リーマンショックの記憶
現在の市況が天井だとか、リーマンショックの前夜に似てる。
あるいは今回は不況は起きない。地価の急上昇は止まるが、上がり続けるといった話をよく聞くようになった。
どうなるかはさっぱりわからないが、不況の頃を少し思い出した。
2008年、リーマンショックの頃私は親不孝なことに一浪して私立大学に入学したピカピカの大学一年生であった。
政治系の意識の高いサークルに所属し、将来は政治、いやマスコミなんていうのもかっこいいな。なんて移り気な夢見がちで、麻雀や酒も覚え始めた、今みたら引っ叩きたくなるような、そんな花の大学生だった。
夏ごろにリーマンブラザーズが破綻しても、遠い海の向こうのことと他人事だと思っていたが、意外とすぐに影響が訪れた。
2008年の秋ごろに父親の勤務していたゼネコンが人員を削減しはじめ、父も子会社に出向となった。
母親から「今月から仕送りはできません」とメールが来たことを覚えている。
言いにくいことをすぐ言えるだけ母はしっかりした人だったのだなと今は思う。
(電話は出てくれなかった)
金にならないサークルは行かなくなり、飲み会はあまり裕福ではないみんなで宅飲み、麻雀は点5のレートでさえ手が伸びず負けるようになった。
学費は両親が出してくれていたものの、東京での生活を維持するためにバイトを探した。
当時はすき家のワンオペが問題になる以前のことでキツイ仕事でも安い時給のバイトが山ほどあった。
余談だが、深夜のすき家のワンオペのバイトをしていた友人はトラウマなのか今でも牛丼が食べられない。紅ショウガもしばらくダメだったが、豚骨ラーメンに入れることはできるようになったらしい。
スマートフォンが普及する以前の当時、大学のメディア棟という施設ではパソコンが無料で使えた。バイト情報サイトの検索欄に「男性 高賃金 日払い」と夢のような条件を打ち込んでは出てきた求人に片っ端から電話をした。
当時はそんな学生ばかりで、今思えば職安のような様相だった。
よく大学当局も何も言わなかったと思う。
湯浅誠さん主導で年越し派遣村ができたり勤労者の貧困問題が社会問題化していた時代だったから大学当局も強気にはなれなかったのかもしれない。
カラオケ、居酒屋、ゲームセンターはダメ。
やっとキャバクラのボーイのバイトが見つかった。
時給は良く(当時で1500円)18時から26時まで働かせてもらえて、帰り(同じ方面の女性がいれば)送迎もしてもらえた。
しっかりしたキッチンがあり、忙しくなければ賄いも食べさせてもらえた。
週3、4日入ればどうにかなった。
物覚えが悪い使えないバイトだったと思う。
だが、トイレ掃除も汚物掃除も厭わなかったからか、それともモテないから安牌だと思われたのか、社員の皆さんからは不思議なほど良くしていただいた。
しかし、4か月ほど働いた頃その店もバイトを切って社員だけの店にすると言われてしまった。
「真面目にやってくれたから銀座の店紹介しようか?」と言って頂いたが、アパートから遠くなること、水商売で自分が身を立てられるとは思えなかったことからお断りをして新しくバイトを探した。
この時に銀座店に紹介しようとしてくださったのは今でも自分の自信になっている。
店長は当時はかなり大人の人に見えたがおそらく今の私よりも少し上くらいの年齢だっただろう。(I店長ありがとうございました。
次のバイトは中々見つからなかったが、そのころには奨学金の目途もたったため、不足分を日雇いのバイトで食いつなぐようになった。
私が良くいったのはコンサートの設営や資材搬入あたりの力仕事だった。
力仕事は日当がよかったし、働きたいときに働けばいいのは学生生活との相性が良かった。
半日ほどの拘束時間で1万円もらえることもあった。
※学生バイトの話です。
たしか夏が過ぎた秋の時期埼玉県某所でのイベント会場の設営に行った。
終了したのは午前2時、普通であれば詰所のような場所で始発を待つのだが、「じゃあバイトさんは解散してください」と寒空に放り出された。
あまりのことに抗議しようと思ったが、周囲が無反応だったことと、駅の近くにファミレス(当時は24時間営業が普通だった)があったことを思い出してファミレスで始発を待つことにした。
始発に乗ってアパートに帰った。
あまりにもみじめな気分になってそれ以来、その日雇い派遣の会社で働くことを辞めた。
この派遣会社に条件面の相談なんかをすると「いくらでも代わりはいるんだ。」と何度言われたか思い出せない。
今思えば被雇用者が弱い時代だった。
高知で生活しているインフルエンサーの「イケハヤ」さんの「年収150万円で僕らは豊かに生きてく」が広く読まれ、彼がカリスマ扱いされた時代背景には時代の閉塞感と社会から拒絶された人々のユートピア願望があったのだと思う。
少し前に見たイケハヤさんは仮想通貨を買って仮想通貨を煽って煽ってボロ負けしたみたいだけどどのタイミングで拝金主義っぽいスタンスになったのだろうか。
人のことは言えない。
私もリーマンショックから14年たって私も20歳の意識の高い青年から33歳のおっさんになってしまった。
稼がなきゃ生きていけないことを嫌というほどに実感した14年間だった。
当時よりはできることも多くなった、知り合いも増えた、マンションも買ったし車も持っている。
だけど不況が来た時にI店長のように自分以外の人のことまで考えられるような人間にはなれていないなと思う。
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