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初めて獣を殺し、精肉し、食べた話

amphibianです。今回は創作とは関係ない話で、かつデリケートな話です。

まえがき

これは生後半年くらいのイノシシだそうです。
どうしたのかというと、狩猟関連の講習会に参加し、紆余曲折あってまるごとお持ち帰りとなったのです。

amphibianは狩猟免許(第一種・わな)を持っています。
かつて某ゲームを作ったのち、自力PRと称してノリでとったものですが、4年間塩漬けにしたのち、せっかく自営業になったことだし生かしてみることにしました。
といっても仕事や何やかんやの準備で1年目はつぶれてしまい、ようやく今年始動と相成ったわけです。

今回は、講習会において体験した「初めて」について書きます。

講習会の中身については詳しくは触れません。
各関係先に許可をとったわけでもないし、遵法的にであっても「獣を殺す」行為はネット上で賛否を集めやすく、総じて自分の手に余る事象につながるような気がしてしまいます。

というわけで、ここから先、他の猟師さんは登場せず、amphibianの体験のみにフォーカスして書きます。
また、本題に入る前に仕事が繁忙してしまい、時期を外してしまったこともあるので、以下スピードアップのために文体を変えます。

なぜ「狩猟」なのか

体験記の前置きとして、そもそもの動機について触れておく。

自力PRと前述したものの、内省するに、amphibianの真なる欲望は「他人にできない活路を得る」ことだったろうと思う。

amphibianはクリエイターとしての明確な強みに欠けている。
知識、経験、センス、愛といった、創造の根源的熱量となって作品に寄与する武器をもっていないのだ。

https://note.com/frogmonger/n/nbf602f266c13

前回の記事で「仕組みの面白さに執着している」ことを書いたものの、「良い仕組みを作り出せる」わけでもない。
自分の「強み」がどこにあるか、この言語化は未だに模索中だが、強いて言えばamphibianは、「逃げる」ことを知っている。

勉強が嫌いなamphibianが無理に勉強したところで勉強バリバリできるクリエイターには勝てない。センスや愛についても同様だ。
ならば誰もやっていない環境(ニッチ)を選べばいい。自分が勝てる土俵で勝負をすればいい。それが環境生物学的考え方というものだ。
さしあたり知っている範囲で猟銃を所持し狩猟をしている現役シナリオライターは存じ上げない(マンガ家にはいらっしゃると思う)。ということは、猟銃を所持し狩猟をしているライター向けの仕事は少なくとも独占できるはずだ。そんな仕事は無い。なら自分で作ればいい。amphibianにはFate/SNやヴェドゴニアを書くことはできない。しかし特異な武器を用いればマンモスもぶっ殺せるのが世界というものだ。誰も見たことのない武器を発明できないまでも、未知の領域から輸入した罠なら刺さることもあるはずだ。

卑怯だろうがなんだろうが俺は生き延びる。
その精神を培うためにも、狩猟というものは性に合うのではないかと思ったのだ。

果たしてその憶測の真否如何はいずれまとめるとして、以上により本業と狩猟の紐づけは完了した。
改めて「初めて」に立ち戻り、体験記をはじめる。

殺す

目の前には、鉄でできた檻のようなものがある。
高さと幅は1メートル弱、長さは2メートル弱ほどで、溶接された縦横の鉄線が格子をなす強固な直方体。
「箱わな」と呼ばれる猟具である。
一面が落とし戸になっている。中にエサを入れておき、獣を誘引。獣がうっかり線に触れると落とし戸が落ち、閉じ込められるしくみだ。
そこに今回、2頭のイノシシ幼獣がかかっていた。
推定10キログラム。中型犬くらいのサイズだ。牙もさほど長くなく、割とスマートで面持ちもあどけない。成獣特有のいかつさや剣呑さもない。可愛い。2匹いるのも可愛い。きょうだい(※後から分かったが両方メスだった)なのだろう。仲良く飯を食いに来たのだろうか。
これから殺すのだけど。
文章にすると感傷や躊躇がにじんで見えるが実際はすぐに切り替えが済んでいた。
生きエビの踊り食いができずに泣いた小学生のときのほうがよほど心が騒いでいた。
その後、虫を殺し、魚を殺し、大学では実験動物として大量の両生類を殺した。
自分が殺生によって生存していること、そして命に軽重はないことをある程度学んだあとの自分には、命を奪う局面で躊躇いをなくす回路が形成されているのだと思う。
一方で、痛みには未だに共感する。いたぶりたいわけでも、血をみたいわけでもない。
殺すなら一瞬だ。

