「行方不明」の痕跡を見た話
始めに
こんにちは、ぶるぞんです。
先日、日本橋で開催されている行方不明展に行ってきました。
今回はその感想を書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
展示概要
この展示会では「行方不明」という現象をめぐって4種類の展示が行われています。
ひとの行方不明である「身元不明」
場所の行方不明である「所在不明」
ものの行方不明である「出所不明」
記憶の行方不明である「真偽不明」
この4種類の展示を通して、行方不明という現象を考察することがこの展示会の趣旨です。
また、この展示会には有料の映像作品も存在します。作品名は「正体不明」で、行方不明になった人、そしてこの行方不明展を訪れた人に関する映像となっています。
感想
まず、この展示会に足を運んだのが週末だったこともあり、チケットは完売で文字通り大混雑だったのがすごいと思いました。開催前は少々炎上したこともありましたが、多くの人はこのような展示に興味を持ったということで喜ばしいことだと感じます。
混雑していたため、展示は地下エリアの「出所不明」「真偽不明」から地上エリアの「身元不明」「所在不明」の順に回りましたが、話の流れを考えると地上エリアから見るのが良いと思います。また、電話ボックスとボイスメッセージは待機列が長すぎて諦めざるを得なかったので残念です。
展示の感想ですが、率直に言うと怖いというよりは悲しかったです。
この展示会で示されている「行方不明」という現象は、怪異のようなものであり、この現象自体は恐ろしいもののように思います。しかし、この行方不明に"なりたい"と思う人がいて、実際に行方不明になってしまった。そして、遺された人はその人のことをどんなに大切に思っていても、段階的に忘れてしまう。これは、なかなか心にくるものがありました。
中でも印象に残っている展示は、これです。
この貼り紙によると、書き手はある日娘に「ごめんなさい」「もう全部忘れて」と言われ、娘は行方不明になったそうです。しかし、この貼り紙は捜索依頼にしては情報が曖昧なように感じます。そして、特筆すべき点はここです。
娘の何もかもが朧気になり、愛していた記憶さえも失われつつあることがわかるこの一文に、私の目は釘付けになってしまいました。メタ的な話をすると、「目がいっぱい腫れていた」という愛情の深さの表現方法には脱帽してしまったのです。
また、ハッとさせられる展示もありました。それが、こちらです。
行方不明になった人物が所持していたと思われる財布と、その中に入っていた手紙です。恐らく、弟もしくは妹から宛てられたのでしょう。注目したいのはこの部分です。
死にたい、ではなく、行方不明になりたいと考える人は、少なからず「ここではない世界に行けば楽になれる」と考えているのだと思います。現在のしがらみから解放されれば、もっと良い人生を送れると。しかし、ここではない世界に行ったところで、その世界が自分にとって良い世界であるとは言い切れない。よく考えれば当然のことです、その世界のことを知らないのですから。しかし、人は一縷の望みを賭けて選択をするのです。その危険性と、そうならざるを得ない切迫性に、頭を殴られたような衝撃を受けたのです。
最後に、映像作品「正体不明」についてですが、これはなかなかぞっとしました。この展示会に引き寄せられた人、展示内容に懐かしさを感じた人、行方不明者が知り合いのように感じた人……その誰もがどこかの世界線で「行方不明」になった人なのかもしれない。もしかすると私も、誰かに捜される立場の人間なのかもしれない。
私の正体は何なのか。「正体不明」は、人間が生きていく中で形成する"確立された自己"に思わぬ角度から疑問を投げかける作品でした。
終わりに
実は私、この展示会にほんの少し関わっています……キービジュアル撮影にモデルとして参加させていただきました。
ほんの少しでも自分が関わりのある展示会が、これほどまでに盛況なのは嬉しい限りです。
暗いのに明るい、怖いけど安心する、そんな不思議な空間がそこにはありました。この展示会は今年の9/1まで開催していますので、皆さま是非足を運んでみてください。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?