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夜の音

時間には音がある。

朝、目をこすりながら起きて聞こえるのはがたんごとんと洗濯機を回す音。

昼、学校でお弁当を広げながら聞こえるのは友人と駄弁るクラスの子らの声。

夕方、疲れて一息ついている時に聞こえるのは家族のつけたニュース番組の声。

夜、午後11時ごろだろうか。外から音が無くなる。近所にあまり人が住んでいないので騒音などもない。家でも朝型の人ばかりなので家族はさっさと寝てしまい、物音ひとつ聞こえない。うちには夜行性のはずの猫がいるが、うちの猫は健康的にも、家族の寝る頃にはだいたい寝ている。家族が寝つき、自分ひとりとなった部屋はしいんと静まり返り、少しゾッとするような、世界で自分がひとりぼっちになったような感覚に襲われる。

けれど、わたしは夜が好きだ。決して夜に強いわけでもないけれど、勉強も読書もゲームも、この文書を書くこともわたしはだいたい夜に行う。

夜には外からの音が聞こえない。人も動物も鳴りを潜めてわたしを世界でひとりにさせる。つまり、夜の世界ではわたしがすべてなのだ!
誰もわたしに逆らうことはできない。止めることはできない。わたしのやりたいことに誰も文句を言わない!だからわたしは夜に活動する。夜にならなんでもできるような気がする。

ひとりの寂しさは次第に全能感へと変わる。この全能感を深夜テンションと言うのだろう。気持ちが昂り、傍目に見れば明らかにいつもと違う自分。急にいつもと違う自分が出てくるのは不思議でしかたがない。
調べたところ深夜になると理性をつかさどる脳機能が低下して、本能をつかさどる脳機能が活性化することによって深夜テンションは起こるらしい。

これは普段無意識に押し殺している自分の声だと思う。本能からの、自分の本当の声。〜がしたい。〜になりたい。誰しも抱えるシンプルな願いや欲望が表に出てくるのがこの状態だと思う。

「夜に手紙を書くな」とよく言われる。
もう手紙なんてあまり使わない時代だがポチッと送信するだけのLINEなどのメッセージアプリ、そもそもこのnoteだって同じだろう。理性が働かず、本能ののまま書き連ねた文は、見る人にとって嫌悪感すら抱くものかもしれない。

わたしはそれを分かっていれど、このnoteの文章は夜に執筆している。さすがにLINEなんかは夜には返さないけれど。
実際明らかにガヤガヤとした昼よりも夜、物音ひとつしない部屋の中で、自分に問いかけ、思ったことをそのまま書くほうが、すらすらと文章が出てくるのだ。
結構良く書けていたつもりが次の日見返してみれば、誤字だらけの文法くしゃくしゃで独りよがりなカッコつけた酷い文が並んでいてげんなりしたこともある。なんでもできるような全能感の中書いた文なので、そうもなるだろう。

けれど自語りのような文章を書いて次の日に読み返すと、心の奥のシンプルな、自分の気持ちを知ることができるのだ。わたしは感情が薄いのか、自分が物事をどう感じたのか、どうしたいと思ったのかが自分でもよく分からなくなってしまう。

その声を聞きやすいのは夜だ。静まり返り、少し理性のタガが外れた状態の自分からは自身の声がよく聞こえる。少し自分と向き合って、自分の中の本当の答えを聞きたいときに、夜は自分に寄り添ってくれる。静かに、自分だけの時間を作ってくれる。夜には何もないけれど楽しくて、優しい時間だとわたしは思う。

夜に聞こえるのは自分の声。わたしの知らないわたしの想い。だからわたしはそんな夜が好きだ。


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