見出し画像

一度だけの伊豆へ

土曜午後、伊東行き電車に乗った。下りのせいか思ったよりすいていて、夫と私は四人掛けの席に、二人でゆったりと向き合って座ることができた。
夏は何処へ行く暇もなくあわただしく過ぎてしまった。やっと今日、伊豆へ出かけるのだ。

電車が早川駅を過ぎるころから、窓の外に海が広がった。曇り空のためか、空も海も同じトーンのブルーグレイだった。しかし、空は海に近づくにつれぼんやりと乳白色を帯び、水平線をきわだたせていた。海面は穏やかだったが、ところどころ小さく盛り上がり、そのふくらみがすこしずつ陸の方へ移動していた。潮の香りがするかもしれない、と窓を少し開けてみたが、ただの生暖かい風が吹き込んできただけだった。

夫は座席に浅く座り、長い足を私の横に投げ出し、出っ張ってきたお腹の上にゴルフ週刊誌をのせて読みふけっていた。縞柄のシャツに紺のズボン、いかにも休日のサラリーマンと言った風だ。しかし、きちんと七三にわけた髪がなんだか今日の気分にそぐわなかった。彼の頭の隅には仕事のことが、まだこびりついているのかもしれない、私は頬にうるさくからみついてくる髪をかきあげながら思った。

四時半、電車は目的の駅に着いた。緑の木々が身を寄せ合うように繁る山が目の前に迫っていて、その中に今電車で通って来たレールがカーブしながら吸い込まれていた。踏切を渡り、車が三台も止まればうずまってしまうくらいの駅前広場を通り過ぎると、左手にキウィ畑が広がっていた。竹の支柱に枝をのせた木々は、薄い葉をせいいっぱい広げ、争って日の光を浴びようとしているようだった。うぶ毛の生えたオリーブグリーンの実が、二つ三つと固まってぶら下がっているのが葉の間から見えた。木々の根元には、真っ赤な彼岸花が数本ずつ固まって咲いていた。

画像1


旅館A荘は駅から歩いて五分位、山の中腹の眼科に海が臨まれる場所にあった。玄関には赤々と灯がともり、おかみさんと仲居さんが着物姿で賑やかに迎えてくれた。きびきびと良く動く仲居さんの白足袋の後について私たちは三階の部屋に上がった。

一休みするとさっそく風呂に行った。女性用の露天風呂は十人も入ればいっぱいになるくらいの大きさだが、まだ誰もいず、湯の表面を静かに湯気が這っていた。遠くの海を見ながら湯に浸っていると、落ち葉を焚くにおいがした。

「ああ、伊豆に来たんだ・・・」

と岩にもたれながら大きく深呼吸した。

夕食のメニューはなかなか豪華だった。仲居さんはたもとの端を帯に挟んで、にこにこと私たちに笑いかけながら、次々と料理を運んでくれた。四角い大皿には、鯛の頭と弓なりにそった尾がつん、と上をむいてのせられ、その間にさまざまな種類の刺身が彩りよく盛られていた。鮭とジャガイモのグラタン、ゆでた蟹、煮物、茶わん蒸し、酢の物…食べきれるか心配になるほどだった。

夫と私はビールをお互いのコップにつぎながら、とりとめのない話をした。

「年を取ったら伊豆にリゾートマンションを買おうか」

浴衣の前をはだけ上気した顔で夫が言った。

「年を取るほど都心に住んだ方がいいんじゃない?あんまり静かなところにいるとぼけそうだもの」

「じゃあ、都心に住んで時々マンションに来ればいい」

夫は座椅子にゆったりと背を預け、気分が大きくなっていた。

結婚してから三十年になる。三人の子供にも恵まれ、末娘が今年の春独立した。営業マンの夫は麻雀にゴルフで明け暮れ、一人での子育てに苦労も多かったが、今はこの幸せな気分を大切にしよう。

「ねえ、このお刺身、おいしいわねぇ」

私はいつもよりはずんだ声で夫に言った。


「私」というのわたしの母で、十五年前に亡くなった。「夫」というのは父である。仕事人間の父は、会社の旅行は出かけたが、母と二人で旅行することはなかった。年を取るまで生きられなかった母、都心のマンションには住んでいるが、認知症になった父。せめて、と二人の伊豆旅行記を書いてみた。


           おわり


いいなと思ったら応援しよう!

チズ
よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはアイデアの卵を産み育てる資金として大切に使わせていただきます。