狩猟において鳥獣の息の根を止めることを「止め刺し(とめさし)」という。
銃は使えない。自分の銃は持ってきてない(基本、猟銃は自分のやつしか使ってはいけない)し、この期間に銃を使えるのは駆除班だけだ。そもそも「箱わな」で狩猟された獣の止め刺しに銃を使うのは法解釈上リスキー。
そんなわけで今回使うのは、ナイフとパイプを組み合わせた槍だ。
しかし、いきなり刺せるわけではない。2匹の獣は箱わなのなかでウロウロウロウロウロウロウロウロしている。滅多刺しにするとかは残虐であり、鳥獣に過度の痛みを与えることは狩猟精神にも動物愛護精神にも悖る。
まず、動きを止めなければならない。

ワイヤーとパイプを組み合わせた「鼻くくり」を用いる。
ワイヤーの輪っかを獣の前に突き出すと、習性的に奴は噛もうとする。その瞬間にワイヤーを締め、牙に引っ掛けることで鼻先を掴まえる。
……のだけど、不慣れゆえにこれに数分要した。
こちらの手順が進むほど寿命が縮まることを弁えているかのように、獣は思い通りにならない。棒で突き回すような感じになり、少し嫌気がさす。それでも、しばらくすると獣は噛みついた。
輪を縮め、引く。獣の顔面が檻に押し付けられ、自由が奪われる。その状態でワイヤーをひっかけて固定した。
槍の出番だ。

喉元、肋骨の付け根から、心臓、心臓の根本の脈、あるいは肺を狙う。
教えられた通りに狙いをつける。
躊躇わないことに全神経をつかう。
何か言葉を口にしたかは覚えてない。
全力で槍を突き入れた。その瞬間、獣は抑えた悲鳴をあげ、全身に苦痛と怒りをみなぎらせて暴れかけた。しかし、すぐさま抜かれた槍は果たして致命傷を与えていた。血がひかえめながら躍るように溢れ、振り上げられた獣の力は霧散するように細っていった。
ここで血が十分に勢いよく出ていれば、そのまま放血成功となる。獣が生きている間に主要な循環器を傷つけることが肝要だ。放血に失敗し、全身に血が残ってしまった肉は食えたものではなくなるらしい。それがいわゆる「獣臭い肉」なのだという。
やがて血の勢いは衰え、垂れるだけになった。
獣は車台に乗せられ輸送された。
その後高圧洗浄機を用いて全身を洗浄された死骸は、解体のステップへと供された。

内臓を除去する

腸抜き(はらわたぬき)、中抜きなどと呼ばれる手順。解体作業中、もっとも神経を使い、また気の重い作業なのだともいう。
きわめて原始的なものから一貫して、動物の身体は口から肛門をつなぐ一本の管だといえる。そのうえ、消化器・内臓は、骨格と筋肉で構成される「その他の身体」とはかなり独立している。いくつかのポイントを的確に処理すれば、ごっそりと全部を除去できる。

