そこになくても覚えているから/「実家にある私のもの」企画参加
家を出ていくとき、自分の部屋は空っぽにすると決めていた。
それだけは絶対にやると、つよく思っていた。がんこタイプがこうなると、もう誰も止められない。
当時、ミニマリストに憧れていた。
ミニマリストの人はたいてい、自分の軸を持っている。今の自分に必要なものだけで、シンプルに暮らすその姿をかっこいいと思った。
それに、いない人のものがいつまでもとり残されているのは変な感じがした。
そういったわけで、ひとり暮らしに向けて自分の持ち物を持っていくか、手放すかの2択でどんどん分けていった。
元々ものに執着が少ないこともあり、かなりの量を減らした。
それでも持っていくことも、手放すこともできないものがある。
部活の引退のときにもらった写真や、小学校の合唱の楽譜。
生活には必要ないけれど、捨てることもできない。
かなり厳選したけれど、手元に残った「思い出のもの」はダンボールに入れて実家に置かせてもらうことにした。
そのダンボール一箱とアップライトのピアノが実家にある私のもののほとんどだ。
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メディアパルさんの企画「実家にある私のもの」を読んだ時、思い浮かんだのはダンボールのことだった。
ダンボールに入っている手のひらサイズの四角い置物。
透明な樹脂でできていて中央にはカンガルーと地球儀のピンバッジが埋め固められている。
中学の技術の時間で作ったはず。
きっと型に半分ほど樹脂を流し込んで、好きなものをいれて、さらに樹脂を流し込む。そんな作り方だったんだろう。
他の学校でも、この授業はあったのかな。
中身に選んだピンバッジはオーストラリアのお土産だ。
通っていた中学校では交換留学が行われていた。生徒何人かがオーストラリアに行き、姉妹校に一週間ほど通う。
その期間中はホストファミリーにお世話になる、というプログラムだ。
中学一年生のとき、この交換留学に参加した。
今思うと、あの交換留学に参加したのはかなり無謀だったなあと思う。
その頃、私の英語の知識は小学校の授業で学んだものが全部だった。
授業といっても、外国の先生がゲームをまじえながら遊ぶようなもの。
英会話に通っていたわけでもなく、とても英語で会話ができる状態ではなかった。
それでも外国で一週間すごせたのだからなんとかなるもんだと思う。
今ホストファミリーに会えば、もう少しなにか話せるのかな。
交換留学中のできごとを全部覚えているわけではない。それでも輪郭がはっきりとした思い出が多い。
あの置物にはオーストラリアの思い出が閉じこめられている気がした。
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と、ここまであの置物について書いてきたわけだけど、実は本当に実家にあるか自信がない。
多分ある、多分あるはずだけど過去の自分が手放した可能性もある。
そのぐらい断捨離の勢いはすごい。もはや祭りだ。
「ものが手元になくても、思い出はのこる。」
ミニマリストの本によく出てくる言葉は本当だなと思う。実際、あるかもわからない置物を思い浮かべて、中学生のころを思い出している。
きっと置物そのものよりも、置物を通して思い出すできごとの方が大切なんだろう。
この夏、実家にかえる。
せっかくだからあのダンボールを開けてみよう。あの置物を探してみよう。
そんな、実家にあるかもしれない私のものの紹介でした。
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メディアパルさんの企画「実家にある私のもの」に参加です。
つい先日実家の愛知に帰りました。
置物はちゃんとダンボールにあり、ちょっと安心。ダンボールには覚えてもなかったものが入っていたりして、また整理しようかなあと思ったり。
「実家にある私のもの」企画は2023年12月31日まで。お盆に帰れなかった人も、チャンスをみつけてぜひ参加してみてはどうですか〜!
たいしたものはお返しできませんが、全力でお礼します!! 読んでくださり、ありがとうございます!