今年も6月が終わる
いつも6月は心がざわつく。
6月に毎年大事な節目があるからというのもあるし、私が苦手としているジメジメムシムシの季節がやってくるからでもある。
毎年6月に何か関わりのあった人とはその1年ずっと何かしらで関わり続けたり、キーパーソンになったりする。
私にとっては苦手であり、とても不思議な1か月なのだ。
今回の6月は人とたくさん会った。
いろんな人と会って、いろんな感情になって、たくさん心が揺れて、たくさん笑って、時々玄関で大泣きした。
いっぱい生きた。
全力だった。
ショックなことも、うれしいことも、悲しいことも、戸惑いも、キュンとしたりも、もやもやしたりも、幸せいっぱいでにやけちゃうときもあった。
全部大好きな6月だったな。
7月はどんな1か月になるんだろう、と不安と寂しさとワクワクと楽しみと感情が大渋滞している。
大人になったらもっともっと感情に起伏がなくなっていって、穏やかで平坦な日々を過ごすものだと思っていたのに、今の私は全然違う。
学生時代の方がまだ淡々とした日常だったのではないかと思ってしまう。
ただでさえも人の感情を感じやすくて疲れやすいのに今回の6月はそれを目一杯やった。
悔いはない。
ああ、今が一番幸せ。
この満ち足りた気持ちがずっとずっと続けばいいのに。
月日が経たなくていい、ずっとこの辺のぬるま湯でだらだらと停滞していたい。
居心地のいいあたたかい沼。
この気持ち、感情をギュッと凝縮して飴玉にして、疲弊したときに自分の口に経口摂取させて幸せな気持ちを分けてあげたい、そんなことさえ考える。
でも、その一方でもうここを出て、お湯も沼もない乾いた道の上を自分の足で歩いていきたいと思う。
例えその道が遠く続いていても、険しくても、私は早く行きたいわけではなくて、遠くに行きたいから。
なるべく遠くに行きたい。
たくさん歩くのは苦じゃない。
6月はそういう1か月だった。
日記。