これが作業者の気を重くするのには明確な理由がある。

  • 臭い

  • 死骸が漏らした糞尿を浴びることがある

  • 手が滑っただけで、現場と肉が糞尿まみれになる

ナイフを使い、腹をあけてゆく。
まずは胸郭の尖った骨の部分から正中線沿いに切れ目を入れ、そのまま骨沿いに左右に刃を入れて切り離す。
次に刃を天に向けて喉元まで皮を切り裂き、器官や食道を支えている膜や筋を刃や指で外しながら、舌ごと引き抜く。この辺で勝手が分からなくなり、かなり傷つけてしまった。
最も注意すべきは腹だ。ここの皮は非常に薄く、下手に突き刺せばすぐに糞の海だ。最初の切れ目は腸を傷つけないよう、最新の注意を払い、刃を叩くようにしてつける。そこから傷口に指を入れ、皮を持ち上げながら慎重に切れ目を広げてゆく。ぱんぱんに膨らんだ青黒い腸管の塊が姿を現す。ここで猛烈に湯気と臭気が立つ。止め刺しから1時間たっていないとはいえ、洗浄を経てなお、体温が、生命力の痕跡が濃厚に残っているのだ。
臭いについては、雑にまとめれば「生臭い」だが、魚のそれとはもちろん違う。よく修辞的に使われる「鉄錆臭い」、あるいは「死臭」「腐敗臭」などではない。血の「味」は鉄っぽいと言われて分かる気がするが、血の臭いは鉄錆っぽいだろうか? 今回含め、臭うほどの血の海を体験したことがないが、臭うとすれば赤血球(ヘモグロビン)のゾルとかより血漿のそれが強くなるのではないか。今回感じたのは、何かぺたぺたした、粘膜とか膿とかを想起させる臭いだ。それに加えて、うっすらした排泄物や諸々の体液の臭い。まじりあって、「生きている生物の内側の臭い」。快不快でいえば明確に不快だが、耐えられないほどではない。
腹を骨盤まで切り裂く。これがオスであれば腹の途中にペニスがある。収縮しているのかほとんどちょっとした膨らみとしか思えないようなもので、これを避けるようにして切るので難易度がハネ上がるようだが、今回はメスだったため真っ直ぐに骨盤に至る。

骨盤まわりが最も難関と言われる。構造が複雑で骨が邪魔をする状態で、肛門周りを皮膚と周辺組織から切り離さなければならないが、全体的にぐにゃぐにゃで処理しづらいうえ、下手をすると糞が漏れ出してくる。これを防ぐために落ち葉を詰めたり色々技法があるようだ。
かなり余分に肉を切ってしまったものの、絶対的失敗は避けられた。

管を支えている筋を指で引きちぎって外す。
この時腰にある5つの血管を裂いて血抜きの仕上げをする……が、よく分からなくなりがちだった。
骨盤をくぐる形で肛門~直腸を腹腔側から体の外に出す。
そして……舌から肛門に至るひとつながりの消化器官と臓器を、まとめて引き抜いていく。
肺の付け根の管が最も丈夫であり、そこに指をかけ、決して離さずに力を込めて引いてゆく。途中引っかかる取り残しの筋や横隔膜などは適宜切りながら、最終的に湯気だつすべての臓物を引き抜き、横に転がす。その後、カラッポになった腹腔を丁寧に洗浄し、既にゼリー状に固まりつつある血液などを除去する。

これで腸抜き自体は完了。
さっきまでの生々しい匂いは、いつの間にか、台所で嗅ぎなれた「肉の匂い」に変わっている。タンパク質と脂肪の甘い芳香だ。でも、まだ食えない。

抜いた臓物の塊から、舌、心臓、肝臓を切り取り、心臓は左右の心房・心室を切り開いて洗浄、肝臓は埋もれるようにくっついている胆嚢を切り取る。
これ以外の部分も食おうと思えば食えるものの、処理が厄介とのことで、捨ててしまうようだ(後述)。

以上が、比較的緊急性の高い処理となる。
血抜きは心臓が動いている状態でやらないとうまくいかない。内臓は放熱、臭い除去、清潔確保の面でもできるだけ早く除去する必要がある。あとは肉を十分に冷やしておけば、残る工程までには比較的猶予がとれるようだ。
……が、今回はそうもいかなかった。

皮を剥く

※ここからは解体写真が載る。我々が口にする食肉が等しく通ってきた過程であり、台所で行われることと本質的に何も変わりはない。が、人によっては過激に感じられるかもしれないので、自己判断により読み進められたい。









なんと、獲物は止め刺しをした受講生が持って帰って処理すべし、と下命されたのである。
amphibianは一戸建てを借りて住んでいるため庭が使えたが、そうでなければ屋内の風呂場などで処理する羽目になっただろう。
なんて段取りだ、と思いかけたが、考えてみたら自分で猟をするなら当然に降りかかってくる問題だ。ここで体験させてもらえたのは本当に良かったと思う。

食いしばった口元に生への執念を感じる

とはいえ、庭には作業台はじめマトモな設備が一切ない。
仕方ないので、この辺りではネコグルマと称する一輪手押し車をよく洗い、作業台代わりにすることにする。
長時間の講習と運転でかなり疲労していたが、死骸をこのまま常温放置するわけにはいかない。辺りはすっかり暗かったが、室内用のアームランプを使ってどうにか灯りを確保した。

