パッションリップのアイの味

注意:この作品の著者はfrom_headzではありません
投稿環境のない著者の代理投稿です

朝。私はアラーム音で目を覚ます。
カルデアのスタッフさんに特別に作ってもらったハンモック。大きすぎる腕を使って私はそこから起き上がった。
私は、この大きすぎる凶暴な腕のせいで、普通のベッドでは横になることができない。他にも色々と不便なことがあるが、一番不便だと感じるのは、多くの人がこの姿を怖がることだろう。私自身、こんな自分の姿を、ずっと受け入れられずにいた。でも今は、少しだけ、こんな自分を受け入れている。カルデアには私よりも個性的な人がたくさんいるからかもしれない。

「おはよう、リップ。起きてる?」
マスターの声がして、ドアが開く。私のマスター。このカルデアで一番個性的なのは彼かもしれない。
「はい!おはようございます、マスター。」
「うん、おはよう。今日のレイシフトはよろしくね。」
今日からレイシフトすることになっている特異点には、私も護衛として同行することが決まっている。
「はい、その、がんばります!」
「ありがとう。…あ、そうだ。」
マスターが何かを取り出した。何だか甘い匂いがする。
「これは…?」
「今日のレイシフト前に元気になれるようにって、マルタさんがクッキー作ってくれたんだ。リップにも、食べてもらいたくて。」
「えっ、いいんですか…?」
「もちろん。ほら、あーん…」
少し恥ずかしいが、マスターはよくこうして私に色々と食べさせてくれる。自分の腕で食べることができない以上、仕方がないことなのだが、少し…ほんの少しだけ、ドキドキしてしまう。
「あ…ん、もぐ…美味しい…です」
「それはよかった。マルタさんもきっと喜ぶよ。」
そう言って、マスターは笑う。こんな私を、ごく普通に扱ってくれる奇特な人…私の、大切な、マスター。

〜〜〜〜〜〜

アンサモンプログラム スタート
霊子変換を開始 します。
レイシフト開始まで あと3、2、1……
全行程 完了。
アナライズ・ロスト・オーダー。
レムナントオーダー 探索を 開始 します。

どうやら無事にレイシフトできたようだ。あたりは静かで、どこまでも草原が広がっている。
マスターがカルデアとの通信を試みる。私はその間、敵影が無いかあたりを注意深く見ていた。どこまでも広い草原…敵影が見えればすぐにわかるだろうが、私たちの姿を隠す場所も無い。いざとなったら、私が盾になりマスターを守るしかないだろう。そのために、私は同行したのだから。

「あ、繋がった。マシュ!」
マスターの声がする。心なしか嬉しそうだ。映像のマシュに話しかけるマスターは、とても眩しい笑顔だった。それに応えるマシュは、少し心配そうな顔をしている。そんな二人を見ていると、どこかモヤモヤとした気持ちになる…
(私がいます、私が…だから、そんなに心配しないでマシュ、私がきっとマスターを守ってみせます…!)
モヤモヤとした気持ちを振り切るように、私は改めて固く決意した。

無事にレイシフトが完了し、カルデアとの通信もできたため、次は霊脈を探す。ダ・ヴィンチちゃんによると、ここからかなり遠くに見える山に霊脈があるらしい。マスターの足では半日かけても辿り着けないだろう…それでは夜になってしまう。マスターの体調管理のことを考えると、夜になる前には拠点を確立しなければならない。
「マスター、私の腕に乗ってください。」
「えっ、腕に?」
マスターは一瞬戸惑ったが、霊脈までの距離や日没までの時間を考えるとこれが最善だと伝えると、了承してくれた。
「じゃあ、その、失礼します…」
私はマスターの身体を、赤ん坊を抱くようにそっと腕に乗せた。潰れないように、壊さないように、そっと、そっと腕で包む。
「リップの手、ひんやりして気持ちいいね。」
そう言って、マスターは頬を寄せた。こんな異形の腕でも、マスターは怖がらない。もし私が少しでも力加減を間違えたら、簡単に潰れてしまうのに…
(いっそ、潰してしまおうか)
不意にそんな考えが浮かぶ。
(潰して、キューブにして、私の胸にしまい込んで、そうしたら…)
…そうしたら、どうなるというのだろう?私はもう知ってしまったのだ。人をキューブにしたところで、その心は私のものにはならないのだということを。
マスターは、私たちの大切なマスターだ。しっかり、守らなければ。
「マスター、しっかりつかまっていてくださいね。」
私は、霊脈に向かって走り出した。

