脇見恐怖について

※ここに書いてある事はあくまで個人の意見にすぎません。脇見恐怖症を持つ人がみんなそうというわけではないのでご注意下さい。


脇見恐怖とは、私の感覚から言うと自分の意思に反して他人を見てしまい不快感を与え人間関係を壊しまくり、自分も見たくないのに見てしまうことに苦しむというようなものだと思う。

・見ていなくても見ていると言われる
見てしまわないように意識して見ないようにしている。それでもこっちを見たと言われる。
実際私は脇見で見てしまった人の顔を覚えていない。脇見で見た時には20代だと思ったら40か50代ぐらいの人だったと言う事もある。
他人がなぜこちらが見ていると気付くのかは不思議だ。

・関係を壊す
自分でも自分の目が不快にさせていると考えるようになり、余計に見てはいけないと意識する。
けど自分の意思とは反対に「また見られた」と言われる。
これを繰り返すうちに外に出る事そのものが億劫になり、半引きこもりのような状態になる。

よく起きる場面

・机合わせの時
学校では班で作業をするのが苦痛だった。また、後ろの席の人と話すために振り返る人にも発動して気まずくなった事もある。
脇見が酷い時には、対人関係を壊さない事を優先して板書を諦めた事も何度もある。
オフィスでのパソコンの作業も怖いと感じる。

自分が目線を気にしないのが一番だが、それが出来ないので現実的には大きな板で自分の机を囲う、または自分が色の濃いサングラスを掛けるぐらいしか思いつかない。

・駅で電光板を見上げる時
電車が来る時間を確認したいだけなのにやはり不自然なのか周りの人の注目を集めてしまう。

・道ですれ違う時
特に対向で向かってくる人に対して起こりやすい。逆に自分の後ろから早歩きで追い越す人にはそこまで発動しない。
人混みは地獄だ。人が通り過ぎても次から次に脇見の対象が変わっていく。
困るのは周りの状況を確認しようとしただけなのに、周りを見渡して人の姿が視界に入るとそちらに過剰に意識が向いてしまう事だ。彼らからしたら本当に変人にしか見えなかったと思う。

・買い物
値札を見たくても近くにいる人の方に目が向いてしまう。私の場合は髪や帽子のズレを直すフリをして他人を腕で隠し、値段を確認する。→腕を下ろして目も伏せ、商品だけを手に取る。と言った形で対処していた。

脇見が始まった時

思い返すと発症したのは中学か高校ぐらいだったと思う。当時自覚はなかったが自分には発達の傾向があったらしく、なにかプレコックス感のようなものがあったのだと思う。周囲から良くない噂をされているのは自分の耳にも届いていた。
なので自分からしたら何が間違っているのか分からないが、とにかく相手が不快に思っているならなんとか改善しなければと思ったのを覚えている。
それがいつの間にか「自分がいくら気を付けていても不快に思われる。他人が怖い。」という考えに変わり、こんな感じになって逆に他人に気味の悪い思いをさせたり、自分も苦しむことになるという元も子もない状態になった。
よくある発達障害に由来する二次障害なのかなと今は思っている。

最近は周りの人も自分の事をそこまで気にしていないという感覚がようやく分かり、目線で不快にさせないコツも若干掴めてきたので、ほんの少しだけだが楽になってきている。
ただ、これだけの長い年月をかけてちょっとマシになった程度なので、まだまだかかるのかと言う思いもある。いつか克服できる日が来るのだろうか。

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