前提として、シカなどと違い、イノシシの皮は非常に剥きにくいらしい。
実際に触ってみると、皮自体がかなり硬く分厚いうえ、皮下組織と強固に癒着しており、時折プラスチックみたいな硬さの不可解な接合部がある。力任せに引っ張って剥げるような感じでは全くない。
対策として、剥くのを諦めて毛を剃る、毛を焼いてしまう、熱湯を使って毛を全部抜く、といったアプローチがあるらしいが、教わったのはシカなどと同様、ナイフを使って皮を剥く方式だった。

末端から攻める

喉元から始めようとしたが難しく、しんどくなったため、比較的やりやすい四肢から改めて開始した。
四肢の皮は強固で、かつ筋肉との境目がハッキリしているのか、かなり剥きやすい。

基本は、ナイフを使って皮と肉の間のコラージェン層をなぞり、切り分けてゆく作業になる。しかし気を抜くとすぐに分厚い脂肪が皮にくっついてくる。そのまま油断し続ければ赤身の肉まで皮にもっていかれてしまう。そうならないよう薄く剥いていく。皮は想像以上に丈夫で、刃でしごくようにしても早々切れない……と油断していると、前述のプラスチックみたいに硬い部分などに引っかかった時にスパッと穴があく。
かなり神経をつかう作業だ。しかも、ヌルヌルグニャグニャした皮を強い力で掴みながら進める。この後握力が死んでしまい、一週間以上も筋肉痛としびれが続くことになる。

なお、本来ここでは少々失敗したとしても大腸破裂みたいな悲惨な結果にはつながらない。不器用だろうが少々肉をもっていかれようが、皮を剥き切ってバラシてしまえば食えるのだ。実際、別のところの猟師さんたちは皮にバンバン穴を開けて指を入れることで安定させていた。
amphibianはもったいない精神を発揮し、毛皮を残したかったため、できるだけ丁寧に進めているので大変なだけである。

口元はやたら難しい

筋肉や脂肪というより、皮下組織が分厚過ぎて、どこまで剥くのが正解か分からない。構造も複雑。この時使っていたのは刃渡り14センチくらいの安物のアウトドアナイフだったが、こういった部位はメスやデザインカッターでさばくのが最良かと思う。

後ろ足も比較的やりやすい

既に足首を切除してしまっているが、肉の多いところを効率的にとるならこれがベストらしい。
毛皮などで指先から肉球に至るまで丁寧に残したやつがたまにあるが、あれの作業の途方もない繊細さは考えたくもない。

顔面も含め、半身の処理が完了

見ての通り、胴体に脂肪や肉がつきまくっている。ただでさえ脂肪の少ない幼獣だけに、脂身がかなり持っていかれてしまった。道具の悪さと腕の悪さが相乗した結末だ。
なお左手だけ軍手をするのは滑り止めのため。あるとないでは作業効率が違う。

腕まくりをしていると、たまにダニが跳ねて腕に着地するのが分かる。都度撃退する。本当に獣はダニまみれだ。

かなり進んできた

これはあからさまに悪例。
獣の毛皮の外側は非常に不潔なので、本来は毛皮と肉が決して接することのないよう、剥いた内側に乗せたまま作業を進めるべきだが、ツルツルなうえに窪んだネコグルマの台上ではその状態を保つことが全くできず、結果的に毛皮と接した台面にグニャグニャとこぼれることとなった。
厳重洗浄のうえ加熱して食すとはいえ、中毒リスクは抑えるに越したことはなく、技術向上が望まれる。
きちんとした作業台は本当に大事だが、買うと3万くらいする。ゲームや読書といった趣味に比べると本当に金のかかる活動だと思う。

完了

ここまでに2時間くらいかかった。疲労困憊だ。
これの頭を取ると「枝肉」となる。
グロいと思われるだろうか。amphibianには不思議と、「これが食肉の真の姿なのだな」という納得感がある。素直に美味そうだとも思うし、スマートで美しいものだとも感じる(処理の粗さには目をつぶるとして)。
一方で、イヌっぽいかわいらしさがあるのも確かで、抵抗を持つ人もいるだろうとは思う。

