親しいの境界線
親しい人はいますか?
こう聞かれたとき、どこからを親しいと呼んでいいのか分からず、"戸惑い" が初めに浮かんでくる。親しさにはグラデーションがあって、この人とは仲が良い・それほどでもないの判断が曖昧すぎて未だに基準という定規が見つからずじまい。
インスタの親しい機能やサブアカウントという概念が得意じゃない。
よく分からなさすぎて、サブアカウントは消してしまった。
見て欲しいものができたとき、投稿を共有したい人は確実にいるし、絶対に見られたくない人もいる。でも、その堺目にいる人たちに、投稿を見られようが見られまいが、正直どうでも良い。だから、親しい人へ分類する際、誰が適切なのか分からなくなる。そして、結局投稿しない選択を取ることが多々。
先輩から「人に興味が無いんだね~」と言われて驚いた。物事に対する関心の幅も比較的広いし、そこで出会う人との交流も好きだからだ。むしろ人が好きだと思っていた。
日常的にイライラしない、人のインスタの投稿内容をさほど覚えていない。友人の髪色が変わっても気づける自信も無い。こういうところが人に関心がないと思われる要因なのだろう。
思考を張り巡らした結果、少しずぼらで、ある程度一人の時間を楽しめるコツをつかんだだけで他人にかまっている時間、自分と向き合ってるのだと気づいた。
あと、興味は意外とある。だけど、深く介入しすぎない。これも大事にしてることのひとつ。
好き・嫌いを感情的に表せるのも人間味があってかわいらしい。
だけど、感情のグラデーションに濃淡が付けにくい人もこの世界には存在しているんだよというお話でした。