閉じこめられて ~第三話~
意識がゆっくりと浮上する。覚醒しきる前に覚えた違和感の正体は解りきっていた。また何処かに閉じ込められたのだ。見慣れない部屋がそれを突き付けてくる。
此処が何処なのか、なんて考えるだけ無駄だ。私がすべきことは現状の把握だった。
上体を起こして周囲を見回す。小窓の脇には下に収納スペースが設けられたベッド、反対側の壁にはテレビと小さな本棚が五つ並べられている。ベランダへと続くガラス性の扉は閉めきられており、カーテンが開いているお陰で外の様子が窺えた。雲一つない青空が見えるだけで他には何もない。ベランダの対角線上には磨りガラス付きの扉があり、その横はクローゼットになっている。部屋に置かれているものの色合いは薄い茶色で揃えられており、洒落た雰囲気を醸していた。
磨りガラス付きの扉を開ける。真っ直ぐに伸びた廊下の突き当たりには玄関の扉、右手には台所と冷蔵庫と洗濯機、左手にはトイレと風呂場と洗面台があった。
置かれている物の色合いは薄い茶色で統一されており、洒落た雰囲気を醸していた。お洒落だが、ベッドの上に置いたままの洗濯物や積み重ねられた食器の類が、生活感を出している。此処に人が確かに住んでいる証がそこかしこに存在していた。
玄関の扉には鍵がかかっていなかった。ドアノブもまわる。しかし扉は開かない。予想通りな展開なので驚きはしなかった。寧ろここで玄関の扉が開いた方が驚いたかもしれない。
玄関に背を向けた。無人のワンルームが静かに佇んでいる。早くこっちに来てと催促されているような空気に溜め息を吐いた。
リビングに戻り、もう一度部屋を見渡す。一番何かありそうなのはクローゼットだ。人の家のクローゼット、しかも無造作に置かれた洗濯物の種類を見た感じだと女の子のものを開けるのは気が引けた。だが、開けなければ手がかりは見付けられない。心の中で謝罪して、クローゼットの扉に手をかけた。
ハンガーにかけられた服が綺麗に吊るされており、その下にはカラーボックスが置かれている。服の他には鞄や帽子などの小物や掃除機が収められていた。特別変わったところはなかった。一応カラーボックスの中も覗いてみたが、これといって収穫はない。
次は本棚だろう。教科書、漫画、文庫本、雑誌が分けて入れられている。そんな多種多様な種類の本に紛れて、鍵のかかった分厚い青い本がおさめられていた。鍵らしきものは近くにない。今度は鍵を探さないといけないらしかった。恐らくはその鍵が引き金になるだろう。鍵を手に入れた段階なのか、本を開いた段階なのかは解らないが、ひとまずは鍵を見付ける必要がある。
鍵を置くのに最適な場所と言えば引き出しだが、この部屋にある引き出しと言えば台所と洗面台くらいだ。二ヶ所を探してみたが、鍵らしいものは出てこない。他に鍵を置きそうな場所が思い当たらず、家主には申し訳ないが徹底的に漁らせてもらうことにした。
どれくらい探していただろう。ようやく鍵を見付けた。無数に並べられた本に挟まっていたのだ。栞代わりにしていたのだろうか。不自然だった。
「これは解らないね」
鍵の置き場所に違和感を覚えたが、今は気にしている場合ではない。恐る恐る手に取ってみる。変化はなかったが、安堵はしていられない。本を持ち、錠前に鍵を差し込んでまわす。カチャリと音をたてて錠前は外れた。ツマミを捻って本を開いた。書かれていることを確認する前に背筋が冷たくなった。室内を見渡すも変わったところはない。しかし明らかに空気は変わった。冷たく肌を刺すような嫌な緊張感が漂っている。ここから立ち去りたいとそう思わせる嫌なものだった。
本の中身を確認するのは後にして、もう一度探索することにした。何処かしらに変化が起こっているはずなのだ。
台所も洗面台もトイレにも変わったところはない。後は風呂場だけだ。何となく最後にしてしまったのは、予感めいた何かがあったのかもしれない。
灯りはついていない。微かな水音が聞こえる。磨りガラス越しに見えている黒い塊の正体は、恐らく考えるまでもないだろう。これだけでも中を見なくても状況が把握出来てしまったが、見ない訳にはいかない。
