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【日記】10年越しの夢が叶う

火曜(10/15)、朝起きて家で面接対策をする。先月京都土産に買ったほうじ茶ラテの原液が甘くて美味しい。午後にとある企業の面接、感触良かったのに落ちた。解せない。夕方に某アプリの人の家に行ったが、経営者で資産あるのにかかわらず部屋が散らかっていて洗面所は吸い殻で黒ずんでおり、金銭を介して会うにしても無理すぎるなと思った。夜に解散して、そのまま店Aへ出勤する。客にはつかなかった。

この日の18時、約半月ほど慎重に構想を練って、大切に温めていた記事がリリースされた。私が10年間という長い月日で恋焦がれるように追い続けていた、ペリカンファンクラブのフロントマン・エンドウアンリさんへのインタビュー記事だ。いちファンとして彼に取材を行うことはライター人生においてほとんどゴールみたいなものとして目標に掲げていたので、ついに10年越しの夢が叶って本当に本当に嬉しかった。

彼自身の影響力も手伝って早速当該記事の告知ポストには多くのリアクションがついた。私の宣伝ポストにおいても相互フォロワー各位がいいね!や「達成おめでとうございます」とリプライ及びDMを送ってくれて、誕生日よりも祝われて嬉しかった。またエンドウさん自身も私の一連のポストを見てくれたのか、夢が叶ったと呟いたことに対して無言でいいね!を押してくれた。いいねの非表示機能にこればかりは感謝するほかない。



本音を言えば、彼がこの夏新しく始めたGrape Kikiについてではなくて、自分にとって長く夢を叶え続けてくれる存在だったペリカンファンクラブとしての取材を行いたかった。楽曲面において取材時にも挙げたけれど両者は対極で、彼自身「ペリカンファンクラブは夢を叶える存在、グレープキキは身近なストレスを吐き出すもの」としてそれぞれコンセプトを掲げていて、私は「もし明日地球がもう一つできたら君はどうするの?(ダダガー・ダンダント)」とか、「生きているこの際だ どうなったっていいや(ディザイア)」とか、生きる希望を躊躇なく与えてくれるペリカンファンクラブの曲が好きだった。それは彼に出会った当時10代の私が夢も希望もない高校生だったからで、その後も節目節目で彼の音楽や活動展開を通して夢や希望を持つすばらしさを教えてくれたからだ。

でも、それでも今回の取材は取りこぼすわけにはいかなかった。ほとんど運命みたいなタイミングだったと思う、私が退職していて、エンドウも同じ時期にメジャーレーベルであるソニーを離れて独立したというのは。取材日の帰りしな、「風邪には気をつけてくださいね」と声をかけられて、10年前に彼からリプライで「テスト前にライブ来てくれてありがとう お互い風邪には気をつけましょうね」と送ってくれたことをふと思い出してとても暖かい気持ちになった。自分の夢なんかどうせ願っても叶わない、彼には一生手も届かないなどと悲観していたけど、私は今日ついに「夢を叶えた側の人」になったのだ。ライターという仕事にたいして理解を得られなかった家族には年末直接声を大にして自慢したい。私夢叶ったよ。


水曜、朝8時に起きて笹塚のオパンというパン屋へ行った。どうせ冷凍放置してしまうのに(私はパンの冷凍保管を過信しすぎている)、オパンドッグとフォカッチャを買った。その後は池袋でアプリの人と会う、まさかの同業者で所持している本にも寄稿しているような人でびっくりした、こわ。解散してオモコロ表紙のananと建築特集のブルータスを買った、ソロカット洒落すぎててさすがに爆笑。でもARuFaの溌剌とした感じとかは彼のキャラクターをうまく捉えていて素敵だった。


夜、里芋ときのこの白味噌和え、胸肉焼いたもの、を食べて控えめにビールを飲み干して寝た。

木曜、朝起きて昼まで面接対策。午後は某企業の面接で、2時間みっちり絞り取られるほど質問を受けた。やはり大手だからか、他の企業とは異なってテンプレ以外の質問が多く、27年間という私の半生を全て初対面の人事さんやMGさんに話し尽くしたような時間だった。死ぬほど緊張して吃ってしまった場面もあったが、MGの方から「受け答えの感じがいい、クライアントワークに向いていると思う」と言っていただけて救いだった。終了後、一時間ぐらい経って選考通過の連絡をいただいた。小躍りするほど嬉しかったが、ここから書類、二次、三次と道のりは険しいので気を緩めてはいけない。

プチご褒美と言い訳して夜に原宿のスリーフィートへ。ちょうど三日前ぐらいにインスタ相互になった男性と偶然出くわして「〇〇さんじゃないですか!?」と声をかけていただき驚く。トートピアのサワーエールをシェアして飲んだ。20時頃に帰宅して、夜は冷凍していたベーグル、きのことアボカドの白味噌和えを食べ、23時頃に寝た。