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24-7


 相田にタオルを渡してやると、彼はグシャグシャになった顔を覆って下を向いた。

「すみませんね、相田こういう奴なので。酒も入ってるし」

 網屋が相田の頭を撫でて、背中をあやすように叩く。

「大丈夫です、話、進めちゃってください」
「ああ、分かった」

 もう何杯目になるか分からない酒をグラスに注ぎ、中川路はボトルを空にしてしまう。結構なペースでアルコールを消費しており、やはり彼も酒の力を借りているのだ。

「この後、DPSは解散した。目的は達成してしまったからな」
「んだね。すごく静かな解散だった、ふわーっと……僕ら全員、一応病院で健康状態の検査を受けて、川路ちゃんは特に念入りに検査してさ、そんなことバタバタやってるうちに解散だよって言われて」
「聞いた俺達も、まあそうだろうなとしか言いようがなかったからな」

 苦笑交じりで話すことができるのは、もう全てが過去の物語になっているからだろうか。それとも、そのようにしたいからだろうか。

「結局、中川路先生が生き残った理由は分かったんですか?」
「いーや、分からずじまいさ。受けたダメージはそりゃ残っちゃいたが、それが後遺症になるだとかいうのもなく。ひたすら寝っ転がって点滴打って回復に努めたよ。……だけど」

 中川路は、自分の下腹部を叩いた。

「ここに、居る」

 ようやっと顔を上げた相田と、眉根を寄せる網屋に、中川路が浮かべた微笑は「いつも通りの」少し意地の悪いものだ。

「腸内細菌として、俺の体内で生きてるんだ。俺達が作った、あの細菌が。血液にも微量だが含まれている」
「……え、え、それって、大丈夫なんですか」
「不思議なことにね、なんともないんだ。ごく微量なら問題ないということなのか、それとも大人しくしてくれているだけなのか」

 肩をすくめて、はは、と小さく笑い声を漏らす。それ以外に行動の取りようがないのか。それ以外の行動を取りたくないのか。

「……あ」
「どうした相田君」
「前に、中川路先生が誘拐されたじゃないですか。フッた女の人に」
「あったねぇー! ムチでバッシバッシしばかれて鼻血ブーになってたやつぅ!」
「その時に、ほら、塩野先生が言ってたっしょ。血液に価値があるって。それってもしかして、その菌のこと?」
「よく覚えてたねえ! ごほうびにチキン南蛮あげようねえ」

 ご丁寧に小皿に盛って渡されたをそれを、改めて顔を拭ってから受け取る相田。スーパーの惣菜コーナーで買った「でっかいチキンフライ」に網屋の作った甘酢を掛け、上からタルタルソースを盛りに盛った急造チキン南蛮だ。そいつがすぐさま相田に消費されてゆく様を眺めながら、渋面を作って中川路が口を開く。

「俺がやたら誘拐されたりする理由がそれだな。俺の血には特殊な細菌に対する抗体が含まれていて、細菌兵器を作り出す俺自身とセットで兵器開発会社が欲しがってる……っていう、とんでもないガセネタ。血中に含まれるのは菌そのものなんだが……」
「市村が、抗体であるという情報を流している。あの時、そう言っていたな」
「イッチーのあの言い方、あれね、ホントにそうだと思ってんだよ」

 きっぱりと言い切る塩野の言葉に、全員が彼を見、彼もまた皆を見回す。

「川路ちゃんの体内にあるのは細菌じゃなくて抗体だって、本気でそう思ってる。あん時の電話で聞く限りは、ね」
「……あ、そうか、市村は知らんのか。中川路が具体的にどうなったか。あいつ、大怪我して絶対安静状態だったし」
「ん? 初耳だ。安静?」
「知らない、と言ったら中川路も知らないんだよな。市村な、あの時、ミミックに襲われたらしい」
「襲われたって……なんだよオイ、知らんぞ」

 中川路の物言いには、まだ僅かに仲間内への意識が残っている。それに気付いたのは塩野だけだ。であるので、目澤はそのまま説明を続けた。

「知らなくても仕方ない。お前が中に突っ込んでいった後、何人か実験棟から逃げてきていたんだが、その中に市村もいたのさ。上腕部を切り裂かれてかなり失血していたらしい。その辺は俺も直に見たわけじゃないが、外科チームの連中から話を聞いた」
「応急処置してたからね、外科チーム。結構いたんだよねえ負傷者。中には、まあ、助からなかった人もいたりしたし。それを考えれば、イッチーは軽症の方だったのかなぁ」
「比較すれば、な。十日間は意識を失っていたし、腕だって動くようになるか分からなかったらしいから」

