「P2P保険」は、個人のESG投資?
この投稿は、Frichの「P2P保険」(Frichでは、「P2P互助」といいます)が目指す世界観について書いていきます。
まず、Frichが定義するP2P互助とは何かというと、友だち同士が特定のリスクに備えてグループを形成してお金を拠出しておき、万一アクシデントが発生した時には、そのお金をもとに、アクシデントに遭った友だちにお金を支払う仕組みのことを指します。(「Frichって?」を参照)
仕組みについては、日本に昔からある助け合いの仕組みそのものなので「保険の原点」とか、ITと掛け合わせることで実現した仕組みなので「保険のシェアリングエコノミー版」などと言われたりします。
ブロックチェーン技術に代表されるように、時代が、中央集権型から自律分散型へと大きく移行してきています。当然、保険業界においても、自律分散型モデルであるP2P互助に耳目が集まるのは不思議なことではありません。
このアナロジーで考えると、保険の仕組みそのものが自律分散型に向かうのではないかと思うわけですが、僕らもその方向になるのだろうと考えています。
つまり、「保険会社に対して保険料を支払い、保険会社から保険金を受け取る」という関係性だけでなく、「みんなでお金を出し合い、アクシデントに遭った人がいればその中からお金を支払う」という方向性です。
じゃあ一体、P2P互助の何が良いのかという話になるわけですが、メリットはとても多いと考えています。詳しくはまた別の機会に投稿できればと思いますが、ここでは「コミュニティの可能性」について触れたいと思います。
保険の世界は、保険会社を中心とした、いわば完成された世界です。
すべての手続きは、それまで築き上げてきたノウハウと共に高度に仕組化されているので、ひとたび保険金事故が発生すれば、契約者目線で見たとき、ある意味で手続きのベルトコンベヤーにのって”機械的に処理”されるわけです。だからこそ、万一のことが起こった場合でも、厳密に査定が行われ、正しくお金が支払われるわけです。
しかし、仕組みとして洗練されているがゆえに、ともすれば事務的になりがちで、保険会社や加入者同士の「顔」が見えにくかったりします。支払ったお金がどこで誰の役に立っているのか分からない、手にしたお金が、どこで誰が支払ったお金から賄われているのか気づきにくかったりします。
P2P互助は、仲間同士の助け合いということを最重視しています。
顔の見える人同士が、助け合いのグループをつくり、グループが自律的に運営されることを通じて、そもそもアクシデントに遭う人を減らしていこう、万一そうなってしまった場合でも、みんなが支払ったお金の中でその人をサポートしようというものです。
そこには、単にお金を支払う/受取るという関係性だけでなく、喜びや弔意といった感情があります。
また、そのようなグループでは、お互いのノウハウや出来ることを積極的にシェアし、そもそもそのグループのメンバーがアクシデントに遭わないように工夫する、いわば自律的なメカニズムが働きやすいと言われています。
日本では、こうした仕組みは古くから、不特定多数の人を相手とする「保険」とは区別されて、「共済」などと言われてきました。
*共済については「共済のプロ 可児先生に訊く」をご覧ください。
コミュニティの可能性を示唆するものとして、災害時の地域コミュニティがあります。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災では、家財等がれきの下敷きとなり、多くの方が命を落とされました。一方、がれきの下敷きになったものの、運よく救助されて一命をとりとめた方もいます。
そして神戸市の調査によれば、その救助された方々のうち、実に80%の方々が、隣近所の方々によって助けられたということです。
逆に、自衛隊や消防隊が助けられたのは、残念ながら、わずか20%でしかありませんでした。(ある神戸市職員は、この数字をもとに災害時における公助の限界を悟り、共助の仕組みをなんとか拡げようと日々奮闘されています)
みなさんは、災害時に必要なものとは何か改めて考える時、具体的なアイテムとしては何が思い浮かぶでしょうか?
以下は、防災タウンページに掲載されている「災害時に必要なものリスト」(一部)です。
「災害時に必要なもの」と聞いて、一番最初に「お金」と答える方はいったいどれくらいいるのでしょうか?
僕らが議論したとき、真っ先に出てきたのは「水」、「食料」、「雨露をしのげる場所」、「冬ならば暖をとるためのもの」、「スマホの充電」など、お金で何かを買うことを想定した回答は一つもありませんでした。
社会は日々変化しており、旧来の仕組みが、我々が抱えるリスクの全てをカバーできるわけではないことを知るべきではないかと思います。
そして、既存の領域がカバーしていない領域でこそ、助け合いの仕組みであるP2P互助が果たす社会的役割があるのではないかと思っています。