愛を語りたい|0126の日記
日記書いてなかった?!
今日も今日とてバイト。
ただ、地元では高校演劇の関東大会をやっていて、母校の美須々ケ丘高校演劇部もそれに出場している。
次に進めれば全国大会。
部活の同期や後輩はみんな行ってるらしい。
いいな〜と思っていたら私の母親も行っていた。ずるい。
1回県大会を見ていると言えばそうなのだが、高校演劇を追う楽しみは成長や変化にある。
大会を追うごとに演出が変わる、演者が成長する。セリフが変化する。
それに演劇は生物。二度として同じ公演になることはない。
すんげぇ見たかった。
ただ、そんなに金銭的余裕がある訳じゃない(寧ろない)ので泣く泣く断念。
同期共が一緒にご飯食べてたりやり取りがグループLINEに流れてくる。ぐぬぬ。
そして母親から各学校の感想LINEも潜られてくる。ぐぬぬぬぬ。
夕方頃、母校の公演は終わり、同期達は解散したらしい。
母親は講評と表彰式もいるらしいので、母からの速報を待っていた。
バイトの気もそぞろになりながらデスクワークしているとスマホに通知が来た。
「最優秀!!!」
最優秀賞。
上演校の中で最も優秀だった賞。
つまり…
「全国?!」
母校が全国に行った。しかも私か高一の時にしていた演目で。
バイトをそっちのけでインターネット上で叫び声を上げた。
とはいえ終了時刻まで30分程ある。
全く身に入っていなかったが、一応仕事をしておく。その間ずっと頭の中では「全国…美須々が全国…」とふわふわした気持ちでいた。
感極まって泣きそうになったが、勤務中であったので何とか留まる。
勤務終わりも人と話していたり、家に帰っても8次元の業務をしていたりでなかなかその事を考える暇はなかった。
それらが終わって自然にSNSを開く。
開いたアカウントは高校演劇用のものなので母校の上演した作品『愛を語らない』の感想が沢山流れてくる。
気がついたら涙が止まらなくなっていた。
こんなに沢山の人に見てもらえて、こんなに色んな素敵な感想をもらっている。
それが、高校1年生の時に同じ作品に取り組んでいた時は考えられなかった。
当時は審査員の前で上演できたのは一番最初の地区大会だけで、それ以降の大会は映像審査。
県大会は他の高校の作品も映像で見れて、講評と表彰式も生配信されていたが、関東大会に至ってはクローズドされていて結果も後から顧問に聞くというなんとも何をする実感もないまま終わってしまった。
人前で上演できたのは地区大会のみ。しかも観客は審査員とその日公演があって見る意思があった他校の演劇部員のみ。ネットで期間限定で公開されていた気もするが、それを見たのもかなり限りあるコアな人達だけ。
コロナ禍の苦しみが今になって実感となってきた。
しかし、そんな作品がこんなに沢山の色んな人に見てもらって、知ってもらって、感想を頂いている。
もちろん、本音を言えば自分たちで演じて、知って欲しかったし、全国に行きたかった。
でも、現実として自分らの限度は関東大会止まりであった。
悔しさも沢山あるけど、それ以上に大好きな美須々ケ丘高校演劇部が、愛を語らないが、後輩達が全国に行ってくれた事が嬉しい。
純粋に嬉しい。
私は自分でも思っていた以上にこの『愛を語らない』が好きだったらしい。
それは多分、自分がやっていたからというより、この作品が好きでみんなに知って欲しかったから。
だからこそ、自分でもそこそこの規模で再演したいと考えているし、全国に行ってもっともっと色んな人に知ってもらえるようになって「嬉しい」という気持ちが生まれたのだろう。
今まで気がついていなかったが私は一貫してこの作品を色んな人に知ってもらいたかったんだと気がついた。
そしてそれが自分の原動力であることも。
気が付かないうちにじぶんのなかであとんでもない影響力のある作品になっていたらしい。
しっかし、今身の回りにこの嬉しさを共有できる人が居ないのが辛い。
試しにバイトの上がる時によく話す人も同じタイミングで退勤だったのでその嬉しさを伝えると「へぇー!演劇部って大会あるんだ!」というところから始まってしまった。
それはそうだよな…
大会を知らないとその凄さも分からない。
あぁ、同期達今私の横にワープしてくれ。
世は全てを書く、余すことなく隅から隅に至る迄。
では。