回避性のこと

以下の文章は私の勝手な考えであり、回避性パーソナリティ障害の人が全てそうということではありません。


死んだ後についての意見はかなり分かれるはずだ。私は死んだら自分の生きた証ごと消え去りたい。葬式もしてほしくないと感じている。
死んだ後まで自分の物が残っていたり、「(私)ってこういう人間だったよね。」などと過去の話をされるのはなんか嫌だ。(まあ、私の話をする人がいるのかは分からないけど。)

ただ、私の聞く中では「自分の生きた爪痕を残してから死にたい」という人をよく見かけるような気がする。有名になって名前を残したい、後世に残る作品を作りたいとか…。
そういえば子供が欲しい理由でも、「自分の遺伝子を残したいから」という人もいるようだ。本能的にそう組み込まれているからこそなのだろうか。そう思うと自分はやはり生物としては欠陥品だと感じる。

こんな考え方をするのも、いかにも回避性パーソナリティ障害の人間だなと思う。今回は自分が回避性だと感じる考え方を少し書いていってみる。

自分を知られる事が怖い

例えば、一般的にはどこに行った、誰と会った、友人が、知り合いが、職場の人が…と普通の人なら話したがる物だと思う。けど、私はそういった話はどちらかというと詮索されている感じがして苦手だとよく感じる。
なぜかと聞かれると、とにかく自分という人間を知られる事が恐ろしくてしょうがないのだ。「ああそういう人なのね。」と分析されるのが苦手だ。自分の話が知らない他人にもいつの間にか伝わっているのも怖いと思う。
理性では相手にそんなつもりがないのは分かっているし、むしろコミュニケーションとしてはこういった自己開示をした方が後々のためにも良いというのも十分理解している。(そのせいか自分は長期的に関係を持てた事が無いようにも思う。)
昔、私の好きな実況者が「恋人ができた時、特に誰にも言わなかった。」という人がいて、ものすごく親近感を感じたものだった。

自分の常識が無い自覚はあるのだが、「自分は相手を覚えているのに、相手が自分の事を覚えていなかった。」という状況は一般的にとても失礼に感じるものだと思う。けど自分はそういう時嫌な思いをするより、むしろ安心するのだ。ああ自分の事がまだバレていないなと思うのは気楽だった。私というより、同じコミュニティにいるだけのmobとして扱われている事がとても好きだ。
店などで働いていた時も常連さんの相手をするより、初対面の人と話す方が気楽だった。(これに関しては自分が顔を覚えにくい事と、喋るのが下手な事も関係あるかもしれない。)接客業にはそもそも向いてない気質だけど、もしやるなら初対面の人ばかり来るような所が良いのかもと思っている。
プライベートなどでも、何かの集まりがあった時集団でそこそこ楽しく話をした後「あれ、そんな人いたっけ?」と言われ、すぐに話題が変わるぐらいが一番丁度良いのだ。自分でもよくわからない。

自分の理想は、人の興味を集めない程度に自己実現出来る事だと思う。(それはそれとして完全に孤立するのは辛いが。)
多分回避性の人には、創作など人と顔を合わせなくても自分を表現出来るようなものが好きな人が多いんじゃないかと勝手に思っている。
自分の場合は昔から発達の特性も絡んでいて、むしろ悪目立ちしがちだった。今でも生活に困らない程度にひっそりと過ごしていきたいという気持ちが強い。
いわゆる自分は「普通の人」への強い憧れがある。地味とか普通と言った言葉は自分にとっては喉から手が出るほど欲しい言葉なのだ。

関わりすぎるのがしんどくて恋愛がうまくいかない

回避性について情報を集めていると依存性と回避性は惹かれあいやすいが、泥沼化するとよく聞く。
実際私も出会う人は今振り返れば依存性の人ばかりで、初めは楽しくてもだんだんお互いにしんどくなる、というのを繰り返していた。自分が典型的な「連絡されすぎるのが嫌」なタイプである事が余計にそうさせていたと思う。
回避性の人の恋愛はどうすると上手くいくのだろうと自分も悩んでいる。
今の所は、どうやっても誰といてもそもそも自分が不安定だからこそ関係を壊してしまうのかと思っているので、結局自分が安定した人間になるしかないのかなと感じている。どうしたらそうなれるのかも分かっていないが、とにかく自己受容が必要で、そのためにも苦手な人間関係を日々こなしていく必要があるのではないかと思っている。(と偉そうに言っているが全く出来ていない。)

改善しようと頑張っていた頃

色んな出来事を回避して、少しずつ人生のレールから外れていき、このままではいけないとコミュニティに飛び込んでは自分なりに頑張っていた。
結局はそれでも疲れ切って「ああこの人たちは人と話す事でむしろ元気になる。自分とはそもそも根本が違うんだ。」と勝手に失望してフェードアウトすることばかり繰り返していた。
今でもそうだ。自分を受け入れるとはいっても、頑張らなくてもいいという事と全く何もしなくていい事は何か違うような気がするのだ。なので、苦しみながらもまだ諦めてはいけないのかなという気持ちも少なからずある。今は苦しいだけだが、何かに繋がっていて欲しいと願っている。

同じ気質の人なら上手くいくのでは?と思った。ただ、回避性の人の多くはとてもマナーがよく誠実で、繊細な人が多いと言うのが私の勝手な印象だ。
そのため関わりを持ちたいと思っても、私の発達障害の特性からして同じ回避性の人たちとも上手くいかないと感じる。回避性を持つ人たちとも自分とは違うんだと感じる。常に薄ら自分と合う人もいないし、どこにも居場所がないと勝手に思い込んでいる。孤独だ。

ちなみに直す必要があるかと聞かれると、私は無いと思う。そもそも治せるものでもないた思うし…。回避性だとしても人柄が良かったりして、そのままでも十分生きられる人ももちろんいると思う。結局自分が満足して生きられるかが一番重要だと思っている。
ただ、私の場合はそこまで出来た人間でもないので、もっと周りと関わっていかなければ将来性が見込めないと感じている。だから苦しいし、理想の生き方ではないが、少しずつでも回避する癖を直していかなければならないと思っているのだ。

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