自己紹介的な(音風景保存家へと至る経緯)
こんにちは。音風景保存家のtakaと申します。
まずは僕のやりたい事を正直に書いてみようと思います。
もともとは高校生の頃に聴き始めたYMOや90年代テクノに強く触発され、テクノ一辺倒の生活を続けていました。
その流れでテクノDJとして都内や湘南の海の家等で活動していましたが、山に入って鳥の歌声や沢のせせらぎを録音する、フィールドレコーディングというものを体験した時に大変強い衝撃を受け、全身に鳥肌が立った経験をしたことで僕の中に新しい何かが生まれました。
それからは自分の中にあったテクノへの想いというものが揺らぎ始め、ひょっとして自分の求める理想の音像はテクノの文脈ではなく、ナチュラルサウンドの文脈の中に存在しているのではないかという気持ちが芽生え、それ以来毎週海へ、山へとテントを担いでレコーディングへと行く日々が始まりました。
自然録音の経験を積めば積む程、ネイチャーサウンドへの確信は深まるばかりでしたので、思い切ってDJの足を洗いネイチャーサウンドレコーディストを目指すことを決意しました。
ところで、僕がのめり込んだテクノミュージックの魅力とは、
1,今まで聴いた事のないような真新しい響きと音色。
2,そしてそれらの音そのものがラージスピーカーを通じ、形あるものとして、物質として、人間の身体に大迫力で迫ってくる体感型の音楽であること。
3,グルーヴを感じることが出来れば、そこにヴォーカルもメロディーも装飾的な音も不要な余白の大きいミニマルな音像だけになり、その最小単位のシンプルな構成にダンスミュージックでありながら日本的な禅のマインドや、静けさを感じるジャンルであること。
4,レコードの組み合わせ方によって、ダンスフロアーの時間の流れ方や雰囲気が全然違うこと。
上記4点が主に僕が没頭していたテクノミュージックの魅力的なところです。
まとめると新しくて、体感的で、グルーヴィーなのに、静けさを感じる(笑)というとても複雑で大変魅力的な音楽ジャンルでした。
しかしながら、そのテクノにも弱点はありました。それは唯一つ。
最高に楽しく気持ち良くなれる音楽であるが、同時に身体が感じる疲労感も最高にきついものでした。
一晩中身体に大音量のテクノを聴いていると耳だけでなく、身体も強い疲労感を感じボロボロになる感覚を覚えていました。これは一晩中聴くわけですから仕方のない事です。
しかし、問題なのはその疲労感が中々抜けずに後腐れとして数日経っても残ることにかなりのデメリットを感じていました。
何が言いたいかというと、心身ともに疲れてる時には耳にしたくない音楽だということです。そしてテクノミュージックが効果的なのは心身に余裕のある時だけでした。
他方で、ネイチャーサウンドはというと、テントを担いで終電で青梅にある御岳山のロックガーデンに行った時ですが、まずサラウンドレコーディングの機材とテント道具や水、食料などで25kgぐらいの荷物になっていてとても重いです。(笑)
終電で23時過ぎに最寄りの駅に到着し、それからロープウェーも乗れませんので、急坂をひたすら徒歩で歩き続け、疲労困憊状態でふらふらになりながら目的地であるロックガーデンに夜中の3:30とかに到着するやいなや鳥が一斉に歌い始め夜明けのコーラスが始まります。
もう疲労感で一杯の身体に鞭打ってヒーヒー言いながらレコーディングの準備をし、RECボタンを押すわけですね。
そうするとヘッドホン越しに野鳥のコーラスがまるでオーケストラのコーラスのように耳に響いてくるんですけど、その際に僕の気持ちだけではなく、身体が喜んでいるのがわかるんですよ!そのときは全身に鳥肌が立ったんです!
そして疲労感で一杯の身体がそのナチュラルサウンドを浴びていると回復していく感覚を覚えるんですよ。身体が自然音を浴びることを喜んでいて、なんだか気力が充実してくるというか元気になれるんですよ。
その体験をしてからは、音楽を聴いて良質な体験をするには、相応の犠牲を払わなければならないと思っていた自分にとって、ちょっと待てよと考えるきっかけになるとても大きな出来事でした。
音を聴いて脳みそだけが快感を感じるのではなく、身体も喜ぶ(快感と同時に疲れていくのではなく、疲労回復をしている!)音楽が自然音の特徴であるということ。(疲労感の後腐れゼロの音楽ジャンル)
そういった身体も喜ぶネイチャーサウンドの魅力は何と言っても音色の純粋さと静けさにあります。
初めてクロツグミという鳥の歌声を聴いた時に何て音色が純粋なんだ!と感嘆しました。テクノでは聴いたことのないような大変透明感のある音色で、そのアコースティックな響きに耳がもっと聴きたい聴きたいと僕に迫ってくるような感覚を覚えます。
クロツグミ
https://note.mu/freshairrecords/n/na2c0fbaadf93
同様に沢のせせらぎの音色や鼓膜をくすぐるような心地よい響きが身体にすーっと優しく浸透し、身体が僕へずっとここに居たいとささやき喜びを伝えてきてくれます。
そして不思議なことに森に長逗留し、沢のせせらぎを毎日ずーっと聴き続けていると、沢のせせらぎの響き、グルーヴ感が毎秒、毎分刻々と変化していることに気づきました。
僕はその時大きな衝撃を感じました!一見何の変化もない沢のせせらぎの音像だが、実際は沢音のグルーヴが万華鏡のように常に少しづつ変化し続けている状態で、大変音楽的であり、それこそが僕がテクノで表現したいとずっと思っていた複雑さを感じるミニマルテクノミュージックの究極の形だと!
これらの豊かな生態系や植生が放つ自然音の日常的なグルーヴの紡がれ方に理想の音像、音楽を感じたため、テクノの足を洗い、日本の原始の姿が保存されている日本各地の国立公園をくまなく周り、豊かな自然が発する複雑な音風景を収録しまくり、その美しさや不思議さを多くの人々に伝えることで、自然への好奇心を誘発し、将来世代へ日本の美しい音風景や原風景を継承していく力になることを活動の基盤とすることを決意する。
そのため音風景保存家と名乗っている。