レヴュースタァライト考察まがい備忘録2
舞台力の高い者はレヴューの行方さえ自由自在
魂のレビュー、開演前の楽屋で西城クロディーヌと天堂真矢が将棋を指している
1戦目はクロディーヌ優勢、2戦目は真矢の圧勝であった
クロディーヌは笑って言う
「アンタ、本当に弱いわね」
一戦目は言葉通りだろうが、二戦目は明らかに弱いのはクロディーヌの方
つまり、
「アンタ、本当に弱い(ように見えるくらい演技上手い)わね」
ぐらいの意味になっているのではないか
高い実力を持つ者は勝敗さえ自由自在
これは手加減云々ではなく、相応の演技力があるということ
一見していい勝負のように演出する、見させる、観客を魅了する
これはレヴューも同じこと
ボタンが飛ばされようと、それは負けに直結していない
レヴューは単なる戦いではない
「もっとも素晴らしいキラめきを魅せてくれた方には、トップスタァへの道が開けるでしょう」
キラめきを魅せる、舞台で輝く、これをもって勝敗は決する
さて、魂のレヴューの開演からしばらく天堂真矢の圧倒が続く
しかし悪魔が自刃し、神の器の首を落とされると、悪魔も舞台人もいなくなり、
そこにいるのは二人の舞台少女
天堂真矢と西城クロディーヌの舞台はここからが始まり
生の感情むき出しで互いを求める彼女たちは美しい
こうなると演技している余裕はなくなり、真矢の本音が垣間見える
そうして最後に相手のボタンを落としたのは、真矢を魅了したクロディーヌ
レヴューを思うように進めることができるのは、大きな実力差がある場合のみ
(テレビ版、真矢vs華恋が分かりやすい)
さて、実力差があるレヴューがもう一組
狩りのレヴュー、大場ななvs星見純那
「がおっ」
はじめは純那の攻勢で、純那は偉人の言葉を武器に戦っていた
しかし大場ななはまるで意に介しない
上辺だけ偉人を真似た純那のセリフなど、何も響かないのだ
そう、純那は真似をしている
彼女が進路相談で語った像は、大場ななの影響が大きい
大場ななは非常に広い視野を持っている
役者としてだけでなく、舞台演出、脚本、大小の道具作成まで
舞台に必要なあらゆるものに携わり、舞台を作る人間
(それって監督って言わないかな)
再演していた影響で経験が桁違いなのはあるが、
ループの前に天堂真矢に問い詰められていた通り、
この視野の広さは初めから持っていたもの
純那はこれが欲しかったのではないか
故に真似た。大場ななを
寄りにもよってか
同室だったのも、ななを励ましたのも一因なんだろうな
足りない分を偉人の言葉で埋めようとして、なお足りない
それはそう、大場ななは星見純那しか見ていない
他人の言葉なんて意味がないことを分からせるため、
「あなたはそんなんじゃないでしょ?」と伝えるために
生まれ変わってもらうために
切腹を迫る
もうちょっと何というか、手心というか
いや、言葉で語っても純那が変わらないのは分かるが、
シェイクスピアやゲーテの言葉の代わりに収まるだけってのは
その通りなんだが
まあ、純那は立ち上がったし、生まれ変わったし、
とにかくヨシ!
ついでに大場ななの一部を受け継いだし、
この先もきっとヨシ!
閑話休題
劇場版の星見純那とテレビ版の神楽ひかり
大場ななとのレヴューで生まれ変わった二人
キラめきを失おうと舞台少女は生まれ変わる
神楽ひかりの剣がロンドンでの長さに戻らないのいいよね
生まれ変わったひかりの武器は短剣
一見頼りないけど、確かに灯る青いキラめき
戦い方も一変して投擲もするようになった
短剣(キラめき)を手放すが、しかし繋がっていて、また手にする
新しい生き様を体現する戦い方だ
大場なな、参考にすべきなのが碇シンジ説
「わかります」
何がわかっているのか
大場ななの挙動を見ていると、
ループの認識以上に、自分が舞台にいるという自覚があるように思える
つまり、自分の生きている「今」が作り物であることに自覚的だ
ループの影響か、キリンとの交流のせいなのか
自分が「レヴュースタァライト」を演じている演者なのだと
何ならアニメの登場人物だと知っているかのよう
知っていると、どうなるのか
思うように舞台を作り変えることができる
本来あった脚本の枠を飛び出す
役としては有り得ざる挙動
物語を根幹から揺るがす危険人物
さて、ここで参考にすべき碇シンジ君だが、
旧劇場版ラストで彼は補完計画のキーとして
世界を選択する権利を(望んでもないのに)得た
彼は知覚する。この世界はアニメ(特撮)なのだと
そりゃ発狂だってするよ
彼には無数の選択肢が与えられた
ミサトと、アスカと、レイと結ばれる世界だってあった
戦いのないラブコメだってあったろう
異なる無数の世界を見るシンジ君
しかして彼は、戻ってきた。
少し変えた「新世紀エヴァンゲリオン」に
赤い海の渚で、シンジ君の隣にアスカが現れる
量産型エヴァに殺されたアスカが蘇っている
シンジ君はアスカの首を絞める
なんで?
アスカは量産型エヴァに惨い殺され方をした
というかそれ以前から碌な目に逢っていない
→アスカが酷いことをされない世界を望む
→本当に世界は変わったのか?
→アスカの首を絞めて確認する
正気か?
「きもちわるい」
シンエヴァンゲリオンでだいぶ分かり易くなりましたね
さて、大場ななの話に戻ろう
この世界が舞台であることを認識している大場ななには、
選択肢がありました
「レヴュースタァライト」を繰り返すルート
進路相談の通りに皆が進んでいくルート
「遥かなるエルドラド」を演じるルート
そして自ら切り開いた劇場版のルート
「わかります」
ロンド・ロンド・ロンドの時点で自覚的ですね
同じく舞台と認識しているキリンが
積極的に脚本を変えようとしない辺りは対照的
キリンは観劇者としての側面が強いからなのか
というよりは、カオスを楽しんでいるかな
思うように舞台を作る
とても魅力的なことだけど、
自分一人で作ると、それ以上のものが作れない
底がすぐに見える
大場ななはテレビ版でこれに気づかされた
そこでキリンと共に出してきたのが
「ワイルドスクリーーーンバロック」
キリンとななの脚本には皆殺しのレヴューまでしか書かれていないんだろう
タイトルコールもそこだけだし
99期生も(強制的に)巻き込んで、最高のレヴューを始める
本番(劇場版)のためにオーディション(テレビ版)やった甲斐ありましたね
おしまい
さて、「遥かなるエルドラド」楽しみですね
キャラクター紹介を見る限り劇場版の後のようで
大場ななのセリフよ
ただの危険人物じゃないか