深呼吸をし、扉を開く。扉の向こう側に見えた光景は想像通りのものだった。解っていても気分のいいものではなく、顔をしかめた。
浴槽に溜まった水は赤く染まっている。その水の中に投げ出された腕に触れてみるも、温度は感じられない。腕に乗せられた顔は青白かったが、表情は穏やかでまるで眠っているかのようだった。視線を床に落とせば、片腕がダラリと垂れ下がっている。白い手に握られたカッターの刃には血がこびりついていた。
薬や酒の類いは見受けられないし、他に外傷もなさそうだった。つまり彼女はこれだけで死ねたのだ。いくら湯に浸すといっても、どれだけ深く切ったのだろう。想像もつかなかった。
「よく出来るね」
「ありがとう」
独り言に返事がきた。目を開けて顔を上げた彼女は、やわらかく笑った。青白い顔で微笑まれても不気味でしかないのだが、それはどうでもいい。溜め息を吐いて彼女に問いかけた。
「何で私を閉じこめたの?」
「……寂しかったのかも」
若干の間をおいて彼女は答える。その答えは色々な死者から飽きる程に聞いていた。定番すぎるくらいに定番な答えに溜め息がこぼれる。この場合、解決するのは少々手間がかかるのだ。理由が曖昧すぎて、何をどうしたらいいのかが解らなかった。手がかりを見つけるためにも話を聞くのが先決だ。黙りこんだ私を怪訝そうに見つめる彼女と視線を合わせ、口を開いた。
「何で死んだの?」
「寂しかったから」
「は?」
「寂しかった……うん、寂しかったんだよ、私」
彼女は自分に言い聞かせるように呟いて頷いていた。一人で納得されても困る。解るように説明してほしい。そう言おうとするよりも彼女が口を開く方が早かった。
「あのね、私友達いなかったの。たまに話したり遊んだりする人はいたんだけど、でもそれが友達なのかと言われると違う気がするんだ」
彼女は遠い目をして語る。生前を思い返しているのだろうか。
「誰かと一緒にいるはずなのに寂しかった。でも誰にも言えるわけなくて、こんなの気のせいだって思うことにした。見ないフリをすればするほど寂しい気持ちは大きくなっていって、もうどうしようもなくなって」
「死を選んだってことね」
彼女の言葉を引き取って話をまとめる。強引に話をまとめたが、彼女が小さく頷いたからあながち間違っていないのだろう。
寂しいのが苦しくなって死を選んだ彼女は、死後私を閉じこめた。こんなにも皮肉なことがあるだろうか。
「友達欲しかったの?」
「え?」
「寂しさを埋めるための友達」
「……欲しかった。一緒にいても寂しくならない友達が欲しかったよ。でももうどうにも出来ないじゃん」
「なってあげるよ」
「え?」
彼女が目を見開いて私を見た。彼女は驚いているが、私も自分の口からこぼれた言葉に驚いている。彼女の友達になるということは、此処からの脱出を諦めることに他ならないのだ。
それもそれでいいのかもしれない。脱出したいと思っていたが思い直す。例え此処から出たとしても、また別の死者に閉じこめられて、脱出を試みる。それの繰り返しが待っているのだ。それならばいっそ、此処で彼女と過ごすのもありかもしれない。そうすれば閉じこめられる憂鬱さは感じなくて済むのだ。
「嫌なの?」
「嫌じゃないけど。貴女はそれでいいの? 自分で連れてきておいてあれだけど」
「いいよ。もう疲れちゃった」
「……そっか」
何かを悟ったのだろう。彼女はそれ以上、引き留めてこなかった。
「これからよろしく、でいいのかな?」
「いいんじゃない?」
「うん。そうだね。これからよろしく。あ、まずは自己紹介からからだね」
ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべる彼女を見ていると、これでよかったんだと思えてくる。これからはもう、面倒事に巻き込まれなくて済むのだ。
「自己紹介の前に場所移動しようか」
「あ、そうだね」
立ち上がって風呂場を後にする彼女の後ろ姿を見ながら、後で床の掃除をしなければと思った。ああその前に彼女の傷の手当が先だ。死んでいるから無意味だけど、傷跡を見るのはあまりいい気分ではない。
ボンヤリした頭で考えつつ、リビングで手招きする彼女に歩み寄った。