06-5
六月の頭に行われる第八、第九戦。
土曜日の第八戦は、響介の一位通過で終幕を迎えた。さすがにここまで来ると、他ドライバーからの当たりは強くなってくる。
正に「同列の競争相手」として認識されていることを、レース中に否応なく感じる。
翌日、日曜日の第九戦もよく晴れた日だった。青い空にエンジンの音が吸われていく。
観客も多かった。観客席から名前を呼ばれて、照れくさかったという記憶。
響介はメディアから取材を受けていて、話し掛ける隙は無さそうだった。かくいう自分にも取材のマイクが向けられて、しどろもどろで受け答えをする。
ようやっと解放されると、響介に名を呼ばれる。いつものように拳を握って顔のあたりに持ち上げているので、自分も同じように持ち上げ、互いのそれをぶつけた。
シャッター音が聞こえたので、カメラマンである母が今回も撮りに来たのかと思ったが、シャッターを切っていたのは見知らぬ人だった。
話し掛ける時間は無かった。これが最後だった。
コクピットは狭い。最低限のスペースしか無い。故に、視界は狭窄する。
だから、よく覚えている。
トップを走っていた自分の背後から、耳をつんざくエンジン音より大きな、嫌な音がして、次の瞬間には上空から、見慣れた黄色い車体が逆さまに「降ってきた」。
スローモーションのように視界に飛び込む。コクピットから投げ出されそうになる響介の体。歪んだ車体。千切れたハーネス。
響介の片腕がコクピットに引っかかったまま、車体はもんどり打って側面から路面に激突する。そのまま横へスライドしてタイヤガードへ突っ込んだ。
慌てて車を停めた。自分の背後は多重クラッシュを起こしており、コースが塞がっていた、と思う。
実はよく覚えていない。響介の方しか見ていなかったからだ。
無我夢中でコクピットから抜けだした。走った。横倒しになっている車体に駆け寄った。
響介の体を、歪んで奇妙に捻れた車体から無理矢理引きずり出した。
響介の体に力はなく、重かった。
駆けつけた救護班に響介ごと引っ張られた。響介の名前を呼ぶのが精一杯で、どうして自分まで引きずられているのかよく分かっていなかった。その時は。
すさまじい破裂音がした。響介の体を抱えたまま顔を向ける。響介がさっきまで乗っていた車体が、炎に包まれていた。
ヘルメットのシールド越しに伝わる熱。火の粉が飛んで、目の前で弾けた。
「下がって! 早く!」
やっと聞こえた声はこれだけだ。他の声はほとんどが怒号で、炎の音と混ざり合って耳に入らない。
響介を抱えた腕が動かなくなって、救護班に無理矢理引き剥がされるまで、ずっと、ずっと、そのままだったのを、今でも、夢に見る。
頚椎骨折による即死であったそうだ。
接触事故だったと誰かから聞いたが、詳しくは知りたくない。知りたくもない。
葬儀には、チーム全員で参加した。
何度か響介の家に遊びに行ったことがあるので、ご両親の顔は知っていた。それは向こうも同じであるので、葬儀場に着くとすぐに話しかけられた。
「雅之君、来てくれたんやな。ありがとな」
そう言って笑いかけようとしてくれる響介の父親。母親も飛んできて、深々と頭を下げた。握り締めた手はひどく、冷たかった。
「雅之君が助けてくれたから、響介、火傷せんと済んだんやに」
二人とも、目の周りが真っ赤に腫れていた。自分だって人のことは言えなかったが。
「挨拶、してあげて」
請われて覗き込む棺。まるで眠っているような響介の顔は、全く動かない。らしくない花に囲まれて、似合わないにも程がある。
「……花、ってガラじゃねえもんな。お前」
話し掛けても答えない。
「いや、いつも通りにツッコめよ。自分で花置いたんとちゃうわーって。なあ」
響介の顔に自分の涙が何粒も、何粒も落ちて、濡れる。
「起きろよ、なあ、響介、起きろよ。おい、聞こえてるんだろ? すぐに次のレース来ちゃうんだからさ、寝てる場合じゃないって。ほら、早く」
答えが帰ってくるわけがない。わけがないのだ。
「……ああ、すみません、俺一人でベラベラ喋った挙句、何て言うか、その」
相田はパーカーの袖で顔を隠して、布の隙間からシグルドに話す。涙が流れて頬がふやける前に、袖口で吸収してしまおうという腹積もりだ。
だが、いつまでもそのままでいるわけにも行かず、相田は無理矢理顔を拭って顔を上げた。
「俺もね、ネット中継で見てたよ」
シグルドがゆっくりと口を開く。何杯目かのワインを手酌で注いで、口を付けないまま、ただ水面を揺らす。
「本当は直に観戦したかったんだけどね。どうしても留守番してなけりゃならなくて」
「留守番、ですか」
「うん。ノゾミが、ヴォルフから出された課題をクリアするまでのタイム計測。他に人、いなかったし」
「課題?」
「フル装備で山登って帰ってくるっていう、まあ、自衛隊なんかでもやってんじゃないのかな。サバイバル的なやつだね。前回よりタイムは縮んではいたけど、それでもまだ遅かった。予定より三日遅れだったか」
グラスを揺らす手を止めて、思い出し笑い。
「いやあ、帰って来た途端に怒鳴りつけたんだよな。今思うと、酷い八つ当たりだった」
涙が止まらない自分への配慮。ここ最近の自分はやたらと泣いてばかりだ。
相田は、無言を以ってシグルドの言葉を促す。促されたシグルドは、相田の顔をちらりと見てから、視線を下に落として話し始める。