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【大倉喜八郎】150年企業の創業者〜土木スーパースター列伝 #20

長寿企業数ナンバーワンを誇る国、日本。

今年2023年に150周年を迎える長寿企業の大成建設の創業者「大倉喜八郎」を推します。

『土木偉人かるた』絵札より

大倉喜八郎は渋沢栄一に肩を並べる大実業家。

大成建設を始め、サッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、日清オイリオグループ、あいおいニッセイ同和損害保険、特種東海製紙、リーガルコーポレーション、ニッピ、日本化学工業、東京製綱、日本無線などなど創業に関わった企業は数多とあります。

詳しくはこちら(大成建設HP)

趣味は「狂歌」 狂歌で味わう喜八郎と土木

~見るからに 面白きかな 修養に 長き月日を 古市の能~

出ました!古市公威。
土木学会の初代会長です。(土木SS列伝#17

こちらは、1916年4月8日の「感涙会」で、土木工学の権威・古市公威が能の「羽衣」を演じた。その感想の即吟です。

そのときの、古市は61才、喜八郎は78才。感涙会とは向島にある喜八郎の別邸での会とのこと。
「自分が一日でも勉学を怠れば、それだけ日本が遅れる。」
これは古市先生のフランス留学中の名言です。
喜八郎は実業界にて渋沢栄一などの幅広い交流の場を持ち、古市先生のような日本の土木工学界のリーダーたちとも場を共有することで、日本の近代化を力強く推進したのかと想像します。

喜翁閣(向島別邸 蔵春閣)(Wikipediaより)
今では、喜八郎の出身地の新潟県新発田市に移設されています。行きたい!

そしてなんと、2023年度の第111代土木学会会長(予定)は、大成建設の田中茂義さん。所長時代には、グローバル企業のBouygues社とタッグを組んで(下請けにして)、プロジェクトを成功させたとか。まさに喜八郎スピリットですね。

~地下鉄を けふ運転の 三番叟 翁をのせて 長く栄えん~

日本の最初の地下鉄「上野-浅草間」は大倉土木(大成建設の前身)の単独工事でした。
トンネルの掘削はなんと人力。工事の詳細や動画を見ると、これは難工事だっただろうなと感嘆してしまいます。

開削工事による地下鉄工事の様子(大成建設HPより)

工事の詳細はこちら

能の「翁」では、演者は神となって天下泰平、国土安穏を祈祷する舞を舞います。
地下鉄開業から約100年後の今、喜八郎の狂歌のように、東京の地下鉄は、クモの巣のように張り巡らされ、多くの乗客を乗せています。

一にお天道様、二にお月様、三に銀座のアーク灯


喜八郎にゆかりのあるアーク灯の4代目があると知り、銀座で探してみました。Googlemapの力を借りて、見つけました4代目アーク灯。昼間なので灯ってない!
夜に行けば良かったと若干後悔しながら、パチリ。
電気事業開始記念のブロンズプレートもひっそりと設置されていました。

4代目アーク灯
電気事業開始記念のブロンズプレート

初代アーク灯は1882年に喜八郎が、「電灯がいかなるものか」を庶民に知ってもらうために銀座大倉組商会前に建設したものです。
その光源の明るさは2000燭光(ローソクの2000個分)。
それまでの新しい街灯のガス灯の平均燭光(20燭光)の100倍です。
「一にお天道様、二にお月様、三に銀座のアーク灯」と例えられるほどの大反響で、大勢の見物客が連夜つめかけ、電灯が日本中に広まりました。

ちなみに、アーク灯以前の最新の街灯はガス灯でした。
日本初のガス灯が1872年です。
ガス灯発祥の地の横浜のガス灯プロムナードを散策してきました。

横浜のガス灯(復刻版)

ガス灯かわいい。でも、ガス灯には致命的な弱点が。。。
そう、暗いんです。アーク灯の1/100ですからね。

ガス灯の登場からたったその10年後に、ガス灯に比べて圧倒的に明るい電灯を設置するなんて、当時の人たちは日進月歩の経済発展を実感したのではないでしょうか。

銀座には、4代目アーク灯の他にも大成建設の手掛けた多くの建築物が見られますので、ふらりと散歩するのも楽しいです。

GINZA PLACE(銀座プレイス)(2016年竣工)(大成建設HPより)
外観デザインは「FRETWORK(透かし彫り)」をモチーフ
銀座・伊東屋 新本店(2015年竣工)(大成建設HPより)
「クリエイティブな時を過ごす心地よい空間」がコンセプト。
伊東屋、見ているだけでウキウキしてしまいます。
MIKIMOTO Ginza 2(2005年竣工)(大成建設HPより)
『深い輝きを放つ宝石箱』がコンセプト。

外国人の知恵を借りずにやりなさい

田辺朔郎、早川徳次、八田與一は、『土木偉人かるた』に収録されている土木偉人です。
この土木偉人の関わった琵琶湖疎水閘門(1890年)、東京地下鉄道(上野-浅草間)(1927年)、台湾の烏山頭ダム(1930年)は、喜八郎率いる大倉土木の手掛けた土木事業でした。

日本初の地下鉄工事では、「外国人の知恵を借りずにやりなさい。」と社員を激励したそうです。これらの事業も当時は前例がないものばかり。
戦争や震災、激動の時代に生きた喜八郎。
やるべきことがたくさんある時代ほど、面白いよ、なんでもチャレンジしようよと背中を押してくれる存在です。

大倉集古館そばに喜八郎翁の銅像が!お隣に座る勇気が試されます。

著作者:鈴木三馨
プロフィール
土木酒場女将。土木広報センター土木リテラシー促進グループ長。土木学会誌編集委員。有限会社吉川土木コンサルタント技術部所属。オフィスドボク代表。
土木偉人を”偏愛”してます。