どくはく
俺が子供の頃、天高い雲間に瑪瑙色をした龍を遠目に見た。神社とかに祀られているような、蛇っぽい東洋式の龍だった。本当に見た。
家族に興奮してそれを告げた。
リアリストのきょうだいはバカにしたように鼻を鳴らし我関せずと窓の外を眺めていたが、車中の母は優しく、”すごいねぇ。どこにいるん?”と俺に尋ねてくれた。
“あそこ!***みたいな雲と、***みたいな雲の間!”
母の真後ろに陣取っていた俺は、共に仲良く空を見上げる。
“うーん、お母さんには見えへんみたいやなぁ。”
これまた現実主義でカタブツの親父は無言でハンドルを握っている、表情は見えないまま。確かにいたのに、と当時の俺はとても残念がった。大好きな母と、千載一遇の奇跡を共有したかったのだろう。
朧気な記憶を辿り味気なく自己分析すればそれは、何かの見間違い/子供ならではの親の気を引きたいが故の虚言そして思い込み/或いはアリス症候群ってやつだろう。ただ、今大真面目に主張すると精神病棟送りになるレベルの幻視が当時は色々とあった。しかも、当時の自分はそれらを肌で感じる程リアルに捉えていた。思い返せば笑える位本気で戦慄し、驚嘆していた。
都合の良い事に、大人になってからそんなモノは見ていない。(幻聴があったり、オカルトめいた出来事に遭遇することはあった)
だが、幼少時はなんと楽しく、蠱惑的で、妖しく、極彩色の目眩くような世界で暮らしていたのだろう、と寂しくなるし、幻をリアルだと思い込む程の空想力、内在していたプリミティブな想像力に舌を巻く。幼少の頃に比べ、鉛のようにどんよりする色に心を蝕まれるような思いの毎日の、なんとつまらない事か。プログラムのロジックが淡々と実行されゆくのみかのような、工場の延々と続く無表情なライン作業のような無機質さに窒息してしまうような世界。
今でも、自身の潜在意識内であの頃が想起されるのか、ボーっと空を眺めるのが好きだ。幾度眺めても、もうあの時の龍は姿を現してはくれないが。