解体・精肉する

解体はバラバラにしていくことで、精肉はそこから骨やリンパ節を除去して『いわゆるお肉』にしていく作業だと思う。多分。
既に疲労困憊したamphibianは、精密さ度外視で適当にやっていくことに決めた。

頭を外す

四肢を外す写真は撮り損ねた。

腹腔の内側の膜を外す

膜を除去するのは食味とかの観点で重要らしいが、比較したわけでないので何ともいえない。
アバラは本当は骨を一個一個外せばバラ肉になるのだが、「そもそも幼獣のため肉が薄い」「皮剥きがヘタクソで脂身が多く失われた」「しんどい」などの要因により、まんまぶった切って、ラムラックならぬボアラック(?)として調理することにする。

大詰め


ばらせた

結果的にスネやアバラなどが骨付き肉のままで、大腿骨なども肉まみれの散々な出来だが、これでできたことにする。

こうなればもう、誰がどう見ても「お肉」だろう。もはやグロい云々の感想はないものと思う。

これは……

目はちょっとグロいと言われるかもしれないが、マグロのカブトと何が違うのかという気もする。
というわけで、これも余さずいただく。

料理する

夜10時に食う量じゃない

これは解体作業直後にヘロつきながら作ったもの。左上がハツとレバー。その下が肩あたりのスパイス炒め。真ん中がモモか何かのステーキ、右が胸部軟骨の焼いたやつ。手前はサラダ。奥の緑色は生ニラ+生ニンニク+カイエンペッパーをめんつゆ+ゴマ油で1晩以上漬けたもので口にした瞬間神経がざわつくドラッグ的な食い物である。食いすぎると人体が死ぬ。

amphibianはこれまでちゃんとイノシシ肉を食べたことがなかった(何かでボタン鍋とかを食べていたかもしれないがぼんやりしている)。
感想としては、

  • 臭いとかはまったく無い

  • 豚っぽい、という感じはしない。赤みがしっかりし味も濃く、豚と牛の中間、どちらかといえば牛寄りな印象

  • 熟成とか調理法とかの問題か、あるいは野生のパワーか、やたらと肉質がしっかりしており、疲れた体が咀嚼困難を訴えている

  • 冷めてもやたらとジューシーというか、肉汁に粘りがある

  • 分かっていたが脂身が少ないため味わいは淡白
    (※後日成獣の肉を頂いたら全く違う印象となった)

  • レバーはすごく味が濃くてうまい

ガラ

頭は丸ごとゆでてスープにし、ガラは全部たべた。
2日くらい炊き込んだものの、未だに強烈なうまみをのこしている。
目玉や脳も、骨を破壊しない範囲で食えるだけ食った。うまかった。

ごちそうさまでした

https://twitter.com/frogmonger/status/1458036818197172224

これは予言したもの。オーブンでやったのかグリルでやったのか、液に付け込んだのか等々忘れたが、非常にクセのない柔らかい肉で実にうまかった。

シシおでん

硬いスネや骨付き肉はおでんにして煮込んだ。やはり味がしっかり残るのでおでんの具としては優秀だと思った。

ハム?

モモで作ったハムっぽいもの。雑調理だったのでややクセが残ってしまったが、まあ普通に食えたなという感じ。

シシヒレカツ 右はカラスカレイ

ヒレなので柔らかいのだけど、豚のヒレと比べると明らかに弾力があるし、そもそも肉の味の自己主張が強すぎる。衣とソースに合わせること考えるとカツは最適解じゃないような気がした。

あとはお隣さんや実家に配ったりもして終了。

分かったこと

一連の作業をやる前は、解体中のどこかにボーダーラインがあって、「死体」と「肉」が切り替わるのではないかと思っていた。
しかし実際にやってみると、獣はずっと獣であり、命であり、肉だった。
どの段階であろうが、そこには生命の力強さや美しさが感じられた。
生と死、というものをことさら意識して後者を拒む人間にとって、死は埒外の異物であってほしいものだと思う。しかし実際、人間ほど生と死の価値を区別しているものはいない。全てが全てを食らい、全てが全てを満たしているという循環の現実だけがあり、そこにおいて生と死はただの状態変化に過ぎず価値にさほどの違いもないのかもしれない。