霊脈のある山の麓に辿り着くと、私は腕からマスターを降ろした。この距離でも伝わってくる…
「敵性体です!数は…50以上!?」
「恐らくその地の霊脈に群がってきたんだろうけど、これでは…」
「でもこの近くにはもう霊脈の反応はありません…突破するしか…!」
私はスゥと息を吸って、覚悟を決めた。私がマスターを守る。
「私が全部潰します!マスターは絶対に私から離れないでください!」

グシャッグシャッグシャッ!
敵性体を薙ぎ払いながら進む。倒しても倒してもどこからともなく現れてキリがない。まとめてキューブにしようにも、それでは山ごと消し飛んでしまう。
「はぁぁ!!」
腕を飛ばしながら敵性体を潰していく。間違っても背後のマスターを潰さないように気をつけないと…
「Grrrrrrrrrーーーーー!!!」
突然唸り声が背後から聞こえた。狼のような敵性体が素早い動きで飛びかかってくる。その先には…
「マスター!!!」
私はとっさに腕を伸ばす。あと少しで手が届く…と思ったところで、ハッとして腕を引っ込めた。もしこのまま抱きしめる形でマスターをかばったら、私がマスターを潰してしまう…!
「…っ!」
とっさに地面を強く蹴った。私の身体をマスターと敵性体の間に滑り込ませる。
「…んぅっ!」
私の全身を使ってマスターの盾になった。敵性体の攻撃を受けて、全身がひどく痛む。
「リップ!」
マスターの叫び声が聞こえる。この人を心配させてはいけない。私が守ると決めたのだから。
私は痛みに耐えて
「…ぁああっ!」
再び飛びかかってきた敵性体を腕で叩き潰した。
「リップ、怪我してる…!」
あぁ、マスター、優しい人。こんなときでも、私に優しくしてくれる。この人を、守らなきゃ。私のマスターを傷つけようとするものは、絶対に許さない…!
「やぁぁぁぁ!」
腕を思い切り振り上げ、敵性体に向けて飛ばす。
その強い衝撃で周りの木々ごと吹き飛んでいった。
「潰れちゃえ…!!」
グシャッ!グシャッ!グシャッ!
敵性体を5、6体まとめて腕で挟み潰す。
「もう…逃がしません!!」
飛び上がり、上から全身を敵性体に叩きつけた後、その衝撃で怯んだ周囲の敵性体に向けて腕を振り回す。
私には、まだ、わからないけど。私がこの人を守りたいと思う気持ちは、確かにここにある。もう、自分の真の姿から、目をそらしたりしない…!
「いって!!!」
「死が二人を別離つとも(ブリュンヒルデ・ロマンシア)!」

静かな夜。隣でマスターは睡眠をとっている。敵性体を殲滅した後、無事に霊脈で召喚サークルを確立した。しかしもう日も暮れかけていたため、今日はここで野宿することになったのだ。
パチパチと小さな音を立てる焚き火を見つめていると、カルデアからの通信がきた。夜の間でもこうして、異常が無いか確認するために定期的に通信がくる。
「…あ、リップさん。先輩は…?」
「今はよく眠っているみたいです。マシュさんは、眠れないんですか?」
「私は、先輩のデータを観測しないといけませんから。それだけが、今の私にできることですので…」
何だか、表情が暗い。
「マシュさん…?」
少しの沈黙の後、絞り出すようにマシュは話し始めた。
「…私も先輩について行きたいです。今日の戦闘でも、私が戦えたら…リップさんも怪我をせずに済んだかもしれないのに、私は…カルデアで見ていることしかできなくて…」
そう言って、少し悔しそうな顔をする。
「リップさんが少し…羨ましいです。」
そう言われて、私は驚いた。羨ましいと言われるなんて、考えたこともなかった。私は自分の大きな腕を見下ろす。そして、マシュの綺麗な細い腕を見る。私は…
「マシュさんが、羨ましいけどな…」
「?」
「あ、いえ、何でもないんです。ただ…」
こんな時、私が言うべきことは…
「マシュさんは、何もできないって、思ってるかもしれません…でも、マシュさんにしかできないことも、たくさんあると思うんです。」
そう言うと、マシュは驚いた顔をする。
「私にしかできないこと…ですか?」
「はい…えっと、うまく言えないんですけど、その…マシュさんと話しているときのマスターは、とっても楽しそうです。それに、マシュさんなら、マスターを抱きしめてあげられますから…帰ってきたら、お疲れ様ですって、たくさん抱きしめてあげてください。きっと、疲れも吹っ飛ぶと思います…!」
「そ、そうでしょうか…」
マシュは少し照れたように目を伏せる。でもまんざらでもなさそうだ。
これでいい、これでいいんだ。マシュに労われるのが、マスターにとって一番のはずだから…
でもどこか、心が痛んだ。

