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11.5-4

 南米大陸を終えると、遠くから戦闘機の群れがやってくる。ここに至って響介の気は完全に抜けていた。本人は意識していないが、ここに来るまで二十時間以上経っているのだ。夜を追いかけているのだから仕方がない。

「あー、護衛? あれ護衛?」
「うんにゃ。最後のお楽しみじゃよ」

 ニコラオスの言い方が邪気に満ちているような気がして、響介の背中は総毛立った。善意の塊みたいな人だと思っていただけに尚更だ。
 恐る恐る振り向くと、何故かニコラオスは服を脱ぎ始めていた。

「ちょ、ちょっとー! 寒いやん?!」
「この方が動きやすいんじゃ。ちっとでも身軽になっておきたいんでなぁ」

 物凄い肉体が顕になる。物凄い、としか言いようのない上半身だ。筋肉バッキバキ。年齢(?)と肉体がそぐわない。ポージングをキメるニコラオスに、降下部隊から歓声と口笛が飛ぶ。

「う、動くって、爺ちゃんが降下するん?」
「ワシゃ降下はせんのじゃ。降下の手伝いしかできんでな」
「手伝い?」
「そうじゃ。手伝いっちゅうか、敵の排除かのう」

 咄嗟に耳を両手で塞ぎたくなったが、塞いでも全く意味は無いしヘルメットの上からやってどうする。敵、とな。敵と申したか。

「いいかキョウスケ、あのNORADの連中をだな、全部撃墜せなんだら先に進めんのじゃ。まあ撃墜しながら進んでもええんじゃがの」
「撃墜ってさあ、どうすればいいんや!」
「ワシが殴るかトナカイで蹴るか、どっちかできればええ」
「…………なんやそれえええええ!」

 絶叫。だがもう遅い。北アメリカ航空宇宙防衛司令部の腕っこき達が群れを成してやってくる。

「あやつらはペイント弾しか撃ってこんから安心せえ。ま、それなりに痛いし、洗濯が大変じゃが」
「洗濯が大変って、地味に辛いよな」
「辛いのぅ。まあ頑張れ、ここまで走ってこれたんじゃ、できるできる」

 既に言葉は適当になっていて、ニコラオス達の意識がNORADの迎撃、いや、エスコートフライト任務を担ったCF-18ホーネットへと向いているのが嫌でも分かった。そして、この戦闘もやはり避けられないという事実も。

「やったらええんやろ、やったら! もう知るかぁ! どうにでもなれってんだ!」
『イキのいいのがいるみたいだな! こちらNORADのシカ追い部隊、今年もよろしく頼む』
「こちらビッグ・レッド・ワン。今年の新人は結構やるでな、お前さん方も油断するなよ?」
『そいつぁ楽しみだ。じゃあおっ始めるか、メリークリスマス!』

 陽気な掛け声とは裏腹に、戦闘機が素早く散開する。背後に着かれたらまずいと認識できたのは、スイス上空での対空戦でその辛さを経験したからだ。

「あんさ、角度とか無理してええ?」
「構わんぞ、なんだったらバレルロールしたっていい」
「トナカイさんらはどう、まだいけそうなん?」
「大丈夫だ、鯨偶蹄目なめんな」

 響介の操縦は「機体を自分の手足と考える」という思想に基いている。自分の思う通りに動かすことができる、体の一部。今までは恐る恐るの操縦で様子を見ていたが、響介の中で「これはいけそうだ」という確信が芽生えていた。
 スイス戦の後に抱いた悔しさは、「もっとできるはず」という過信が土台になっている。過信は禁物だが、うまく使えば良い叩き台になるということを響介は知っていた。
 できるはずだ。もっと速く、もっと鋭く、コイツは動く。イメージ通りの軌道を描く、それが可能なはずだ。最初にミサイルを避けたあの感触は嘘ではないはずだから。

 手綱が入る。トナカイ達の蹄が前方を捉え、虚空を踏みしめて前へ、前へと力の限り走る。ソリの荷台に乗っている連中は思わず手すりにしがみついた。吹き飛ばされそうになる白い袋を掴んで、背後を振り返れば追随する戦闘機。やはり初フライトの響介では追いつかれるか、仕方ないか……と降下部隊の誰もが思った時だ。
 トナカイ達の進路が急激に変化した。左下後方に抉るが如くのターン。ソリの荷台部分が振り回される。その重力が振り切れもしないうちに今度は左上へ。響介の手綱に迷いはない。瞬時に戦闘機の背後を取ったトナカイ達は、その蹄で容赦なく翼を叩いた。
 発生したのは衝撃音ではなく、賑やかな鈴の音。火花ではなく、キラキラ輝くおほしさま。蹄が抉ったはずの箇所にはサンタの格好をしたオネェチャンのノーズアート。

