「左利きと、事故と、人の温かさと。」2022/05/26の日記
第1章〜要約時系列〜
体調は疲労気味、精神は良好。
不安定な後に、人の温かみに触れて安定した1日だった。
・朝 ハンモックシェラフと左利きのエレン
ハンモックシェラフの寝心地は上々だったが、まだ改善点がある。キツく縛ったロープで吊り上げるような形にすれば、身体に沿った感じになるだろうか。
それさえできれば、野外での睡眠の質はだいぶ改善できそうだ。夢のめちゃあったかいあハンモックへ。
左利きのエレンを読み漁っていた。どのキャラクターにもドラマがあり、読者の境遇次第で共感できるキャラが違うのだろう。
徐々に”フィクションらしい”表現が鼻につくようにもなったが、それでもキャラクターの抱える葛藤や価値観のぶつかり合いは生々しく、時に心が握りつぶされる。
光一の「何になりたいかはわからないが、何かにならないと退屈で仕方がない」という凡才の苦悩。エレンの「それしか選択肢がないからやっているだけ」という天才の苦悩。
だが、光一にはガッツというある種の才能がある。少年漫画のような友情努力勝利を信じ込めるだけの才能がある。
現実にはどうやったってドラマにならない、挑戦することすら漠然とした思いで逃げ続ける人が多数なのではないだろうか。
その諦観は、その沼のような真綿で首を絞めるような絶望は、気付いたら手遅れになってどうしようもなく焦燥感に駆られ、後悔すらできないほどに何も選択肢がない後の祭りな悲劇は、この作品の中にない。
少なくとも少年ジャンプの読者は読みたがるものではないのだろう。随分と今日は悲観主義者だな。人生の虚無を目の当たりにしすぎたのか?
それともただの一時的な悲観ごっこだろうか。まぁ解釈など、その時の気分でいくらでも変わりうるものだ。どうせ読み返すことになる。その時に感じる感情は、まるで別のものだろうな。諸行無常。
余談だが、集中力の質=[深度、速度、時間]という仮説、集中状態に入るためのルーティンなど興味深い話も多い。自分の集中力のルーティンはメガネを外して貧乏ゆすりをすることらしい。
・昼 早めの昼食と漫画への没頭
スーパーで適当に買い出しをして食べた。栄養不足らしかったが、2,500円はちょっと買いすぎ…かとも思ったが、金をケチって精神と肉体と時間を無駄にするのは、総合的にはコスパが悪いような気がする。
空腹時は買いすぎてしまう傾向もあるため、適宜調整するべし。今日は少し買いすぎた。エレンを読み進めて楽しかったし、体に力もみなぎる感覚がしたので、まぁよし。
食費はケチるな、というのは旅先でも適用可能な黄金律である。久々に読む方法を変えた。
・夕 事故と精神不安定
事故を起こした。初めて車両ごと転んだ。理由は薬を飲み忘れたことによる不安定さ。そして、これから出逢おうとしている人間たちに対する恐れによるインナートーク。
親が怖がっていたから、その恐れは心に深く刻まれていた。そして、対人関係での悩みがずっと頭を巡っていたこともあり、脳内でのインナートークが溢れ出ていた。
そういう状態で急勾配に差し掛かった。対向車と距離を取れるように側道寄りを走ったが、そこには小さな砂利があった。それに車輪を持っていかれ転んだらしい。
幸い大事故には至らなかったが、身体は数カ所すりむいたし、前かごの形はかなり歪なものになっていた。
もし、後続車が居て車間距離を詰めていたら、私は死んでいたのではないだろうか。その恐怖は大したものではなかった。問題は、「それでも別にいいか」と思ってしまう、自分へ価値を感じていないことだった。
筆記開示と瞑想で心を落ち着けたものの、身体の脱力感は治らなかった。それでも行き先は変えなかった。怖かったが、今更引き返したとて、行ける場所などなかったのだ。
・夜、温かい出迎えと許容
強い恐怖感と鬱特有の脱力感に苛まれながらも、目的地に着いた。事故のことを説明し、風呂場に入ったが、そこではひとり泣いていた。昔の記憶が想起して怖かったのだ。
話してみるととても穏やかで、私の恐怖は徐々に和らいでいった。目の前に人間が現れると、そちらに意識が集中され、相対的に薄れる。というのもあるが、単純に対応がとても温かいものだったのだ。
この独特の許容感はなんだろう、あまり感じたことがないようなものだった気がする。私の黒歴史、というか精神的なトラブルについて知っていたから、というのもあったのかもしれない。とにかく暖かった。都会で一人で生きている中では、なかなか感じれない話であった。
食事もいただき、多くの話を聞いた。
「現実の問題解決において、足して2で割ることが正解などということは少ない。それ以外の正解を探し求めること」
「親というのは、生まれた時から親であるように思ってしまうが、子供を育てる中で徐々に親になる不完全な存在である。」これもまた正解のない問題である。
「それでも、誰かのせいにしないとやってられないこともある」
「メディアに無根拠な報道をされ続け、汚名を着せられた人間が、それでも許すということを選択した話。許すという行為は、高次の立場でなければできない。しかし、許すこと、寛容であることが善とされる集合体では、寛容でない人間に対して不寛容である。というパラドックスが発生する」
このように多角的に物事を捉えられ、着実に思考を重ねていく人を私はあまり多く見ない。この方の子息はどちらも立派な職についている。その一端が垣間見えた気がした。
最初からその部分には敬意があったため、そういう部分だけを探していた可能性も捨てきれないが、確かに賢人ではあるように思う。私程度の人間でも思うのだから相当だろう。
晩
さらに話を聞いた。私がどうせなら話が聞きたいとリクエストしたからだ。途中尿意と戦いながらも、貴重な話を聞かせてもらった。
・子息がどのように成長したか、どういった過程で夢を叶えたのか、その物語。どちらも経験と出会と挫折と成功があった。私に足りないのは出会と経験であろうな。
・英語にどのように興味を持ち、どう活かしたのか。仕事でも活かし、退職後も人に、そして地元に知識を還元しているようだ。自身の教育レベルをこのようにして、他者に還元できたらそれはとても素敵なことだな。私も誰かに教えたい。
それは知識の精緻化にもなり、学ぶ動機にもなり、人とのつながりにもなる。教えたい。教えられるだけの知識を身につけたい。何よりもまずは、動機になるような憧れが欲しい、私には英語を学ぶモチベーションを維持するような強烈な好奇心や、憧れを抱く対象がないのだ。
・自分の幼少期と親について。
私は幼少期は明るかったらしい。良くも悪くも明るく能天気だったのだろうか。少なくとも兄弟姉妹と比べて、甘やかされたのは間違いないようだ。皮肉なことに、それが親に対する攻撃的依存の引き金になったのであろうな。
親も完璧なわけではないというのは、どこかで見聞きしたはずが、自分の中ではほとんど風化した考え方だった。おそらく他責的に考えるほうが楽で、その合理化に邪魔だったのだろう。都合のいい脳みそである。
その他にも色々と聞いた。曽祖父のこと、曽祖母のこと。時代背景と家庭環境、立場。歴。詳細は寝る前に反芻することにする。
左利きのエレンは相変わらず素晴らしい漫画。
事故で死にかけたがなんとか生きている
温かい人の心にここまで深く触れられたことが尊い。
・まとめ
今日もいい1日でした。これだけ無条件に優しくしてくれる人がいるのだ、という実感がどれほど心強いことだろう。俺は死ぬまでに何かを返せるだろうか。