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【ひとひらの写真から 1枚目】遠鉄の赤い電車は青い機関車にひかれて最後の地へ向かう

皆さん、はじめまして。1Pといいます。
鉄道写真や風景写真を撮っている31歳の会社員です。

これまでnoteはROM専(死語ですかね…)でしたが、
溜まっている写真の整理をするついでに記事を書くことにしました。
30歳を過ぎて、自分の記憶にも怪しい部分がちらほら出てきたので、備忘録を残さないと「この写真なんだっけ?」となってしまいそうですし。

記事のコンセプトは、
「1枚の写真から、どれだけの話ができるか」

伝える言葉を必要としないエモーショナルな写真ばかりが持て囃される時代ですが、私は言葉を尽くして伝える写真にも価値があると思うのです。
撮るのが大変だったとか、思い通りにならなかったとか、汗と泥にまみれた撮影裏話も好きなのでね。
ちょっと失敗したような昔の写真も載せたいと考えています。

さて、今日の写真はこちらです。

遠州鉄道 ED28 2と1000形モハ1002、クハ1502 / 2024.10.12未明 遠州西ヶ崎駅にて

初回からマニアックな写真ですが、先週、遠州鉄道を撮影したものです。
遠州鉄道は、静岡県の新浜松駅と西鹿島駅を結ぶ17.8kmの小さな私鉄で、鮮やかな赤色の電車が走っていることから「赤電」とも呼ばれるようです。
古い電車が役目を終えると、西鹿島駅にある車両基地から遠州西ヶ崎駅にある解体場所まで、深夜に機関車に引かれて回送されます。
今回廃車になるのは、2024年9月27日に引退した1000形電車モハ1002+クハ1502。1985年の製造から39年間の活躍でした。

そして、この青い機関車はED28形2号機。
1925年(大正14年)にイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社、通称デッカーから豊川鉄道向けに輸入された舶来品で、御年99歳になる長命な電気機関車です。
デッカーと言えば箱形車体ですが、この機関車は珍しく凸形です。
当時の英国電機は品質が良くなかったという話ですから、100年近くも使われ続けるとは誰も予想しなかったことでしょう。
2024年に大正生まれで現役の電気機関車は、全国を見渡しても弘南鉄道の2機とED28 2の計3機しかいません。
長寿の秘訣は走らないことで、ごくたまに砕石やレール、そして廃車を運搬する以外、ほとんどの時間を遠州西ヶ崎駅の留置線で貨車とともに寝て過ごします。

10月11日の深夜、最終列車が近づく頃にED28 2は留置線を行ったり来たりして、貨車を3両編成にまとめて駅の2番線に引き出してきます。
普段は貨車が停まっている留置線が車両解体場所となるため、まずは貨車を西鹿島駅に退避させるのです。
最終列車が発車してホームの灯りが落とされると、1番線を経由して下り方面にED28 2を連結、ほどなくして出発です。
西鹿島駅に貨車を置くと、今度は廃車を連れて戻ってきます。
この日は回送準備に手間取ったようで、西ヶ崎に着いたのは3時前でした。
後押しで慎重に、留置線に押し込みます。
目一杯まで押し込むと廃車を2両に分割し、1両を引いて駅に戻ってから、もう1線の留置線に押し込みます。
係員が各所を点検し、ED28 2のパンタグラフを降下、留置線の架線に電気を送る断路器を開放して、この日の仕事は終了です。
遠州鉄道独特の、扉の無いキノコ形の連結面が見えるようになりました。
廃車体はライトも外され、ところどころ窓が取られた所に被せられたビニールが風に吹かれてパサパサと鳴っている様は寂しい景色でした。

初めての遠州鉄道の深夜回送撮影。
沿線は静かな住宅街でどこも真っ暗、撮れる場所といえばライトに照らされた踏切ぐらい。
西鹿島駅も目隠しのように車両がびっしり留置されているので撮れず、私の乏しい撮影技術では大いに難儀しました。
結局、遠州西ヶ崎駅で廃車を押し込んでいる場面を押さえて、何とかボウズを回避したような状況です。
遠州鉄道では、2025年度に新型モーターカーを導入して遠州西ヶ崎駅に配備する計画があり、ED28 2は100歳で御役御免となる可能性が高いようです。
チャンスがあれば、また浜松にお邪魔したいと思います。

ちなみに、ED28 2など遠州鉄道の車両について、貴重な情報と写真をまとめられているブログを見つけましたので、勝手に紹介させていただきます。

今回はここまで。
最後までお付き合い、ありがとうございました。

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