「さあ、オウチに帰んな! メリークリスマス!」

 ルドルフの言葉に従うように、戦闘機はその鼻面を返して離脱してゆく。まるで操られているように。だが、戦闘機は基本的に三機編成だ。まだすぐ近くに二機。そのうち一機は真下にいる。
 ニコラオスが迷いなく飛び降りた。落下の勢いに任せ、戦闘機の天井部分に拳を打ち込む。音を立ててへこんだのではないか、というのは気のせいだった。トナカイの時と同じ現象が発生し、機体にはデカデカと色っぽいノーズアートが現れる。そんなノーズアートを力いっぱい蹴り飛ばしてニコラオスは跳躍した。戦闘機が少し揺らいだのは、今度こそ気のせいではない。飛んだニコラオスの伸ばした手がソリのヘリを掴んで、なんとか帰還を果たす。

「む、無茶な……!」
「いつもこんなもんじゃ。ホレ、キョウスケ走れ! 小隊単位でどんどん来るからな、片っ端から強制送還じゃ!」

 確かに、まだ一機残っているというのに遠方からさらに戦闘機の姿が。

「クリスマスってこんなんやったっけ?!」
「そうじゃ、クリスマスっちゅうのは戦いじゃ! あんまり真面目に考えると撃墜されるぞ!」

 容赦なくペイント弾が戦闘機から発射され、ソリの荷台をかすめて派手なピンク色を撒き散らす。

「俺の知ってるクリスマスと、ちゃううううぅ!」

 響介の絶叫は北米大陸上空に虚しく谺した。


 北極基地に帰還したのは、出発から二十五時間後のことである。極限まで集中した意識はすっかり途切れて、ゲートを潜るなり響介はアスファルトの上へ転げ落ちた。

「お疲れ新人! 転がりたい気持ちは分かるが、回収部隊の邪魔になるからどいてな」

 足で転がされるが、それに対抗する気力もない。むしろ移動させてくれるならありがたいくらいだった。壁に背中をつけて、何とも言えない捻れたような態勢でゲートを見やると、真っ黒いサンタ服に身を包んだ人物達がこれまた真っ黒なソリに乗り込んでいる。
 回収部隊、と言っていた。なるほど、降下させっぱなしではどうしようもない。行きがあるなら帰りだってあるわけで、彼等がお迎え係ということか。それにしてもどうして黒いのか。ああ、隠密性を重視しているのだろうか。

「おう、キョウスケ、よう頑張ったの」

 呼びかけられてのそのそと首を動かすと、汗塗れのニコラオスが笑顔で立っていた。

「初めての割には随分いい結果が出ておるでな。初フライトで二十六時間を切るのはそうそうおらんぞ」

 なんとか上半身を起こすと、力の入らない腕でヘルメットを脱ぐ。渡されたレモンティーがやけに美味く感じた。
 ニコラオスも隣りに座る。

「どうじゃった?」

 たった一言、そう尋ねるニコラオス。響介は出立する回収部隊をぼんやりと眺めたまま返す。

「……楽しかった」

 その言葉に、ニコラオスは破顔した。

「そうか、そうか! もう今日は休め。な?」

 休めと言っておきながら、ニコラオスは響介の体を小荷物か何かのように抱えて持ち上げる。なされるがまま肩に担がれた響介は、荷物どころかくたびれた布のようになって崩折れていた。

「褒美もあるでな。個人的な範囲での現世干渉ができるんじゃ。まあ、限度はあるが」
「んー……あとで。今は、ええわ」
「ええのか? 家族と話ができるぞい」
「ちょっと考えとくわ……」

 疲労のせいか、それとも初めての出来事にいっぱいいっぱいになったからなのか、響介はそのまま眠ってしまった。
 眠る、などという行為は実に、死んで以来初であったと後から響介は気付いたのであるが。


 翌年。八月。

「ええのか、一度こっきりなんじゃぞ」
「ええよ。オトンとかオカンとかはしっかりしとるから大丈夫やろうし。今、アイツに喝入れてやらんとアカンわ」

 今時珍しいテレホンカード。それを二本の指で挟んでヒラヒラと揺らしながら、響介は笑う。

「見てられんかったもん。アイツ、俺の真似なんかしてさ……」
「そこまで思っとるならええじゃろう。行っといで」
「ありがとさん、ニコ爺」

 響介が向かう先に、これまた今時見かけない電話ボックスがある。短いが行列ができていて、そこに並んでいる人は皆、少し浮かれている。
 弾性のあるテレホンカードを指で弾きながら、行列に並んで待つことしばし。思ったより早く順番は回ってきた。軋むドアを開け、中に設置されている公衆電話の受話器を取る。電話番号はまだ覚えていたので、淀みなくダイヤルを押した。
 コール音が一回、二回、三回。柄にもなく緊張する。ガチャリ、と古風な音がして、相手が電話口に出る。

『はい、もしもし。相田ですが』

 懐かしい声だった。ちょっとだけ、胸が詰まった。

「お、やっと出たな。俺や、俺」

 鼻をすするのがバレないように、響介はわざと陽気な声を出す。天国とか言う場所の片隅で、響介は久しぶりに、友達と話をしたのだった。


 まだこれから忙しい。次のクリスマスに向けて、忙殺される日々が続く。等々力響介のサンタクロース生活は始まったばかりだ。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。