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22-9

 そんな話題が中川路と月子の間で交わされている頃。
 目澤は、とんでもない目にあっていた。

 手術室、というには広い。一応、手術室という体ではある。ソイツ専用の機材など無いから、人間用のものを流用している。仕方ない、使い勝手の良いものは今後考えていくしかないだろう。
 場所は本体の付近。凍結処理されている本体から一部を冷凍状態のまま切り取り、さらに細かく刻む。その過程で確認できるものは出来る限りチェックしてゆこう、と、まあそのような意図であるのだが。

「……早い!」

 切り取られた一部、その解凍までの時間が早い。常に凍結処理し続けていないとこのザマか。それとも、レーザーメスを使っているから温度が上がっているのだろうか。

 切る感触は哺乳類に似ている。細胞組織が焼ける現象も発生しているし、きちんと分離もされている。だが、分離の速度を遥かに上回る再生速度。内部から湧き出るように肉芽が発生し、傷が塞がるというより上書きされてゆくように回復してしまう。

「凍結処理するしかない! 機材を……」

 執刀医の一人が叫ぶ。だが、対象は肥大し続け、手術台も道具も覆い尽くすように呑み込んでしまう。
 その様を見た瞬間、目澤は何かに気付いた。直感と言っても差し支えなかろう。そうとしか表現もできない。何故そう感じたのか、あれから十年以上経ったにもかかわらず、目澤は未だに上手く説明できない。

「伏せろ!」

 叫ぶと同時に、自分自身も近くの執刀医の頭を押さえ込んで床に伏せる。頭上を何かが風を切って通り抜けた。直後、壁が裂けた。大きな音に全員が壁を見る。

「……メス……?」

 巨大なメスの形をしたものが、壁にめり込んでいた。手術台の横に用意してあった、ごく普通の替刃式メス。鉤刃型の形そのものだが、あまりにも大きさが違う。色も金属色ではなかった。緑色のような、紫色のような、それでいて肉の質感がある。
 メスの柄に相当する部分。その根本は対象物から生えていた。

 悟る。危機感が理解を後押しする。

「学習、したのか……!」

 取り込んだものを学習し、使用してみせたのだ。対象物の意思によって。
 生成された刃はすぐに崩れ落ち、柔らかい肉へと戻ってしまう。だが、医師達は寧ろ恐怖を感じた。瞬時に生成できる、しかも可逆性がある。即ち、広がりつつあるこの体積全てが武器になり得る。この体積、全てがだ。

「凍結急げ!」

 液体窒素を噴射する。見る間に肉芽は真っ白く凍り付き、動きと膨張を止めた。まだこの量だったから凍結処理が間に合ったのだ。この場にいる誰もが事実を悟った。

 目澤は朝霧の言葉を思い出す。命の危険が最も高い、そう言っていたではないか。まさにその通りだ。こんな現場に桜井先生を連れてこなくて良かった。危険すぎる。
 そして、自分が選ばれた理由を嫌になるほど痛感した。あれを避けなければならないのだ、避けつつ、予測しつつ、執刀しなければならないのだ。普通の外科医では無理だ。他の執刀医達も大半が腕に覚えのある者ばかり。それしか選択肢は無かったのだ……。

 とにかく、各研究班用に小片として切り出さなければならない。安全を保つことのできる最善の大きさを探らなければならない。しかもこれは、急務だ。これをこなさなければ研究が始まらない。
 誰が言うでもなく、凍結された部分を掻き集める。これも立派なサンプルであるから。

「もう一度、行くか」

 誰かのマスクの下で誰かが言い、皆が頷く。これ程度で終わらせる気など一切無い。


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。