また、解体など一連の工程は極めてドライに進行し、血が飛び散ったりするようなことは一切なかった。特に放血については真っ先に徹底される工程のため、あとの作業中はほとんど血に悩まされることはなかった。

イノシシ肉は美味だ。しかし、既知の家畜の肉とは性質がやはり異なる。
今回は幼獣だったがそれでもかなりしっかりしており、柔らかい豚肉と同じつもりで調理するとうまくいかない。より技術を磨く必要がある。

困難と不明点

一方で分からないことや、困難を感じた部分も露わになってきた。

後日機会があり、イノシシの胃袋をいただいた。強固な胃壁を切り裂くと、そこには未消化物(たぶん柑橘類)がぎっしりと詰まっていた……同時に凄まじい発酵臭、というより、なじみ深い……吐瀉物の臭いが……立ち上った……
持ち帰り、塩、酢、重曹などあらゆるもので洗いまくったが、ぬめりと臭いは相当取れず、一部ガツ刺しにしてもまだ酸っぱい感じが残っているように感じられたため、残りは全部「せんじがら(ガリガリの素揚げ)」にしてしまった。
おいしく食べられたが、獣の処理件数に対して解体にあたる人員が圧倒的に少ない現状で手間がかかりすぎる部位に手が回らないのは仕方ないと感じた。

ガツ刺しのネギポン酢和え(左)、せんじがら(右)

とはいえ「食べられるはずのもの」がざっくり廃棄されざるを得ない現状には、命を奪ったからこそ思うところも出てくる。
だから「○○になったら食べられない」「○○になったら捨てるしかない」といった情報に対して詳細を知りたいのだが、なぜか情報が少ない。
例えば、「銃弾が腹に当たるなどし、腹腔内部が糞尿まみれになった個体」。こういったものはどうやらジビエとして流通できないようになっているらしいが、「洗えば食えるんじゃないのか」という疑問がまだ解決しない。胃だって食えた。糞がぎっしり詰まった腸管だって、きちんと処理すればホルモンとして食える現状がある。
「むき出しの筋肉や傷口に汚物がつくと臭いや味が不可逆的に変わってしまう」とかの事実があるなら納得するが……
おそらくそういった細かいノウハウや経験値は地域ごと・コミュニティごとの口伝として伝わっているので、不必要とされたものは驚くほどばっさり切り捨てられ逸失するのだろうと思う。
熟練の漁師さんでも、売れない魚はバンバン捨てると聞く。同じことはどういう現場でも起きてるのだろう。
個人的には、できるだけ色んなことを試していきたい。

だから、なめしてもみる

https://twitter.com/frogmonger/status/1461229194428387329

Conan Exilesで見たやつだ!
こちらのサイトを参考に、剥いだ皮を、ミョウバンなめし(水10lに対しミョウバン300g、食塩500g、樟脳1箱ぶんに1週間以上漬けこむ)処理にかけたのち、フックでピンピンに伸ばして日陰で乾燥させたものである。

びろびろ

残った脂肪や肉片の処理がものすごく大変だったものの、結果として概ねいい感じになった……ように見えるが、

末端部に注目

右側の前肢あたりに黒っぽいものが残っているのが見える。これ、剥くときには楽だった部分だが、思った以上に皮と癒着した脂肪が残っていたらしく、脂ぎっていてニオイもきつい。
こういうのをなめし乾燥後も未練たらしく削ったりしており、実は未だ完成していない。
完成したところで各部ボロボロで、素材に使えるようなものでもないので、敷物か壁飾りくらいにしかならないのだが、それでも、捨ててしまうことを推奨されていた毛皮をある程度長持ちする形にしたという経験を積むことができた。

食べたあとの頭骨も標本にすべく埋めたりしている。
少しずつ、新たな知識と経験を得て、生き残りの糧としていきたい。

おわりに

振り返ると約一万文字です。こんな長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
ご反応等よろしければまたいずれ、狩猟については書くかもしれません。ご意見ご感想お寄せいただければ幸いです。

狩猟は火器や生命を扱うデリケートな活動です。ご反応や内省に応じて随時記事内容を変更したり、閉じたりする可能性があります。ご了承下さい。

この記事から得られた何らかの情報が、みなさまの良き生き残りに寄与することを願っております。

うちの顔がいい獣。解体経験後、猫を触っていても解体のことを想像するようになってしまった。