「特異点反応、消滅しました!」
「よし、お疲れさま!すぐにカルデアにレイシフトするよ。」
聖杯を回収し、特異点は修正された。召喚サークルを確立してからは、他のたくさんのサーヴァントたちと協力できたため、あっという間だったように感じる。
私は、静かにマスターの横顔を見つめた。その顔に浮かぶのは、安堵と、疲労と、帰還への喜びだろうか?
「…マスター。」
そっと呼びかけた。振り返ったマスターに、小さな声で言う。
「…お疲れさまです。」
そして、頬にキスをした。マスターは驚いた顔をして、そのままレイシフトされる。
私のわがまま。一方的な行動。良くないことだとわかっている。それでも…
マシュよりも先に、マシュよりも近くで、マスターを労いたかった。

〜〜〜〜〜〜

レイシフトから戻って数日が過ぎた。私はいつもの通り自室でのんびり過ごしている。
レイシフトから帰還した日、見てしまった光景が、ずっと頭から離れない…

「お帰りなさい、先輩」
マシュの細い腕が、優しくマスターを抱きしめた。その瞬間、マスターは、全てを忘れたような、安堵と幸福感に満ちた笑みを浮かべて、そっと抱きしめ返すのだ。
「…ただいま、マシュ」

一方的ではない行動。きっとこれが正しいアイの形。誰かをアイして、誰かにアイされる喜び。
私は、自分の腕を見つめる。大きくて、凶悪で、触れたものを壊してしまう腕。私が人間でないことの証。もしもこの腕が、マシュのように細く可憐な少女の腕だったなら…そう何度願ったかわからない。
だけど、もう目をそらすこともできない。私は知ってしまった。自らの醜さも、凶悪さも、厄介さも。この姿を受け入れて、生きていくしかないことも。

「まだ…わからないよ…」
互いにアイしアイされること。それがきっと理想のアイの形。でも私には…それはできない。私が誰かをアイしたら、私がアイを求めたら、必ず相手を傷つけてしまうから。
私にもできるアイの形は、どこかにあるのだろうか。答えはずっと、見えないまま。
いつの間にか、涙がこぼれていた。止まってほしいのに止まらない。だけどこんな私の腕では、涙を拭うこともできない。私は…自分自身をアイすることも、慰めることもできない私には、誰かをアイすることなんて、決して出来はしないのだ。

「…××しています、マスター」
声にならない声を上げる。

「この気持ちも…キューブにして、捨ててしまえたらいいのにな。」
止まらない涙とともに、叶わない想いを胸の奥にしまいこんだ。

〜〜〜〜〜〜

今日もまた、カルデアでの日常は平和にすぎる。
「リップ、今ちょっといいかな?」
マスターの声がした。どうぞ、と言うとドアが開く。甘い香りが部屋に広がる。マスターの両手にはたくさんのお菓子があった。
「わぁ…どうしたんですか?こんなにたくさん…!」
「ナーサリーたちがお茶会をしようとしていっぱい作ったらしいんだ。貰ったけど、こんなに僕一人じゃ食べきれないし…リップはこういうの好きかなって思って。一緒に食べない?」
マスターは笑顔で言う。悪意のカケラもない提案。だけど私は、きっとまた少しだけドキドキして、きっとまた知らぬうちに、傷ついてしまうのだろう…

「ほら、あーん…」
「あー…んっ…もぐ…」
「美味しい?」
「……」

「…はい、とっても」
「甘くて」
ー苦くて
「美味しい、です…」
ー苦しい、アイの味

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