 ここまで喋ってなんとなく言葉は消え、静寂が束の間訪れた。市村という男の話題。敵である人間。思い出話の中の彼は、仲間である。
 幸か不幸か相田も網屋も、仲間が裏切って敵になるという経験をしたことがない。可能なら、今後もそんな経験はしたくないものだ。つくづくそう思う。医師三人のやつれきった顔を見ていると。
 特に中川路は顕著で、市村のことを話す度に明と暗を行き来するのだ。当時の記憶と、現状との落差。突きつけられた事実。
 事実は事実、現実は現実だ。飲み込まなければならない。

「なんで、なんだろうな」
「なんで、って、川路ちゃん……イッチーのこと?」
「ああ。なんで、あんなことやってるんだろうな、ってさ」

 確かに、今までの話を聞いていてもあのような行動に出る要因は見当たらなかった。相田達も大いに疑問であるところだ。

「研究を悪用、だっけ? そんなようなこと言ってたよね、イッチー」
「関わっている人間は根絶やしにする、とも言っていたな」
「唐突すぎるんだ。いや、市村の中では唐突じゃないのかもしれないが……俺には分からん。なんであんなこと言い出したんだ? ミミックに恨みを抱くならともかく」
「憎悪の対象が僕達、って言うかDPSそのものだもんねえ。研究チームだけじゃなくて、当時関わってた国連職員やら食堂スタッフまで殺してるし」
「そんなに!」
「そうなんだよ相田君。最初は、上が研究チームを口封じのために始末しているんだと思ってた。ところが、だ」
「その上の連中も次々に殺されていってな。これはおかしい、と思う頃にはかなりの被害者が出ていた。被害者が出始めたのはいつ頃からだったかな」
「解散して、大体一年くらいだったはずだ。俺がようやっと、一人前の内科医になったくらいの頃だから……うん、そうだな、一年経ったくらいだ。一緒にイタリア行ったW班の二人が死んだって聞いて、信じられなかったさ」

 思い出話の中に出てきた気の良い奴ら。彼らが真っ先に死んでいたとは。思わず若者達も沈痛な面持ちになる。

「その後も訃報が相次いで、こりゃおかしいと思ってね。調べてみたら死因がおかしい。中には遺体が後から行方不明になるケースもあって、なんじゃこりゃと思ってるうちに、俺達も変な輩に狙われるようになった」
「僕はまあね、分かるの。ほうぼうから恨み買ってるからー。でもさあ、川路ちゃんと目澤っちが狙われるのはおかしいよねって。他の国のメンバーもおんなじこと考えてさ、みんなで国連のエライ人に直訴したんだ。おかしい、僕達あからさまに狙われてるよぉーって。そしたらさ、こう返されたんだよねぇ……」

 三人同時に肩をすくめてみせる。そして、三人同時に言う。

「そんなことにかまっている暇はない」
「……はぁあ?」
「なんで!」
「言葉の通りさ。折しもリーマンショック真っ只中、武装集団やら海賊やら新型インフルエンザやら暴動に弾道ミサイル、盛り沢山だったんだこの頃は。ま、それを差っ引いても俺達は放置されただろうよ」
「DPSの創設理念に照らし合わせると、もう問題は解決している。だから、もう関係ない。そういうことらしい」
「しかし、いくら何でも……」
「そういうもんさ。小さな個人的問題として処理され、俺達は元いたデカい組織から切り離された。見捨てられた、と言い換えてもいいだろうな。優先順位が低かったんだ」
「気持ちはね、分からないでもないんだよ。でもねぇ、僕らも悲しくなっちゃうからねぇ。仕方ないから、DPSの生き残りメンバーで頑張っていきましょうってんで連絡取り合ったり、研究資料の保管とかしたりしてさ、支え合ってやってきたんだけどさ」


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恵みの雨に喜んだカエルは、三日三晩踊り続けたという。 頂いたサポートは主に創作活動の糧となります。ありがとうありがとう。