都合よく未来を歪曲することが危険への入り口。北極冒険家の哲学(後編)~冒険とリスク~
こんにちは。Fringe81 noteチームの横山です。
Fringe Explorer アンバサダーである北極冒険家 荻田泰永さんへのインタビュー(前編はこちら)。後編は「冒険とリスク」をテーマにお届けします。
1つの判断ミスが命の危険に直結する極限の世界で、大自然の驚異と向き合い続けてきた荻田さんの哲学は、我々ビジネスパーソンがリスクに向き合う際に大きな助けとなるはずです。ぜひご覧ください!
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想定内と想定外の境界線
――未知へ挑戦した時に、失敗した結果をみて無謀だったという批判もあると思いますが、荻田さんが考える冒険と無謀の違いは何でしょうか?
しっかりと考えているかどうかだと思います。結果だけでは、どちらかは分かりません。無謀でも、運よく結果が出る時はあります。冒険のプロセスに対する姿勢の違いだと思っています。冒険のプロセス全てが、想定外でゴールにたどり着いたとしたら、それは無謀です。想定内と想定外の境界線を、どれだけクリアに考えられるかが大切です。
自分の経験や技術、気象条件などを考慮して、どの程度の想定外に挑むのかを考えることが冒険です。冒険とは、危険(リスク)を冒すことであり、無謀とは、謀(はかりごと)が無いことですからね。また、冒険の最中には、都合よく未来を歪曲して、何も確証がない(想定外)のに、実現できる(想定内)と錯覚してしまうことがありますので、注意しなければなりません。
悪しき前例が、都合よく未来を歪曲することにつながる
――「都合よく未来を歪曲する」とは、どういうことでしょうか?
前回は大丈夫だったから、今回も大丈夫という確証は本来ありません。しかし、冒険の最中でそう思ってしまうことが「都合よく未来を歪曲する」ということです。冒険では、ひとつひとつの行動の理由を、自分に対して客観的に説明できることがリスクマネジメントにつながります。「前回は大丈夫だったから」は理由になりません。前例をなぞることが理由にならないのは、ビジネスも同じではないでしょうか。これを防ぐためには、悪しき前例を作らないことが大切です。悪しき前例というのは、自分にとっては想定外だったけど、運よく上手くいってしまうことです。
私自身の経験でいえば、2016年のカナダ最北の村グリスフィヨルドからグリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ1,000kmの単独徒歩の時のことです。その日は、12時間以上行動して、大斜面を下りきった場所でキャンプをしようと考えていました。下る際には、左側のルートは激しいクレバス地帯になっていたので、右側のルートを下らなくてはなりませんでした。
しかし、天候が悪くて視界がきかず、気づかない間に左側のルートに入ってしまったんです。かなりの距離を下ってしまった時に、自分が左側のルートにいることに気づきました。12時間以上行動して、早く休みたいという想いもあり、正しいルートに戻ることを躊躇しました。その時、「このまま行けるんじゃないか?」という期待を込めた誘惑にかられました。
しかし、悩んだ結果、正しいルートに戻ることにしました。今後、同じような場面に遭遇した時に「前回は大丈夫だったから、今回もいけるはずだ」という思考回路になると思ったからです。悪しき前例が、後々の冒険において想定内と想定外の境界線を曖昧にしてしまう要因となり、判断を誤らせることにつながるのです。
感情と現実の狭間で客観性を保つ
――悪しき前例が希望的観測につながるということですね。厳しい状況下で客観的な視点を保つにはどうしたら良いでしょうか?
正直、これはかなり高度なことだと思います。私も、100%できているかというと定かではありません。これまでの経験からいうと、順調な時は良いのですが、想定外が起きた時に客観性を失う可能性が高まります。
感情と現実の間に葛藤が生まれるからです。現実に基づいて判断することが、客観性を担保するには必要です。しかし、感情が現実に優ってしまうと、感情に基づいた判断をしてしまうのです。
例えば、自分の技術や体力は限界を超えているにも関わらず、どうしてもゴールしたいという想いを優先して、冒険を継続してしまうといったことが起こり得ます。感情的に妥協したくないという想いが強ければ強いほど、危険性が高ります。私は、現実に基づいた客観的な妥協は大切だと思っています。実際に、私は、無補給単独徒歩というスタイルで北極点への到達を目指しましたが、客観的な妥協に基づき、これまで2回途中で撤退しています。
客観的な妥協は、後々、自分自身の中で整理がつきやすく、次回への学びとなります。冒険をする上で情熱などの感情はとても大切です。それがないと冒険は進みません。クルマでいえばエンジンのようなものです。しかし、クルマを操舵するにはステアリングが必要です。このステアリングの役割を担うのが、現実に基づく客観的な判断だと思っています。
撤退に必要なのは、勇気ではなく客観的な妥協
――客観的な妥協による撤退という話がありましたが、諦める勇気も冒険には必要ということでしょうか?
冒険では、撤退する勇気という表現が使われることがありますが、私は、あまり好きではありません。困難に立ち向かい、前へ進む時に必要になるのが勇気だと考えているからです。戻るのに必要な勇気とは、自身の世間体とか、周囲の期待に立ち向かっている状態だと思います。「ここで諦めたら、応援してくれている人をがっかりさせてしまう」といった他者に依拠した感情が冒険のリスクを高めます。
危険(リスク)な要素がなければ、冒険にはなり得ません。リスクが存在することが前提です。リスクは地雷のようなもので、地雷はそこに埋まっているだけでは、ただのリスクです。それを踏むことで、初めてリスクが顕在化します。何も考えていないと、当然どこに地雷が埋まっているか見分けがつきません。
しかし、経験を積む、知識を得る、技術を磨くといった備えを施すことで、地雷が埋まっている箇所(リスク)が見えるようになってきます。危険は、目の前に存在しているものですが、困難さとは、危険と自らの状態(体力、技術、残された食料など)によって変動すると考えています。冒険の現場では、危険の大きさと自らの状態から、困難さを客観的に判断することが最悪の事態を回避することにつながると考えています。
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いかがだったでしょうか。ビジネスにおけるリスクとの向き合い方にも通じる気づきがあったのではないでしょうか。Fringeでは、今後もFringe Explorer アンバサダーの荻田さんと共に「未知への挑戦」について情報発信をしていきますので、ご期待ください!
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