彼女は頭が悪いから 感想 1/3
いやらしい犯罪が報じられると、人はいやらしく知りたがる。なれば、共に犯罪者と同じである。
これは当書の冒頭部分の一節を抜粋したものである。
成る程なぁ。
そう素直に認めてしまった。
元来私は小説を読むことが出来ない。
200ページ級の小説すら、関心が湧かなければ20ページくらいまで読んで「あぁ、あの著名人が言っていた作品は何だったろうか、この本は退屈だしそちらを読もう」と読書放棄を起こしてしまうのだ。
そしてこれはループする。
絶望的である。
このループは私が平素から図書館を利用して本を読むという市民的且つ文化的なイヤラシ根性を持ち合わせるという性質の上に成り立つ代物である。
これにより著作物はぬるぬると私を横切っていくが、同時に私の財布のファスナがぬるぬると開閉することはないといった具合なのだ。そう考えると図書館を永久無制限に利用できる現代において、吝嗇と読書というのは根本から相容れぬ性格なのかもしれない。
では果たして、一体何故イヤラシ根性の違法建築・吝嗇と読書の呉越同舟の私が450ページを超えるぶ厚い本を読了することが可能であったのか。
それは実に、この冒頭の文章に眉をぴくりと振動させられたためである。
はじめ私は成る程、という気持を抱いたと記したが、またそれと同時に別の気持も浮上した。
それは、単純な反駁であった。
核心を突いたような物言いのようだが、それが勢い任せの詭弁であることを私は見抜いたし、10人いれば内9人は同じように見抜くであろう。
直接手を出す犯罪者とは違う、該当人を法で裁くことは出来ぬ、そもそも知りたいと思う前提が如何なものかね、等、私の心中の揚げ足取りが活発に反論した。
しかし、その真偽もまずは読まねば判別できまい、と発言権獲得のために本を読むことを決心した。
その瞬間の私は、思惑の深層にいやらしいことを期待する気持があったという事実と、それ自体が「いやらしく知りたがる」ことの実例になっていることに気づいていなかった。
1、概要
2、学歴コンプレックス(次回掲載)
3、最悪の文学的価値(次回掲載)
1、概要
この物語は大作に違いないが、決して唯一無二の物語ではない。反対に、至極平凡で世の中にありふれた物語であると断言出来よう。
平均か、或いは少々それを下回るか、かと言って特段短所があるわけでもない「普通の」女子である美咲。
国家公務員の父と専業主婦の母、東大法学部を卒業した兄を持ち、自身もまた東大工学部に進学した生粋のエリートであるつばさ。
東大生強制わいせつ事件に深く関与するのが、この2人である。
「東大生が集団で女子大生に強制わいせつを行った」と聞いて、その文言を額面通りに聞き入れる人間がどれ程存在するだろうか。
方や天下の秀才東大生、方や得体の知れぬ女子大生。
「勘違い女が金持ちにハニートラップを掛け、どこかで機嫌を損ねて東大生家族から金を巻き上げようとしているのではないか」
一般的な思考能力の持ち主であるならば、このように考えるのも無理からぬ話である。
然し、既に当書を読了した方であれば、上記のことが全くの偽りであることが解るはずである。
むしろ関係は逆とも言える。
無理に酒を飲ませたのは?
金を得ようとしたのは?
「勘違い」していたのは?
我々の「一般論」がどれ程無責任で浅慮で、そして如何に鋭利なものなのか。
私はこの本を、令和6年に読んだ。様々なインターネットプラットフォームが誕生し、活性する時代である。
一般人が炎上することも、その結果死に至ることも最早珍しいとは言い難い時代である。
事件発生後、登場人物である美咲の身に起きた事態も想像できないものではなかった。
然し、奥付を確認すればわかるが、この本の初版は2018年である。
令和元年が西暦2019年であるから、その時分の感覚と現代の感覚が混同されることはあってはならない。
この本が平成という時代に誕生したことは、それ自体非常に価値のある事象であったと言える。