあ、ちょっとした期待もあって、新潟へと発った。到着するとすでに、合宿生が何人かいた。もちろん僕はコミュニケーション能力が低いので全く話さなかった。全員集合してからは寮に荷物を置き、そのまま教習所に向かう。そこからはほぼ拘束状態。学科の勉強、運転練習に縛られてほぼ自由がない(自分に対して制限を課してた身としては好都合)。ちゃんと自分の制限以外にも拘束があることで、自分を戒めることができていた(ちなみに初日は意味分かんない団体から宗教勧誘を食らった。これがかなりしんどい。僕の父親並びに父方の家族はみんなクリスチャンのため、幼い頃からお祈りしなさいって言われてたけど、僕は神を全く信じなかったのでしんどかった)。しかしただただ苦しくて、楽しい日など1つもない。毎日同じことの繰り返しで正直飽きる(昔の人はよく島流しなんてたえられたなってつくづく思う)。加えて、寂しくなってきた。誰とも話さない日が続くとしんどくなってくるし、よくわからないけど不安な気持ちが日に日に増す。その積み重ねの結果、見事修了検定に落ちるという偉業を達成してしまう。そして合格すらできない自分が無能であると感じて、同時に怒りも込み上がってくる。その日は心の中で自分をひたすら責めていた。
補修が終わって帰ろうとしていた。自分を責めすぎて、鬱状態に近かったと思う。さっさと帰ろうとしていたその時、横から声がかかった。
??「明日頑張りましょうね。」
自分と一緒で修了検定を失敗してしまった同じ日に入校した人だった。流石になにも答えないのは良くないと思い、返答してしまった。この時点で自分の制限を破ってしまった。
僕「そうですね。流石にもう失敗できないですもんね笑。」
??「ほんとそうですよね笑。」
僕「Hさんでしたっけ?申し遅れましたリクです。」
Hさん「よろしくお願いします。頑張りましょうね。」
帰り道はずっとお互い愚痴の言い合いばかりだったけど、それはそれですごい楽しかった。気が楽になった。
Hさん「いやー教官も当たり外れありますよね笑。」
僕「ホントそうです笑。言い方もめっちゃ腹立ちます笑。」
Hさん「補修の時の人はめっちゃ愚痴聞いてくれました笑。」
僕「いいですね笑。自分も当たるといいですその人笑。」
Hさん「頑張りましょう。一緒に来た僕の友達のOも明日一緒です。一緒に頑張りましょうね。」
といった感じでお互い励まし合ううちにいつの間にか仲良くなっていた。少し気分が晴れたが、自分に対する怒りはまだ絶えない。失敗ばかりする自分が許せないそんな気持ちでいっぱいだった。
その日の夜、僕は妙な夢を見た。僕にとって大切な人二人が夢の中に出てきて、何かを伝えてくれた。3年前に他界した祖父と諸事情によって7年前に会えなくなった父の二人が出てきた。
場所は神奈川にある祖父の家のソファ上で2人で話していた。
僕「僕は何でもかんでも失敗して家族の恥だよ。ただ自分にもできるって証明したかっただけなのに情けないよ。ママとか、僕の周りの友達のようには慣れっこないよ。」
祖父は夢の中でこう言った、
祖父「失敗したのかい?そして自分をずっと責めているのかい?失敗したのなら、そこから学んでまた頑張ればいいじゃないか?リクは賢いんだからできるよ。自分を責めていても苦しいだけだし、ずっと立ち上がれないままだよ。自分を信じて頑張ってらっしゃい。」
父とは車に乗ってドライブしている状況だった。父は車好きだったこともあったいつも通り熱心に語っていた。そんなドライブのときに話していた。
僕「Papa. Tu eres muy bueno manejando. Nunca te he visto fallar en curvas. Ni si quiera en calles muy angustas con curvas. No me imagino a mi mismo lograr manejar esas calles. 」(父さん。運転上手すぎるよ。カーブで失敗するの見たことないし、狭路ですら失敗するの見たことないよ。そんな道を運転できる気がしないよ。)
父「Hijo. Que sea capas de manejar bien esas calles, no significa que yo no voy a fallar. Por supuesto tengo la posibilidad de caer fuera de la calle o en un aguhero. Soy humano como tu. Y es lo mismo en otras situaciones. No importa si te caigas o falles. Esas caidas y fallos son para que Levantes. No te preocupres. Tu eres capaz. Confio en ti.」(リクよ。そのような道を簡単に運転できているからって僕が失敗しないわけじゃないよ。もちろん僕だって、道路から落ちたり、穴に落ちる可能性もあるよ。他のことでも同じことが言えるよ。 落ちたって失敗したっていい。それらはリクがまた立ち上がるためのものだから。大丈夫。できるよ。信じてるよ。)
目覚めてから2人が何を言いたかったのかを考え直した。そうする内に自分が座右の銘としている言葉を思い出した。『Why do we fall? So we can learn to pick ourselves up.』(人はなぜ落ちるの?落ちることでまた這い上がることを学ぶためだ。)2人はこのことを伝えたかったのかもしれないと思った。
その日の午後無事、仮免に合格して次のステップへと進む。(やっとか。)
それ以降、免許合宿も順調に進み、HさんともOさんとも仲良くなり、ただただ苦しかった日々も少しは楽しめるようになっていた(もちろん制限は継続したまま)。またそれと同時に新潟での生活が心地よくて、東京に戻りたいと思わなくなった。むしろ東京に帰らないで責任すべて放棄して逃げようかとも思っていた(何いってんだこいつ?)。東京に行けば、またネガティブな自分、マイナス思考な自分、自信がない自分のせいで他人に迷惑をかけてしまうかもしれないし、同じコミュニティに所属したあるいはしている人たちに対して恐怖を抱いてしまうこともあり、そんなところで過ごすことが果たして正しいのかとも思うようになった。そんな自分の帰りを望む、あるいは歓迎してくれる人たちがいるのかどうか。そういうことを考えるとこのまま戻らずにいたいとも思った。しかし、卒業検定に合格してしまったため、新潟から出なきゃいけなくなった。どこ行くべきか、神奈川の叔父の家に行くか、親戚の家に逃げ込むか、それともどこか泊まる場所を探すか様々な選択肢を考慮した。しかし、そんなことをして本当に自分のためになるのか、逃げてばかりでいいのか、逃げればより多くの人に迷惑がかかるのではないか、そう考えるようになった。だからこそ、その時決心した。目の前のことから逃げずに面と向かって対応していく。もう逃げたり、隠れたりはなしにしようと。自分との約束にしようと。
結局、僕は東京に戻り、普通に過ごしているが、自分が心配していた歓迎してくれる人たちがいるかどうかのことに関しては、自分が想像する以上に歓迎してくれる人がいるということに気付いた。皮膚科の先生、バイト先の店長、社員さん、パートさん、家族、昔からの友人、高校の同期(ほんと少数)、大学の仲間(もしかすると0)、新しく所属するコミュニティ(これは勝手に自分が想像してるだけかもなごめん)。自分が考えている以上に歓迎してくれる人はいるそしてそういう人たちがいる限り、その場所へと戻るべきなんだろうなと感じた。またただただ自分を苦しめず、気楽に考えていくこと。そういったことを意識してこれからも生きていこうと思う。